白鴉の落日、赤き玉座
大休耕地での圧倒的な勝利は、私たちの運命を決定づけた。
泥塗れになり、血を流して転がるルバール子爵の私兵たちの骸を後に、私たちはその日のうちに子爵の居城である「白鴉城」へと進軍した。
城の守備兵は、わずか三十人ほどしか残っていなかった。しかも、彼らの指揮官である子爵は、右腕を失い、生首となったギルバートと共に、我が反乱軍の荷車に積まれて引きずられている。その無残な姿を見た城兵たちに、戦う意志など残されているはずもなかった。
「開城しなさい。抵抗すれば、一人残らずこの城の壁に吊るすわ」
私が城門の前でそう告げると、重い鉄の門はギギギと音を立てて、呆気なく内側から開かれた。
かつて、見上げるだけで息が詰まるほど高く、強固に見えた白鴉城は、驚くほど簡単に私たちの手に落ちた。民衆を恐怖で支配していた権力の象徴が、これほどまでに脆いものだったとは。城内に足を踏み入れた私は、贅を尽くした大理石の床を踏み締めながら、冷たい歪んだ笑みを浮かべずにはいられなかった。
だが、本当の「戦い」はここからだった。
城の広場には、逃げ遅れた子爵の親族、そして彼らに阿ねていた御用商人や下級貴族たち、合わせて四十人ほどが集められ、身を寄せ合ってガタガタと震えていた。美しい絹のドレスを着た女たちや、まだ十歳にも満たないような子供たちも含まれている。
「アリア、この者たちはどうする?」
血の付いた槍を握ったレイが、少しばかり困惑した表情で私に尋ねてきた。彼の目には、無抵抗の婦女子に対する、農民らしい素朴な同情が揺らめいていた。
私は広場に集まった貴族たちを、冷徹な一瞥で切り捨てた。
「全員、処刑して」
「……っ、全員か!? 子供や女もいるんだぞ。彼らは戦ってなどいない」
レイが息を呑み、声を潜めて私の袖を引いた。周囲の農民兵たちからも、一瞬、戸惑いのざわめきが起こる。昨日までただの小作人だった彼らにとって、子供を殺すということは、あまりにも倫理の枠を外れていた。
私はレイの目を真っ直ぐに見つめ、その手を優しく、しかし拒絶の意志を込めて振り払った。
「レイ。私たちは今、世界の理をひっくり返そうとしているのよ。もしここで、哀れみという名の自己満足で彼らを生かせばどうなる? 私たちは農民。人質としては使えないの。それに数年後、あるいは十数年後、生き残った子供たちが『正当な血統』を名乗り、周辺の国や国内の不満分子を巻き込んで、必ず復讐の旗を掲げるわ。その時、再び流れるのは私たちの仲間の血よ」
私の声は、広場全体に響き渡るほど冷たく、透き通っていた。
「遺恨の火種は、一粒たりとも残さない。それが私のルール。私が背負うのは、過去の死者への同情じゃない、今を生きる私たちの未来よ。……やりなさい」
その言葉に、民衆は静まり返った。私の言葉にあるのは、残虐性ではなく、あまりにも理路整然とした「冷徹な正論」だったからだ。彼らは悟った。この少女は、自分たちを救う聖女であると同時に、敵に対しては一切の情を挟まない、恐るべき覇王なのだと。
「……わかった。お前がそう言うなら。これは、仲間の為だ……」
レイは唇を噛み締め、静かに頷いた。彼は剣を抜き、兵たちに指示を出した。
広場に、悲鳴と絶叫、そして肉を断つ鈍い音が響き渡る。私はその光景から目を逸らさず、すべてを網膜に焼き付けた。返り血が私の頬を濡らしたが、私は拭おうともしなかった。この血の温もりこそが、権力を奪うということの現実だった。
ルバール一族の血で白鴉城の中庭が真っ赤に染まった時、この地に数百年続いた貴族の支配は、名実ともに完全に根絶やしにされた。
──
城を掌握した私は、息つく暇もなく次なる手を打った。
まずは、城の地下倉庫に眠っていた膨大な財宝と、大量の食糧の接収だ。ルバール子爵が民から搾り取り、腐らせるほど溜め込んでいた小麦や干し肉、極上のワインが、日の目を見ることになった。
私は即座に、二つの画期的な政策を布告した。
一つ目は、これまでルバール子爵やその臣下が不法に、あるいは特権によって占拠していた広大な耕作地をすべて没収。それを、身分に関係なく、今回の反乱で功績を上げた者、そしてこれから私たちの軍に加わって戦う者に等しく分配するというものだ。
「自分の土地が持てる」——この一言は、小作農として一生を終えるはずだった民衆にとって、何よりも強力な劇薬となった。彼らは自らの土地を守るため、ひいては私の支配を守るために、命を懸けて戦う最強の兵士へと変貌し始めたのだ。
二つ目は、城に蓄えられていた食糧を惜しみなく放出し、近隣の村々から集まった何千もの民衆に毎日のように配給を行った。さらに、子爵の私兵たちが訓練に使っていた馬場を開放し、臨時の闘技場や祭場へと仕立て上げ、連日のように祭りや催し物を開催した。
飢えから解放され、娯楽に沸き立つ民衆は、熱狂的に私の名前を叫んだ。
「アリア万歳! 私たちの真の女王!」
彼らにとって、私は神の遣わした救世主だった。こうして私は、わずか数週間のうちに、揺るぎない民衆の支持と、彼らの忠誠を背景とした強力な地盤を作り上げた。
しかし、この地方都市での成功は、中央の王都に眠る怪物を目覚めさせるに十分すぎた。
「アリア、王都からの報せだ」
白鴉城の執務室に、革鎧を身に纏ったレイが血相を変えて飛び込んできた。彼の表情には、かつてないほどの緊張が走っている。
「国王ルードヴィヒ三世が、我が救国軍の討伐を決定した。率いるのは、王国の宿将・バルドール将軍。兵力は……近衛騎士団を含む、総勢五千の正規軍だ。すでにこちらへ向かって進軍を始めている」
五千。
対する我が軍は、急造の農民兵が集まり、土地分配法によって士気だけは天を突くほど高いものの、数としては三千に満たない。装備も、子爵の城から奪ったものはあるが、農具を改造した粗末なものが大半だった。正面からぶつかれば、数と質の暴力に圧し潰されるのは明白だった。
「バルドール将軍か。古い戦術書に名が載るほどの堅実な男ね」
私は机の上に広げた、王国全土の立体地図をじっと見つめた。五千の正規軍、重装歩兵の密集陣形、洗練された弓兵隊。彼らの強みと弱みを、瞬時に解体していく。
「レイ、敵の進軍ルートは?」
「王都からここへ至る最短の街道、ガルダ平原を通過するルートだ。遮るもののない平原だ。あそこなら、彼らの圧倒的な数と陣形を最大限に活かせるからな」
「そう、平原ね……。あそこを戦場に選ぶなんて、いかにも堅実な将軍らしいわね」
私は地図の一点、ガルダ平原のさらに手前にある、深く険しい渓谷——『亡者呼びの狭路』を指差した。
「でも、戦場を決めるのは奴らじゃない。私たちよ。バルドール将軍の『堅実さ』を、そのまま奴らの墓標に変えてあげる」
私の瞳に宿る、異常なまでの知略の光。レイはその光を見るたび、全身に鳥肌が立つのを感じるという。彼はゴクリと唾を飲み込み、私の次の言葉を待った。
──
数日後。ガルダ平原の手前、切り立った岩壁に挟まれた『亡者呼びの狭路』に、王国の討伐軍五千が差し掛かっていた。
先頭を行くのは、金色の甲冑に身を包んだ近衛騎士たち。そして中央には、巨大な白馬に跨り、長い白髭を蓄えた老将、バルドール将軍の姿があった。
「フン、農奴の分際で反乱などと。高が知れているな」
バルドールは、前方の狭路を見上げながら、鼻で笑った。
「将軍、しかしあの狭路は伏兵の危険がございます。一度、偵察を徹底させるべきでは?」
副官の進言に、バルドールは傲慢に首を振った。
「必要ない。敵は昨日まで土を掘っていただけの烏合の衆だ。農民どもなど、馬で踏みつぶして追い散らせば一瞬で終わる。戦術のなんたるかも知らぬ連中が、この険路で統制の取れた伏兵など配置できるはずもなかろう。むしろ、士気を無碍に下げることになりかねん。一気にここを駆け抜け、平原で奴らを包囲殲滅する。進め!」
王国の正規軍は、その圧倒的な練度ゆえに、一糸乱れぬ隊列のまま狭路へと進入していった。
彼らが狭路のちょうど中間地点、最も道幅が狭く、両側の岩壁が天を隠すほどに切り立った場所に達した時。
ドォン!
凄まじい爆発音が、渓谷全体に響き渡った。
それは、私たちが数日前から、崖の上の岩盤の継ぎ目に仕込んでおいた、採掘用の火薬を一度に炸裂させた音だった。
「まさか敵襲か!?」
バルドールが叫んだ瞬間、上空から信じられない規模の『岩の雨』が降り注いだ。
ただの石ではない。直径数メートルはある巨岩が、崖の上から何十、何百と転がり落ちてきたのだ。
「うわあああ!」
「引け、退け!」
強固な鉄の甲冑も、天から降り注ぐ巨岩の前には、紙細工も同然だった。一瞬にして、先頭の近衛騎士たちが馬ごと圧し潰され、肉の塊へと変わっていく。狭い通路はまたたく間に崩落した土砂と巨岩で埋め尽くされ、五千の軍勢は前方を完全に遮断された。
「狼狽えるな! 後退だ! 一度、狭路の外へ出るのだ!」
バルドールが必死に怒号を上げる。だが、その後退の指示すら、私の想定内だった。
彼らが慌てて引き返そうとしたその時、後方の入り口の崖の上からも、同様に巨岩が次々と落とされ、退路が完全に塞がれた。
前後を巨岩によって完全に閉ざされた、長さ数百メートルの「巨大な天然の檻」。
そこへ、五千の兵が過密な状態で押し込められたのだ。
「……さて、仕上げよ。レイ、始めなさい」
崖の上からその光景を見下ろしていた私は、静かに手を挙げた。
私の隣に立つレイが、大きく右腕を振り下ろす。
次の瞬間、崖の上に並んだ我が軍の兵たちが、一斉に巨大な「鞴」と、大量の「藁」を突き出した。
彼らが火をつけた藁を谷底へ落とすと同時に、特製の巨大な鞴が一斉に作動し、猛烈な『追い風』を谷底へと送り込み始めた。
それだけではない。私たちが落とした藁には、この地方の特産である、激しい刺激臭と毒性を持つ「黒硫黄の粉末」が大量に練り込んでいる。
「ゲホッ、ガハッ……! こ、この煙は……何だ!?」
「目が、目が開かない! 息が……できない!」
押し寄せたのは、ただの煙ではない。熱気と共に谷底を支配したのは、吸い込めば肺が焼けただれ、目を開ければ失明するほどの『毒煙』だった。
対流を起こした風が、狭路の奥へと毒煙を強制的に送り込んでいく。逃げ場のない檻の中で、王国の精鋭たちは、武器を振るうことすらできず、涙と血を流しながらのたうち回った。
「これが……戦いだと……? 騎士の、誉れ高き戦いを何だと思っているのだ、あの魔女め……!」
バルドール将軍は、愛馬が倒れ、自らも毒煙を吸い込んで激しく吐血しながら、崖の上を見上げた。
そこには、紅蓮の炎と黒煙を背景に、冷徹な目で見下ろす一人の少女——私の姿があった。彼の目に最後に映ったのは、戦術という名の、圧倒的な『暴力』の体現者だった。
バルドール将軍を含む五千の討伐軍は、剣を交えることすらなく、その場に折り重なって全滅した。
───
討伐軍全滅の報が王都に届いた時、王政の命脈は尽きた。
無敵と信じていた正規軍が、文字通りの「全滅」を遂げたという恐怖は、王都の貴族たちを完全に狂わせた。
私たちは、勝利の勢いのまま王都へと進軍した。
道中、守衛たちは一斉に逃げ出し、もぬけの殻同然だった。周辺の都市や村の民衆が、まるで神を拝むかのように私たちの軍へと合流し、王都に到着した時には、我が救国軍は数万の大軍勢へと膨れ上がっていた。
王都の城門は、戦う前に、内側の平民たちによって開け放たれた。
「アリア様! 私たちをお救いください!」
民衆の歓声に包まれながら、私は白馬に乗って、ルミナス王国の王宮へと堂々と入城した。
玉座の間。そこには、王冠を曲がらせ、恐怖で失禁しながらガタガタと震える国王ルードヴィヒ三世がいた。
「ひっ……、た、頼む、命だけは……! 王位はそなたに譲る! 財もすべてやる! だから……!」
「ルードヴィヒ三世」
私は玉座の階段を一段ずつ上り、彼の前に立った。私の手には、かつてギルバートから奪い、ルバール子爵を斬った、あの鋼鉄の長剣が握られている。
「あなたは、民の血を吸いすぎて、その重さを忘れてしまったのね。だから、泥の底から上がってきた私たちに、こうして引きずり下ろされるのよ」
「お、お許しを——」
命乞いの言葉が終わる前に、私は冷酷に剣を振り下ろした。
ゴトリ、と王の首が黄金の床を転がり、王冠が虚しい音を立てて外れた。
私は、血に染まったその王冠を拾い上げると、自らの頭へと戴いた。そして、誰もがいまだ恐れ多くて座れなかった、あの赤きビロードの玉座へと、深く腰掛けた。
「「「女王陛下、万歳!!!」」」
玉座の間に、そして王都全体に、割れんばかりの民衆の歓声が響き渡った。
農奴の娘が、そのカリスマ性と圧倒的な知略によって、一国の王政を完全に転覆させた。歴史が、完全に塗り替えられた瞬間だった。
───
それから、のどかで安泰な日々が始まった。
私は新女王として、即座に大規模な内政改革を行った。貴族制を事実上廃止し、能力のある平民を積極的に登用した。土地の分配によって農民たちの生産意欲は爆発的に向上し、数年のうちにルミナス王国は、周辺のどの国よりも裕福で、活気にあふれた国へと生まれ変わった。
「陛下、本日の公務の書類でございます」
執務室に、すっきりと整った軍服を着たレイが入ってきた。彼は今や、私の直属の近衛兵たちをまとめる立場となっていた。
「ありがとう、レイ。……誰もいない時は、アリアでいいと言っているでしょう?」
私は書類を受け取りながら、ふっと微笑んだ。戦場での冷酷な魔女の顔は、彼の前では完全に消え去っていた。
「ふふ、そうはいかないさ。君は今や、この国の偉大なる女王陛下だからね」
レイは少し照れくさそうに笑った。
私たちはお互いに、手を取り合うような甘い関係ではなかった。肉体的な交わりもない、どこまでもプラトニックな関係。けれど、泥の底から共に這い上がり、血の海を潜り抜けてきた私たちをつなぐ絆は、どんな恋人たちの愛よりも、深く、強く、本物だった。
「アリア、街の広場では、今日も君が催した祭りで人々が笑っているよ。本当に……のどかで、いい日だ」
レイが窓の外を見つめながら、優しく呟いた。
窓からは、豊かに実った麦畑と、平和を歌う民衆の声が風に乗って聞こえてくる。
私たちは、ついに地獄を抜け出し、こののどかな安らぎを手に入れたのだ。
この平和が、永遠に続くことを、私は心から願っていた。
そして僅か数週間後には、私達の勝利を見た周りの地域は「自分たちも帝国に対抗するために仲間に入れてほしい」と次々に同盟に加わることになっていった。
連邦樹立の礎は、急速に築かれ始めていたのだ。




