第4話:理外の蹂躙
北の峠道は、湿った土と腐葉土の混ざり合った、鼻を突くような匂いに満ちていた。
俺が周囲の地形で「硬い岩盤」のポイントを確認している横で、アイリスは退屈そうに巨大な斧を肩に担いでいる。
「……ねえ、まだ? さっきから地面ばっかり見て、何が楽しいのよ」
彼女の言葉を無視し、俺は懐から取り出した中和剤の小瓶を確認する。
大ミミズの群れは、すぐ足元まで来ている。地中の振動が、ブーツの底を通じて伝わってきた。
「アイリス、下がれ。そこは地盤が緩い。奴らが一斉に跳ねれば、足場ごと――」
「うるさいって言ったでしょ!」
俺の制止を振り切り、アイリスが地を蹴った。
直後、地面が爆発したかのように弾け、体積70cmほどの大ミミズたちが泥飛沫と共に姿を現す。
奴らは蛇腹のように身を縮め、バネのような反動で一
気に距離を詰めてきた。
「まとめて、消えなさい!」
アイリスが斧を振るう。
それは技術や型といった概念を置き去りにした、純粋な「質量」の暴力だった。
一振りで大気の壁が砕け、凄まじい衝撃波が巻き起こる。直撃したミミズたちは肉片すら残さず霧散し、その背後にあった大樹までもが圧搾されたようにへし折れ
た。
……理外の密度、か。
俺は分厚い眼鏡の位置を直し、冷静にその破壊の軌跡を分析する。
大ミミズたちは死に際に刺激臭のあるガスを撒き散らしたが、彼女の振るった斧が巻き起こした暴風が、その毒霧さえも強引に吹き飛ばしてしまった。俺が用意した
中和剤を投じる隙すら、そこにはなかった。
ものの数分。
峠道を埋め尽くしていたはずの群れは、一匹残らず沈黙していた。
静寂が戻った場所で、アイリスは汚れ一つない顔で俺
を振り返る。
「……見た? あんたの『準備』なんてなくても、私の力だけで十分なのよ」
彼女の瞳に宿るのは、大人への深い不信感と、剥き出しの敵意だ。
俺はカバンに手をかけたまま、数歩進んで彼女に声をかける。
「アイリス、待て。今回は結果オーライだが、あそこまで無闇に力を解放すれば、地盤崩落に巻き込まれるリスクがあった。それに、今の一撃で右膝に過剰な負荷が――」
「あー、もう。お説教なら他所でやって」
彼女は俺の言葉を最後まで聞こうともせず、肩をすく
めて歩き出した。
「私は結果を出した。それで文句ないでしょ。あんたはそこで、大人しく砂糖でも齧ってればいいのよ」
背中越しに投げられた言葉。
俺は手の中に残った、使うことのなかった中和剤を見つめる。
完璧な準備、完璧な作戦。それが「個」の圧倒的な暴力によって無価値に帰す。
「……やれやれ。プロのプライドも、彼女の前ではただの気休めか」
俺はため息をつき、ポケットから角砂糖を一粒取り出して口に放り込んだ。
ジャリリ、と奥歯で砕ける甘さが、今の俺にはひどく虚しく感じられた。




