第3話:プロの距離感と、湿った土の警告
クラン『開拓者たちの軌跡』の会議室。
俺は手慣れた手つきで、ぬるくなったコーヒーに四個目の角砂糖を放り込む。
向かい側に座る少女――アイリスは、組んだ足のつま先を苛立たしげに揺らし、俺を睨みつけていた。
「……いつまでそれ、やってるのよ。不気味なんだけど」
彼女の言葉には、刺すような拒絶が含まれている。
人の枠を超えた肉体の密度を持つ彼女にとって、俺のような「準備」に執着するオッサンは、理解不能な異物でしかないのだろう。
「糖分は思考のガソリンだ。これからやるのは、力任せの喧嘩じゃない。『仕事』だからな」
俺が淡々と答えると、扉が開いた。クランマスターのガーランドが、一枚の依頼書を机に置く。
「二人への初仕事だ。場所は北の峠道。対象は『大ミミズ』の群れだ」
その言葉を聞いた瞬間、アイリスの眉が微かに動いた。
大ミミズ。体長70cmほど。本来は臆病な性質だが、秋から冬にかけて地上に現れ、地盤を緩ませる厄介な存在だ。
「……ミミズ? そんな雑魚、私一人で十分でしょ。さっさと終わらせてくるわ」
吐き捨てるように言う彼女だが、視線がわずかに泳いだのを俺は見逃さなかった。
ガーランドから渡された彼女の資料には、凄惨な過去が記されていた。だが、それを今ここで突きつけるのはプロの仕事じゃない。信頼も築けていない相手の傷口に、土足で踏み込む趣味は俺にはない。
「話を聞け、アイリス。相手は群れだ。奴らは逃走時に刺激臭のあるガスを撒き散らす。嗅覚よりも目の粘膜を焼き、涙で視界を奪う厄介な代物だ。まともに浴びれば、お前の自慢の怪力も空振る。それに、奴らの掘った穴で地盤は死んでいる。下手に暴れれば、足元から掬われるぞ」
俺はカバンから、自作の「遮光ゴーグル」と、ガスの成分を中和するための薬剤を取り出した。
「これが作戦だ。まず俺が風上で中和剤を撒き、奴らの退路を限定させる。お前は指定した硬い岩盤の上から、確実に――」
「うるさいって言ってるでしょ!」
アイリスが机を叩いて立ち上がった。
「ちまちまと道具を並べて、弱者の理屈を押し付けないで。あんなの、地面ごと粉砕すれば終わりよ。あんたはそこで、大人しく砂糖でも齧ってなさい」
彼女は俺の広げた生態資料に一瞥もくれず、部屋を飛び出していった。
残されたのは、溶けきらなかった砂糖の沈殿と、湿った土の匂いが漂うような嫌な予感だけだ。
「……やれやれ。プロなら、客の我儘にも備えておくべきなんだがな」
俺はため息をつき、予備のゴーグルをもう一つカバンに詰め込んだ。
彼女が作戦を無視し、地盤の緩い場所で暴れ、ガスの目潰しを喰らう確率は――限りなく100%に近い。
「ガーランドさん。砂糖の支給を増やしておいてくれ。どうやら今回は、いつも以上に『準備』のコストがかかりそうだ」
俺は分厚い眼鏡の奥で目を細め、彼女が蹴った椅子の位置を直し、新たな「もしも」の書き込みを始めた。




