コーチング
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プレシーズンの練習試合だった。
相手は地域の下部リーグのクラブだった。本格的な試合ではなかった。でもニコラスには目的があった。
コーチングを試みることだ。
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前半十五分、ロジャーズがボールを持った。
ニコラスはロジャーズの視野に入る位置にいた。デュランが右へ流れていた。ワトキンスがニアへ動いていた。
ニコラスには見えていた。ワトキンスがニアへ動いた瞬間、DFが一枚ついた。ファーが空いた。そこへロジャーズが出せばニコラスが抜け出せる。
「ファー」と言おうとした。
でも言葉が出るころには、ロジャーズはすでに別の判断をしていた。デュランへ出した。デュランがシュートを打った。GKが弾いた。
ニコラスはその場に立っていた。
言葉が一拍遅かった。
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前半三十分、今度はワトキンスがボールを持った。
ニコラスはゴール前に入っていた。DFが二枚いた。でもワトキンスがボールを持った瞬間、右のDFの重心が少し外へ流れた。その瞬間に中へ切れ込めばフリーになれた。
「中」と言おうとした。
声が出た。でも小さかった。ワトキンスには届いていなかった。
ワトキンスは左へ流した。ニコラスが走った。ボールは来た。でもタイミングがずれていた。シュートは打てなかった。
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ハーフタイム、ベンチでニコラスは水を飲んだ。
頭の中では見えていた。どこへ動けばいい、誰がどこにいる、次は何が来る。全部見えていた。言語化もできていた。
でもそれを口に出す前に、プレーが動いていた。
サッカーは止まらない。言葉が一拍遅れると、もう意味がなかった。
エメリーがニコラスの隣に来た。
「声を出そうとしているのはわかった」とエメリーは言った。
「遅い」とニコラスは言った。
「そうだ」エメリーは言った。「でも出そうとしていることが大事だ。今日が始まりだ」
「どうすれば速くなる」
エメリーは少し間を置いた。「言葉を短くしろ。『ファーへ動け』じゃなくて『ファー』だけでいい。お前はまだ文章で伝えようとしている」
ニコラスはその言葉を聞いた。
「それから」エメリーは続けた。「プレーが起きてから言うんじゃない。起きる前に言え。お前には先が見えている。それを使え」
「先が見えていても、声に出すのが怖い」とニコラスは言った。
エメリーが少し驚いた顔をした。「怖い?」
「外れたら、チームが動いて無駄になる」
エメリーはしばらくニコラスを見た。それから言った。「外れてもいい。百回外れて一回合えばいい。最初はそれでいい」
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後半、ニコラスは意識して短い言葉を出すようにした。
「ファー」
「戻れ」
「右」
ぎこちなかった。タイミングもまだ合わなかった。でも声は出た。
ワトキンスが一度だけ、ニコラスの声に反応して動いた。
「右」と言った瞬間、ワトキンスが右へ動いた。スペースが生まれた。ロジャーズがそこへ出した。ワトキンスが受けた。シュートを打った。ポストに当たった。
ゴールにはならなかった。でもニコラスはその場面を見ていた。
声が届いた。
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練習試合が終わった後、エメリーがニコラスを呼んだ。
「後半、何回か声が出ていた」とエメリーは言った。
「ワトキンスが一回反応した」
「見ていた」エメリーは言った。「ワトキンスはお前の声に慣れている。他の選手はまだ慣れていない。時間がかかる」
「わかった」
「焦るな」エメリーは言った。「言語化を覚えるのに一年かかった。コーチングも時間がかかる。でも今日、始まった」
ニコラスは頷いた。
「もう一つ」エメリーは言った。「さっき、外れたら怖いと言った。それを言えたのは良かった」
「なぜですか」
「お前が自分の問題を言葉にできたからだ」エメリーは言った。「コーチングは相手に言葉を届けることだ。でもまず自分の中を言葉にできないと、相手にも届かない。今日、一つ進んだ」
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帰り道、ニコラスは車の中で今日の練習を振り返った。
言葉が遅かった。声が小さかった。タイミングが合わなかった。
でも一回だけ届いた。
ワトキンスが動いた。
それで十分だった。今日は。
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