ムバッペ――フランス戦
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七月九日、マドリード。サンティアゴ・ベルナベウ。
準決勝、イングランド対フランス。
バスの中でニコラスはスマートフォンでフランスの映像を見ていた。
ムバッペだった。
三十一歳になっていた。二十代の爆発的なスピードは少し落ちていたかもしれない。でもプレーの幅が違った。自分で仕掛ける場面と、周りを使う場面の使い分けが、二十代のころより格段に増えていた。
「周りを動かすことが得意な選手」という言葉が頭にあった。
今日、それを直接見ることになる。
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キックオフ前、ケインがニコラスの隣に来た。
「今日が最後かもしれない」とケインは言った。静かな声だった。
ニコラスは少し間を置いた。
「そうかもしれない」
「だから今日、俺に教えたことを使ってみろ」ケインは言った。「俺が動く。お前が逆を取る。全部出してこい」
「わかった」
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前半、フランスは4-3-3だった。
ムバッペが中央前線に入り、左右にグリーズマンの後継者たちが並んでいた。中盤にカマヴィンガとチュアメニが構えていた。
イングランドがボールを持つと、フランスのプレスが来た。でもスペインほど激しくなかった。フランスは守備よりも攻撃に重心を置いていた。
十八分、ムバッペが動いた。
左サイドへ流れた。ライスがついた。でもムバッペはボールを持っていなかった。
その瞬間、中央が空いた。
右サイドのFWが走り込んだ。チュアメニからパスが通った。シュートが来た。
マルティネスが弾いた。
ニコラスはその場面を見ていた。
ムバッペが動いてスペースを作った。自分は何もしていない。でもチームが動いた。
「あれだ」とニコラスは思った。
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三十三分、フランスが先制した。
今度はムバッペがボールを持った。右に仕掛けた。キャッシュが対応した。ムバッペが縦へ抜けた。低いクロスを入れた。
中央に走り込んでいたFWが合わせた。
一対零。
スタジアムが沸いた。フランスサポーターの声が大きかった。
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ハーフタイム、ロッカールームでトゥヘルが言った。
「ムバッペを右サイドへ誘導しろ。キャッシュではなくウォーカーが対応する。中盤はライスとメイヌーが潰す。ニコラス、後半ケインの動きをよく見ていてくれ」
「わかった」
ケインが隣に来た。「俺が教えたことを後半やれ。今日こそだ」
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後半、イングランドがペースを上げた。
メイヌーが中盤で奪う場面が増えた。ボールがよく回った。
六十二分、ケインがニアへ動いた。DFが二枚ついた。
ニコラスはファーへ走り込んでいた。
ボールが来た。
トラップして、振り向いて、シュートを打った。
同点。
スタジアムが静まった。イングランドサポーターの声が上がった。
ニコラスは右手を上げた。
ケインが歩いてきた。「それだ」とだけ言った。
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七十分以降、試合が膠着した。
どちらも点を取れなかった。慎重になった。スペースが消えた。
八十二分、ムバッペが中盤へ下りてきた。ボールを受けた。ライスが出た。
ムバッペがワンタッチではたいた。
カマヴィンガが受けた。前を向いた。
ムバッペが前線へ走った。カマヴィンガからパスが来た。
ムバッペがゴール前に入った。
シュートを打った。
マルティネスが弾いた。こぼれ球。
詰めていたFWが押し込んだ。
二対一。
スタジアムが揺れた。
ニコラスはその場面を見ていた。
ムバッペが下りてきた。ボールを受けた。はたいた。走った。戻ってきた。それだけだった。
でもその動きで、フランス全体が動いた。一つの動きがチェーン反応を起こした。
止めようがなかった。
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試合終了、二対一。
フランスがベスト4を突破した。
イングランドの選手たちがピッチに膝をついた。ライスが天を仰いだ。ベリンガムがピッチに座り込んだ。アリスターがユニフォームの首元を引っ張った。
ニコラスはピッチに立っていた。
悔しかった。でもそれより、今日見たものが頭に残っていた。
ムバッペが一つ動くと、チームが動いた。自分がボールを持っていなくても、相手を動かした。自分がボールを持ったとき、すでにチームが走っていた。
それが「周りを動かす」ということだった。
まだできていなかった。でも今日、初めてその全体像が見えた。
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ピッチで握手を交わしていると、ムバッペが来た。
「お前のゴール、良かった」とムバッペは英語で言った。
「お前の動きの方が良かった」とニコラスは返した。
ムバッペは少し笑った。「どの動きだ」
「八十二分、下りてきてはたいて走った場面だ」
ムバッペは少し間を置いた。「気づいていたか」
「見ていた」
「あれは練習で覚えたものじゃない」ムバッペは言った。「試合の中で体が動いた。年を取ってからそういう動きが増えた」
ニコラスはその言葉を聞いた。
「俺はまだそこに行けていない」
「行ける」ムバッペは言った。「お前はまだ二十一歳だろ。俺が二十一歳のとき、今日みたいなことは全然できなかった」
それだけだった。
ムバッペが次の選手と握手を交わした。
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ロッカールームで、ケインがニコラスの前に来た。
「今日のゴール、俺が動いた後に逆を取れた」とケインは言った。「できたじゃないか」
「できた」
「でも悔しそうだな」
「二点目が取れなかった」とニコラスは言った。「ムバッペの動きを見ていた。あれがまだできない」
ケインは少し間を置いた。
「俺も最後までそれは完全にはできなかった」ケインは言った。「でもお前には時間がある」
「お前は今季で引退するか」
ケインはしばらく黙った。
「たぶんそうだ」とケインは言った。「このワールドカップが終わったら、体と相談する。でもたぶんそうだ」
ニコラスは少し間を置いた。
「教えてくれてありがとう」
ケインはニコラスを見た。珍しく、少し目が赤くなっていた。
「お前みたいな選手に教えられて良かった」とケインは言った。「来季、ヴィラでやってみろ。俺が言ったことを」
「やる」
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