ワールドカップ前夜――イングランド代表
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六月十一日、セビリア。
イングランド代表のチームホテルは静かだった。
夕食が終わって、選手たちは部屋に戻るか、ロビーでまだ話しているかだった。明日の夜、ラ・カルトゥハでグループステージ初戦が始まる。
ニコラスは部屋のバルコニーに出た。
セビリアの夜は蒸し暑かった。遠くにホテルの灯りが見えた。スペインだった。父の国だった。
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ロビーへ降りると、ベリンガムとライスがソファに座っていた。
「眠れないか」とベリンガムが言った。
「少し歩きたかった」
「座れよ」ライスが言った。
ニコラスは向かいに座った。
「明日のこと考えてるか」とベリンガムが聞いた。
「考えている」
「どんなことを」
「グループ全体の動き方だ」ニコラスは言った。「初戦は相手も固く入ってくる。スペースが少ない。その中でどこを使うか」
ライスは少し笑った。「戦術的だな」
「エメリーに二年間言われ続けた」
「言語化、か」ベリンガムは言った。「インタビューで言ってたやつ」
「そうだ」
ライスは少し間を置いた。「代表でも同じようにやってくれ。お前がピッチで整理してくれると、周りが動きやすくなる」
「まだそこまではできていない」
「できているかどうかより、やろうとすることが大事だ」ライスは言った。「俺はそう思っている」
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しばらく三人で話した。
フォーデンが降りてきて加わった。パーマーも来た。気づけばテーブルに六人になっていた。
アリスターが最後に来た。
「何の集まりだ」とアリスターは言った。
「眠れない連中の集まりだ」とベリンガムが言った。
「俺も眠れない」アリスターは空いた椅子に座った。「チェスターフィールド出身二人組がワールドカップだぞ。眠れるわけがない」
ライスが笑った。「チェスターフィールドって何人プレミア選手出てるんだ」
「二人だ」とニコラスは言った。
「それがここにいる」アリスターは言った。「すごくないか」
「すごい」とニコラスは言った。珍しく、その言葉に迷いがなかった。
アリスターはニコラスを見た。「お前が『すごい』って言うの、初めて聞いた気がする」
「そうか」
「そうだよ」アリスターは笑った。「成長したな」
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零時を過ぎたころ、少しずつ解散した。
フォーデンが「そろそろ寝る」と言った。パーマーが続いた。ライスが「明日頼む」と言いながら立ち上がった。
ベリンガムがニコラスに言った。「明日、決めてくれ」
「わかった」
「PKでもいい」ベリンガムは笑った。「動じないやつが蹴るべきだ」
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最後にアリスターと二人になった。
「スペインか」とアリスターは言った。
「そうだな」
「お前の父親、スペイン人だったよな」
「そうだ」
アリスターは少し間を置いた。「何か感じるか」
ニコラスはバルコニーの方向を見た。
「父の試合の映像を見た。スペインのリーグだった」
「最近?」
「先週だ」
アリスターはそれを聞いて黙った。
「どうだった」
「悪くなかった」とニコラスは言った。「GKとして」
アリスターは頷いた。「そうか」
それだけだった。でもアリスターはそれ以上聞かなかった。昔からそういう男だった。
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部屋に戻った。
バルコニーからセビリアの夜を見た。
父はこの国でプレーしていた。自分は今、この国のピッチでワールドカップを戦う。
同じ国で、違う場所に立つ。
ニコラスはその感覚を少し確かめた。
怒りはなかった。悲しみもなかった。ただ、何かが繋がっているような感覚があった。
始まりの前から続いている何かが、明日のピッチにもあるような気がした。
スマートフォンを取り出した。グレースにメッセージを送った。
「明日、スペインでプレーする」
すぐ返信が来た。
「見てる。頑張って」
ニコラスはスマートフォンを置いた。
ベッドに入った。
目を閉じた。
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