表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
アストン・ヴィラ2年目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/111

タトゥー


---


ワールドカップ開幕の一週間前、チェスターフィールドに寄った。


グレースのアパートだった。夕食を食べた。グレースが作ったシェパーズパイだった。子供のころから変わらない味だった。


食後、二人でソファに座っていた。テレビはつけていなかった。


「ワールドカップ、緊張している?」とグレースは聞いた。


「少し」


「正直ね」グレースは笑った。「絶対『してない』って言うと思った」


「してないとは言えない」


---


しばらく静かだった。


ニコラスは自分の右腕を見た。


タトゥーが肩から手首まで入っていた。十四歳のときから少しずつ増えて、今の形になった。


「母さん」とニコラスは言った。


「何?」


「タトゥーの意味、聞いたことなかったよな」


グレースは少し間を置いた。


「聞きたかったけど、あなたが話すまで待とうと思っていた」


「いつか話す、と言っていた」


「覚えてる。去年のインタビューで言ってたやつでしょ」グレースは言った。「ずっと気になってた」


「今日話す」


---


ニコラスは右腕の袖をまくった。


肩から手首まで、黒い模様が入り組んでいた。


「全部で意味が一つあるわけじゃない」とニコラスは言った。「場所ごとに違う」


「教えて」


ニコラスは右腕の内側を向けた。


「ここに、細い傷痕が三本ある。タトゥーの下に今もある」


グレースは静かに頷いた。見えないが、知っていた。


「これを隠すために入れたのが最初だ。十四歳だった」


「そう」グレースの声は静かだった。


「隠したかったわけじゃない」とニコラスは言った。「上から何かを重ねたかった。あの傷で終わりたくなかった」


グレースは何も言わなかった。


「だから最初のタトゥーは、隠すためじゃなく、上書きするためだった。右腕を入れて、数週間後に左腕も入れた。両方同じ理由だ」


「全部、あのときの気持ちから来てるのね」


「そうだ」ニコラスは言った。「ただ、今は意味が変わってきた」


「どういうこと?」


「入れたときは、あの傷を消したかった。でも今は違う。あの傷があったから今がある、という感覚になってきた。タトゥーもその一部だ。コンヤで戦ったこと、ルガーノで優勝したこと、ヴィラでここまで来たこと、全部この腕と一緒にある」


グレースはニコラスの両腕をしばらく見た。


「最初に入れたのに、今はそういう意味になってるのね」


「時間が意味を変えた」


---


「全部見せた」とニコラスは言った。


「ありがとう」とグレースは言った。声が少し低くなっていた。


「聞いてくれてよかった」


グレースはしばらく黙っていた。それから言った。


「一つだけ聞いていい?」


「何だ」


「最初のタトゥー、十四歳のとき——私は気づいていたの。でも何も言えなかった。あの頃のこと、あなたはどう思ってる?」


ニコラスは少し間を置いた。


「母さんのせいじゃない」


「そんなことはわかってる」グレースは言った。「そういうことを聞いているんじゃなくて。あなたが、今どう思っているかを聞きたかった」


ニコラスは右腕を見た。


「あの傷がなければ、タトゥーを入れなかった。タトゥーがなければ、俺は俺を見つけられなかったかもしれない。全部繋がっている」


「後悔してない?」


「していない」とニコラスは言った。「あの時間があって、今ここにいる」


グレースは頷いた。何も言わなかった。でも少し、目が赤くなっていた。


---


「一つ言っておく」とニコラスは言った。


「何?」


「ヴィラでタイトルを取ったとき、また入れようと思っていた」


「また増えるの?」


「まだ入れていない」ニコラスは言った。「ワールドカップが終わってから考える」


グレースは少し笑った。「じゃあ楽しみにしてる」


「体に残す価値のある結果を出す」


「あなたらしいわね」グレースは言った。「条件つき」


---


帰り際、玄関でグレースが言った。


「去年のインタビューで『いつか』って言ったの、気になってたの。今日聞けてよかった」


「俺も話せてよかった」


グレースはニコラスを少し見た。


「最初に話してくれたのが私で、嬉しかった」


ニコラスは少し間を置いた。


「最初は母さんがいいと思っていた」


グレースは何も言わなかった。でも頷いた。


ニコラスは外へ出た。


チェスターフィールドの夜だった。


---

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ