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沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
チェスターフィールド

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終わりと始まり


---


エージェントから初めて連絡が来たのは、四月の中旬だった。


メッセージはシンプルだった。「あなたの試合を三試合観ました。話したいことがあります。都合のいい日を教えてください。――ゾーイ・チャン」


ニコラスはその名前を知らなかった。調べると、二十三歳の独立系エージェントで、ロンドンを拠点に活動しているとあった。写真が一枚あった。黒髪を後ろで束ねた、小柄な女性だった。


珍しいと思った。そして返信した。


---


指定されたカフェに現れたゾーイ・チャンは、写真よりも小さかった。


百六十センチあるかないかの体に、大きなトートバッグを提げていた。ニコラスが席に座っているのを見つけると、まっすぐ歩いてきて「ゾーイです」と言って手を差し出した。握手は短くて、力強かった。


「若いな」とニコラスは言った。


「あなたも」とゾーイは言った。全く動じなかった。


向かいに座って、バッグからタブレットを取り出した。画面にはデータが並んでいた。ニコラスの今シーズンのスタッツ、プレー映像のスクリーンショット、各国リーグのデータとの比較。


「単刀直入に言います」とゾーイは言った。「今あなたには四件のオファーが来ています。私はその中でどれがあなたのキャリアに最もいいかを整理してきました」


ニコラスは紅茶を頼んだ。ゾーイはコーヒーを頼んだ。


「どうして俺に連絡してきた。俺は四部の選手だぞ」


「今は四部でも」ゾーイはタブレットを向けた。「このデータを見れば、数年後にどこにいるかは明らかです。早く動いた方が双方にとっていい」


ニコラスはデータを見た。自分のプレーを数字で見るのは初めてだった。


「あなたは自分がどれだけ異常か、わかっていますか」とゾーイは続けた。「サッカー歴一年未満で、プロリーグで五十ゴール近い。前例がない」


「まだシーズン途中なので」


「だから言っているんです」ゾーイはコーヒーを一口飲んだ。「シーズンが終わる前に動きたい」


---


オファーは四件だった。


ゾーイが一件ずつ説明した。イングランド二部が二件、スコットランド一部が一件、トルコ一部のコンヤスポルが一件。


「二部の二件はローンから始めたいという条件付きです」とゾーイは言った。「一年様子を見てから買い取りオプション。正直、あなたのポテンシャルに対して不当なオファーだと思っています」


ニコラスは何も言わなかった。同じことを思っていた。


「コンヤスポルはどうですか」


ゾーイはタブレットを操作した。


「即スタメン保証。給与はこれ」と数字を見せた。「二部の倍近い。ただしトルコ語は必要になります。外国人枠の問題もある。チームの戦術とあなたのプレースタイルが合うかどうかも未知数です」


「行きます」


ゾーイは顔を上げた。


「もう少し聞かないんですか?」


「即戦力として使ってもらえるなら、そこがいい。俺はサッカーを始めるのが遅かった。様子を見られてる時間はない」


ゾーイはしばらくニコラスを見た。値踏みするような目だった。それから何かを決めたように、小さく頷いた。


「わかりました。ただ条件の交渉はさせてください。今の数字で満足しないことです。」


「任せる」


「もう一つだけ聞いていいですか?」ゾーイはタブレットを閉じながら言った。「最終的にどこに行きたいですか?」


ニコラスは少し間を置いた。


「プレミア」


ゾーイは表情を変えなかった。驚きもせず、否定もしなかった。ただ少し考えるように目を細めた。


「では話が早いです」と彼女は言った。「コンヤスポルはそのための一手です。即戦力として結果を出せば、欧州のクラブの目に触れる。でもトルコから直接プレミアに行くのは難しい。もう一段、踏み台が必要です」


「どこですか」


「それは結果次第です。ただ私が考えているのは、欧州カップ戦に出られるクラブ、かつあなたを中心に戦術を組む意欲のある環境です。コンヤで何が足りなかったかを整理して、次はそれを補える場所を選ぶ」


ニコラスはしばらく黙っていた。


「信頼できるチームということか」


「そうです」ゾーイは頷いた。「あなたは技術より先に環境で損をするタイプです。チームが機能すれば、あなたはどこでも得点できる。だから次の選択は、数字だけで決めない」


ニコラスはテーブルの上のお茶を見た。もう冷めていた。


「わかった」


「言質を取りましたよ」ゾーイはすでにスマホを取り出していた。「あと、トルコ語のアプリ、今すぐ入れてください。一日三十分でいいので」


ニコラスは少し間を置いた。


「代理人の仕事か、それは」


「余計なお世話です。でもやってください」ゾーイは立ち上がりながら言った。「語学ができないと孤立します。あなたには孤立してほしくない」


言いたいことだけ言って、コーヒーを飲み干して、バッグを肩にかけた。


「次は契約書を持ってきます。来週また連絡します」


そのまま店を出ていった。


ニコラスはしばらくカフェの出口を見ていた。


これまで会ったことのない種類の人間だった。


---


ゲイリーに話したのは、その三日後だった。


練習後、二人でグラウンドに残った。夕方の光が斜めに差して、芝が金色に見えた。ニコラスは移籍の話をした。短く、事実だけを。


ゲイリーは黙って聞いていた。


「トルコか」と彼は言った。


「はい」


「エージェントはついたのか」


「ゾーイ・チャンという人です。二十三歳」


ゲイリーは少し目を細めた。「若いな」


「俺よりは年上なので」


「そりゃそうだ」ゲイリーは小さく笑った。それからグラウンドを見渡した。「なぜ二部じゃないんだ」


「即戦力として使ってもらえるからです」


「それだけか?」


ニコラスは少し間を置いた。


「二部にいたら、次が見えなくなる気がしました」


「次って?」


また間があった。ニコラスには珍しく、言葉を探しているような間だった。


「プレミアに行きたい」


ゲイリーは振り返った。


ニコラスは芝を見ていた。


「アリスターと同じ舞台に立ちたい。あいつのおかげでサッカーに出会えたんです。だから、いつかあいつと同じところに立ちたい」


ゲイリーはしばらく黙っていた。


「それを本人に言ったことはあるのか?」


「ないです」


「なんでだ」


「まだそのレベルまで達していないからです」


ゲイリーは何も言わなかった。でも表情が変わった。叱るでも、諭すでもない。何か深いところで納得したような顔だった。


「お前ならいつかそこに行くだろう」とゲイリーは言った。断言するように。「俺にはわかる。長くやってきたからな」


ニコラスは答えなかった。


「ただ」とゲイリーは続けた。「トルコは簡単じゃないぞ。言葉も文化も違う。孤独になる」


「慣れています」


ゲイリーはニコラスの横顔を見た。


「そういうことを平然と言うのが、お前の強さでもあり、心配なところでもあるな」


ニコラスは何も言わなかった。


二人でしばらく、黄金色のグラウンドを見ていた。


---


テリーに話したのは翌日の朝、例の飯の時間だった。


タッパーを受け取って、ニコラスが「来月からトルコに行きます」と言った。


テリーはスクランブルエッグを掬おうとしたフォークを止めた。


「は?」


「コンヤスポルというクラブです。トルコの一部」


テリーはしばらくニコラスを見た。


「急だなおい」


「決めたら早い方がいいので」


「そりゃそうだが」テリーは頭を掻いた。「驚くだろ、普通。朝飯食いながら言うことか」


「いつ言えばよかったですか」


「それは……まあ、そうだけど」テリーはフォークを置いた。「…寂しいな」


ニコラスは少し間を置いた。


「俺もです」


テリーは目を丸くした。ニコラスがそういうことを言うのは珍しかった。


「言えたのか、そういうこと」


「本当のことですから」


テリーはしばらく黙っていた。それから鼻をすすった。


「泣かないでください」とニコラスは言った。


「泣いてない」


「目が赤いです」


「朝日が眩しいんだ」


ニコラスは何も言わなかった。でも口の端が少し動いた。


---


移籍の話はすぐにチーム全体に広まった。


ロッカールームの雰囲気が変わった。誰も責めなかった。誰も引き止めようとしなかった。それが余計に、ニコラスには重かった。


マッコールが言った。「正しい選択だ。上に行け」


別のベテランが言った。「トルコの飯は旨いぞ」


みんな笑った。ニコラスも少し笑った。


最後の練習の日、ゲイリーがチームを集めた。


「ニコラスが来月からトルコに行く。みんな知ってると思うが、改めて言っておきたいことがある」


ゲイリーは一呼吸置いた。


「こいつが来たとき、俺は正直、半信半疑だった。サッカー歴半年、十七歳。うまくいくわけがないと思っていた部分もあった」


静かだった。


「でも俺が間違っていた。こいつは誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰った。一度も手を抜かなかった。文句も言わなかった。チームのために走り続けた」


ゲイリーはニコラスを見た。


「お前と一緒にやれて、よかった」


ロッカールームが拍手で満ちた。テリーがまた目を赤くしていた。


ニコラスは前を向いていた。何も言わなかった。でも目が、普段とほんの少しだけ違っていた。


---


最終日の朝、ニコラスはいつもより一時間早くグラウンドに来た。


誰もいなかった。


ボールを一個持って、ゴールの前に立った。蹴った。ネットが揺れた。また蹴った。また揺れた。何度も繰り返した。フォームはまだ粗かった。でも半年前より綺麗になっていた。


一時間後、チームメイトが来始めた。


テリーが来た。タッパーを持っていた。


「最後だからって特別メニューだ」と言って蓋を開けた。スコーンが入っていた。


ニコラスは少し固まった。


「なんで」


「お母さんのスコーンが好きだって言ってたから。奥さんに作ってもらった」


ニコラスはスコーンを見た。それから一つ手に取って、食べた。


母のものとは少し違った。でも温かかった。


「旨いか」


「旨いです」


「だろう」テリーは満足そうに笑った。「たまには連絡してこいよ。ゴール決めたら教えてくれ」


「教えます」


「全部は無理だろ。お前の場合」


ニコラスは何も言わなかった。でも口の端が動いた。


---


チェスターフィールドを発つ前夜、テリーが家に来た。


奥さんと一緒だった。グレースと以前から顔見知りだったらしく、二人はすぐにお茶を飲みながら話し始めた。ニコラスとテリーはリビングで黙ってスコーンを食べていた。


帰り際、テリーの奥さんがグレースに言った。


「ニックがいない間、何かあったら連絡して。近所だから」


グレースは少し驚いた顔をした。それから静かに微笑んだ。


「ありがとう」


ニコラスはその横顔を見た。何も言わなかった。


テリーが小声で「心配するな」と言った。「お母さんのことは俺たちがいる。お前はサッカーだけ考えろ」


ニコラスは頷いた。言葉が出なかった。


---


チェスターフィールドを発つ日、ニコラスは朝早く家を出た。


グレースが玄関まで来た。碧いスカーフを首に巻いていた。


「気をつけて」と彼女は言った。


「うん」


「ご飯ちゃんと食べるのよ」


「食べるよ」


「無理しないで」


ニコラスは少し間を置いた。


「無理しないと追いつけないから、無理する」


グレースは息子を見た。それから小さく笑った。


「そうね」


ニコラスは振り返って、歩き始めた。


朝のチェスターフィールドは静かだった。商店街はまだシャッターが閉まっていた。駅に向かう道を歩きながら、ニコラスは街を見た。生まれた街。育った街。逃げ出したかった街。


でも今は、少しだけ違う風に見えた。


この街がニコラスを作った。暗い部分も、温かい部分も、全部。


駅のホームに立って、電車を待った。


スマホを開くと、ゾーイからメッセージが来ていた。


「トルコ語アプリ、入れましたか」


ニコラスは少し間を置いてから返信した。


「入れた」


「嘘をついたら契約解除です」


「入れた」


「よし。頑張ってください。あなたならできます」


ニコラスはスマホをポケットに入れた。


空は灰色だった。いつものチェスターフィールドの空だった。


次に帰って来るときは、プレミアの選手としてだ。


誰に言うでもなく、そう思った。


電車が来た。

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