スパイク
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六月の中旬、ワールドカップ開幕の直前だった。
ゾーイから電話が来た。
「ナイキから正式なオファーが来ています」
「スパイクか」
「スパイク契約です。長期、複数年。条件は後で送りますが、数字はかなり良いです」ゾーイは言った。「ただ、それだけじゃないんです」
「どういうことだ」
「ナイキは広告キャンペーンも一緒にやりたいと言っています。ワールドカップのタイミングに合わせた映像広告です」
ニコラスは少し間を置いた。
「俺が広告に出るのか」
「そういうことです」
「断れるか」
「スパイク契約だけにすることもできます」ゾーイは言った。「ただ、話だけでも聞いてみませんか。担当者が直接会いたいと言っています」
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代表合宿の空き時間に、ゾーイが連れてきたナイキの担当者と会った。
三十代の男だった。スーツではなくナイキのジャケットを着ていた。名前はジェームズと言った。
「今日はありがとうございます」とジェームズは言った。「単刀直入に話させてください」
「そうしてくれ」
「我々はロメロ選手に、スパイク契約と広告キャンペーンをお願いしたいと思っています」ジェームズは言った。「今回のキャンペーンのコンセプトは一つです。言葉じゃなく、プレーで語る選手」
ニコラスは少し間を置いた。
「それは」
「ロメロ選手のことです」ジェームズは言った。「インタビューを見ました。試合映像を何時間も見ました。ロメロ選手は話さない。でもプレーで全部語っている。それが今、世界中に伝わっています」
「広告で何を撮りたいんだ」
「プレーです」ジェームズは言った。「セリフはいりません。ロメロ選手がボールを受けて、DFを外して、ゴールを決める。それだけです。余計なものは何もいらない」
ニコラスはジェームズを見た。
「本当にそれだけか」
「本当にそれだけです」
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その夜、ゾーイと二人で話した。
「どう思いましたか」とゾーイは聞いた。
「嫌いじゃない」
ゾーイは少し驚いた顔をした。「珍しいですね、そういう反応」
「セリフがないなら、俺に向いている」
「確かに」ゾーイは笑った。「でも一つ聞いていいですか。スパイクにこだわりはありますか。履き心地とか」
ニコラスは少し考えた。
チェスターフィールドのころは、安いスパイクしか買えなかった。コンヤでは支給されたものを履いた。ルガーノでも同じだった。ヴィラに来てから、初めて自分で選んで買った。
「ゴールを決められれば何でもいい」とニコラスは言った。
「ナイキのスパイクで決めてきましたよね、今季のゴールは全部」
「そうだったか」
「そうです」ゾーイは言った。「気づいていなかったんですか」
「履き心地がいいとは思っていた」
ゾーイは少し笑った。「それで十分です。では進めていいですか」
「頼む」
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一週間後、契約書にサインした。
ゾーイが横にいた。
書類の最後のページにサインを書いた。
「これでナイキの選手です」とゾーイは言った。
ニコラスはペンを置いた。
チェスターフィールドで初めてスパイクを買ったのはいつだったか。安いものしか買えなかった。半年も履くと底が剥がれてきた。それで初めてまともにボールを蹴った。
そこから六年。今、世界最大のスポーツブランドと契約した。
「どんな気分ですか」とゾーイは聞いた。
「よくわからない」
「そうですよね」ゾーイは言った。「ただ、一つ言いいいですか」
「何だ」
「あなたが最初のオファーを断ったとき、私はいつか必ずもっと大きな話が来ると思っていました」
「最初のオファーとは」
「ヴィラ1年目のオフシーズン、複数のブランドから接触がありました。全部断りましたよね。あなたが関心を示さなかったので」
ニコラスは少し考えた。そういえばそういう話があった、とぼんやり思い出した。
「今回は違ったのか」とゾーイは聞いた。
「セリフがない」とニコラスは言った。「それだけだ」
ゾーイは頷いた。「それがロメロさんらしいと思います」
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数日後、代表合宿の練習後にベリンガムが近づいてきた。
「ナイキと契約したのか」ベリンガムは言った。
「そうだ」
「俺もナイキだ」ベリンガムは言った。「お揃いだな」
「スパイクが同じでもプレーは変わらない」
ベリンガムは少し笑った。「そりゃそうだ」
それだけだった。
でも翌日の練習で、ナイキのスタッフが新しいスパイクを持ってきた。
黒いスパイクだった。
ニコラスはそれを手に取った。軽かった。
グラウンドへ出た。
ボールを蹴った。
変わらなかった。ゴールに向かう感覚は、チェスターフィールドのころからずっと同じだった。
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