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沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
アストン・ヴィラ2年目

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外側②


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## テリーの店


六月の初旬だった。


テリーはカウンターの奥でスマートフォンを見ていた。BBCスポーツの記事が出ていた。


「ニコラス・ロメロ――プレミア連続年度得点2位、優勝の立役者、その正体」


去年も似たような記事があった。あのときは「何者か」という見出しだった。今年は「その正体」になっていた。少し近づいた、とテリーは思った。


写真はあのPKの瞬間だった。スポットに立って、静かにGKを見ている場面だった。


テリーはその写真をしばらく見た。


あの子が十六歳でここに来たとき、ボールの蹴り方も知らなかった。それが今、プレミアのチャンピオンだった。


「プレミア優勝だぞ」とテリーは奥さんに言った。


「知ってる」と奥さんは言った。


「タッパー持って練習場に行ってた子がプレミア優勝だぞ」


「何度も言ってる」


テリーはスマートフォンを置いた。それから壁のユニフォームを見た。9番。


「すごいな」


奥さんは何も言わなかった。でも少し笑っていた。


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## コンヤスポル、トルコ


エムレ・ドスサントスは練習場のベンチに座って、スマートフォンを見ていた。


ニコラスがプレミアを制した翌日、トルコのスポーツ紙がいくつか記事を出していた。「コンヤスポルが育てた男」という見出しのものがあった。


エムレは少し苦笑した。育てたわけではない。あの選手は来たときからすでに完成していた。自分たちがしたのは場所を与えただけだった。


でも一つだけ、コンヤが与えたものがあるとすれば、とエムレは思った。


チームが信頼できない環境でも、三十八ゴールを取り続けた経験だ。あの選手はコンヤで、どんな状況でも自分のプレーを維持する強さを持っていることを証明した。


その強さが、今のヴィラでのプレーの土台になっているとしたら——エムレは少しだけ誇らしかった。


スマートフォンを閉じた。今日の練習が始まる。


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## FCルガーノ、スイス


監督室で、マルコス・ドスサントスはモニターを見ていた。


ルガーノの監督だった。ニコラスがいたころからチームを率いていた。


最終節の映像を何度か見直していた。特にPKの場面と、その直後を。


あの選手がルガーノにいたころ、PKを任せたことがあった。そのときも静かにボールを置いて、GKを見て、蹴った。ネットが揺れた。その後、特に喜ばなかった。「当然のことをした」という顔だった。


でも今日のPKの後は違った。


コーナーフラッグへ走って、チームメイトに押しつぶされていた。あの選手があんな顔で喜ぶのを、マルコスは初めて見た。


ヴィラで変わったものがある、とマルコスは思った。


マルコスはモニターを消した。


来季、ルガーノはUEFAヨーロッパリーグに出場する。小さな舞台だった。でもあの選手がここを踏み台にしてプレミアへ行ったように、今いる選手たちも次の場所へ行ける。


そういうクラブになれた、と思った。


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## ヨーロッパ各国メディア


スペイン、マルカ紙:

「バルセロナとレアルが争奪戦か。ロメロ獲得に動くべき理由」


ドイツ、キッカー誌:

「バイエルンのスカウト陣がヴィラ戦を複数回視察。ロメロの獲得調査は本物か」


イタリア、ガゼッタ・デロ・スポルト紙:

「インテルとユベントスが関心。セリエAに来れば間違いなくスター」


フランス、レキップ紙:

「PSGの幹部がロメロ陣営と接触。来季の移籍市場最大の目玉か」


どの記事も、同じことを書いていた。ヴィラが手放すかどうか、それだけが問題だと。


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## BBCスポーツ、コメント欄


「PKの場面、何度見ても鳥肌。七万人の前で全く動じてないのが信じられない」


「去年の『何者か』から今年は『正体』に進化した記事タイトルで笑った」


「チェスターフィールド出身って言葉、去年は驚きだったけど今年は当たり前になってきた感がある」


「16歳からサッカー始めて6年でプレミア王者」


「↑しかも得点王はハーランドにあと1点届かなかっただけ。来年取るやつだろ」


「インタビューで『言葉を覚えたことが一番大きかった』って言ってたの何度も見返した。何を言ってるかわからないけどなんかわかる」


「タトゥーの意味まだ言わない男」


「あのPKの前に全然表情変わらなかったの、人間じゃないと思った」


「↑でもゴール後にコーナーフラッグ向かって全力疾走してたの普通に好き。去年と違う」


「去年から見てたけど今年の変化が顕著すぎる。ワトキンスとの連携とか、ポストプレーとか、去年とは別の選手みたいだった」


「プレミア初年度19点、2年目34点。この伸び方おかしい」


「↑しかも2トップでポストプレーもやりながらこの数字」


「チェスターフィールドFCのグラウンド聖地化されてるらしい」


「顔がいいのは去年も言ったけど今年はそれ以上に佇まいがすごくなってる気がする」


「スペインとドイツとイタリアとフランスのメディアが全部獲りに来てるの草。どこも行かないでくれ」


「ヴィラがどう引き留めるか見もの。この選手の年俸、今の三倍出しても安いと思う」


「タトゥーの腕でPK決めて優勝した男ってもう絵になりすぎる」


「来季もヴィラにいてくれ頼む」


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## チェスターフィールドFC、若い選手たち


FCのグラウンドで、練習後に若い選手が二人残っていた。十七歳と十八歳だった。


スマートフォンでニコラスの動画を見ていた。


「ここで練習してたんだよな」と一人が言った。


「そうらしい」ともう一人が言った。「朝一番に来て、最後まで残ってたって聞いた」


「プロになって五年でプレミア王者って」


「しかも4部から」


二人はしばらく動画を見ていた。


反転シュートの場面だった。DFを背負った状態から、一瞬で向きを変えてゴールに突き刺す。


「あれどうやるんだろう」


「わからん。でも」と一人が言った。「同じグラウンドで練習してたって考えると、なんか信じられる気がしない?」


もう一人は少し考えた。


「信じられる、かどうかはわからない。でもやってみようとは思う」


二人はボールを持ってゴールの前に立った。


夕暮れのグラウンドに、ボールの音が続いた。


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## グレースのアパート、チェスターフィールド


グレースのスマートフォンには通知が来ていた。


隣の席の同僚から。「息子さんがニュースに出てましたね」。スーパーのレジで並んでいたときに後ろの人から。「ロメロさんって、もしかして」。かかりつけの医者から診察の終わりに。「最終節のPK、見ました」。


去年もそういうことはあった。でも今年は頻度が違った。


グレースは通知を一つ一つ読んだ。


チェスターフィールドの街でニコラスのことを知っている人間が増えた。去年まで「サッカーの選手なんですね」という反応だった人間が、今年は「プレミア優勝しましたね」と言ってくる。


グレースは少し不思議な気持ちになった。


息子は変わっていなかった。でも息子を見る目が変わった。


あの子がどれだけすごいかを、他の人たちがやっと追いついてきた、という感覚だった。


それと同時に、少し心配なこともあった。


スペインの新聞、ドイツの雑誌、イタリアのサイト。ニコラスを取り合う記事が出ていた。グレースはサッカーのことは詳しくなかった。でもニコラスが今いる場所より大きなクラブが欲しがっているということはわかった。


どこへ行くにしても、それはニコラスが決めることだった。


でも日本旅行に行く約束を思い出した。ワールドカップが終わったら連れて行くと言っていた。


どこへ行っても、ただのニコラスでいてほしかった。


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## ゾーイの仕事場


ゾーイは画面に向かっていた。


今季終了から一週間で、ニコラスの名前の検索量は去年の三倍になっていた。プレミア優勝、PKで優勝決定打、インタビューでの「言葉を覚えたことが一番大きかった」という発言。その三つが重なって、去年とは違う層に届いていた。


去年のインタビューは「短すぎる、無口、タトゥー」という方向で広まった。


今年は違った。「言葉を覚えた」という発言を、サッカーを知らない人間が面白がっていた。どういう意味なのか考察する記事が出ていた。スポーツ選手の言語化についての議論が起きていた。


ゾーイの受信箱には五十三件のメッセージが来ていた。


スポーツブランド、ファッションブランド、時計メーカー、飲料メーカー、自動車メーカー。去年も来ていたが今年は数が違った。内容も違った。去年は「検討してください」だった。今年は「条件を提示させてください」だった。


ゾーイは一件一件読んだ。断るものと、保留にするものと、話を聞くものを仕分けた。


ニコラスは広告に興味がなかった。でも今季のインタビューで「言葉を覚えた」と言ったことで、ブランド側のニコラスへの見方が変わっていた。「無口で謎めいた選手」ではなく「自分の成長を言語化できる選手」として映り始めていた。


それは扱いやすくなった、という意味ではなかった。


それは深みが増した、という意味だった。


ゾーイはメモを開いた。


去年書いた想定スケジュールに追記した。


「タトゥーの意味」という項目がまだ残っていた。


ニコラスが「いつか」と言ってから二年が経った。注目はあのときより大きくなっていた。でもまだ早い、とゾーイは思った。


ニコラス自身が「話す」と決めたとき、初めてその瞬間が来る。


それまで待つのが自分の仕事だった。


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