オファー
---
四月の第一週、ゾーイから電話が来た。
「時間をもらえますか」とゾーイは言った。「少し長くなります」
「今でいい」
「まず整理させてください」ゾーイは言った。「今季、複数のクラブからコンタクトが来ています。正式オファーが二件、意向確認が三件です」
「全部話せ」
「レアル・マドリード。正式オファーです。現在の年俸の三倍以上、複数年契約、移籍金はヴィラ側に提示済みです」
ニコラスは黙って聞いた。
「バイエルン・ミュンヘン。こちらも正式オファーです。条件はレアルに近い水準です」
「意向確認は」
「バルセロナ、インテル・ミラノ、パリ・サンジェルマンです。三クラブとも、移籍の意向があるかどうかを確認してきています」
しばらく沈黙があった。
「五クラブか」とニコラスは言った。
「そうです」ゾーイは言った。「プレミア1年目の終わりに問い合わせが来ていましたが、あのときとは規模が違います。あのときは様子見でした。今回は本気です」
---
「断る」
「全部ですか」
「全部だ」
「理由を聞かせてもらえますか」ゾーイは言った。「私への報告として、ではなく、あなた自身の整理として」
ニコラスは少し考えた。エメリーに言語化を求められるのと同じ感覚だった。
「今季、取れていないものがある」
「リーグとCLですね」
「そうだ。残り七試合でシティとの差は二だ。CLは準決勝がある。どちらもまだ取れていない」
「それは今断る理由です」とゾーイは言った。「来季以降も断る理由ですか」
ニコラスはそこで少し止まった。
「来季は別だ」
「つまり今季終わったら、可能性はあるということですか」
「ある」
「正直に言ってくれてありがとうございます」ゾーイは言った。「では今断る理由をもう少し言語化してもらえますか。私が各クラブへ返答するときの参考にします」
ニコラスは少し間を置いた。
「ここで取るものが残っている、というのが第一だ。もう一つある」
「何ですか」
「今のヴィラは俺がいるべき場所だとわかっている。エメリーがいる。ワトキンスがいる。チームとして今が一番機能している時期だ。それを途中で終わらせたくない」
ゾーイはしばらく黙っていた。
「去年と変わりましたね」とゾーイは言った。
「何が」
「去年は『まだ取れていないものがある』だけでした。今年はチームについても話せるようになった」
ニコラスはその言葉を聞いた。
「チームの勝利を大事にするのは、プロになったころからそうだった。でも今は言葉にできる。なぜ大事かが、自分の中で整理されてきた」
「どう整理されているのですか」
「ゴールを決めたいというエゴは今もある。でもチームが機能していなければゴールを決める場面も来ない。ヴィラに来てから、その二つが別のものじゃないとわかってきた」
ゾーイは少し間を置いた。
「言語化しようとした結果ですか」
「エメリーに言われ続けた結果だ」
「エメリーの影響ですか」
「そうだ」
---
「一つ確認させてください」とゾーイは言った。「五クラブすべて、同じ返答でよいですか。今季は断る、シーズン終了後に改めてお答えする、という形で」
「そうしてくれ」
「わかりました」ゾーイは言った。「全クラブへ今週中に同じ内容で返答します」
---
電話を切った後、ニコラスはしばらく窓の外を見た。
五クラブ。レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘン、バルセロナ、インテル・ミラノ、パリ・サンジェルマン。
名前を頭の中で並べた。どれも知っているクラブだった。でも戦ったことがあるのはレアルだけだった。他のクラブのことを、自分はどれだけ知っているのか。
スマートフォンを取り出した。バイエルンの直近の試合を検索した。しばらく眺めた。それからインテルの試合を検索した。
今季やることが終わっていない。でも見ておくことはできる。
---
翌日の練習後、エメリーに呼ばれた。
「フロントから連絡があった」とエメリーは言った。「オファーの件だ」
「知っています」
「お前の意向は」
「今季はヴィラにいます。やることが終わっていない」
エメリーはニコラスを少し見た。
「終わったら」
ニコラスは少し間を置いた。
「それはそのときに考えます」
「正直だな」エメリーは言った。
「言語化しようとした結果です」
エメリーは短く笑った。ニコラスがエメリーに笑わせたのは、初めてだった。
「残り七試合だ」とエメリーは言った。「やることをやれ」
「はい」
---
その夜、ゾーイからメッセージが来た。
「レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘン、インテル・ミラノ、パリ・サンジェルマン、バルセロナ、全クラブへ今週中に同じ内容で返答します。シーズン終了後に改めてお答えする、という形で。よろしいですか」
「頼む」と返した。
しばらくして、もう一つメッセージが来た。
「一つだけ。今回保留にしたクラブから、シーズン終了後に改めて打診が来ます。準備しておきます」
ニコラスは少し考えてから「わかった」と返した。
ゾーイは常に一手先を考えていた。ニコラスが今保留にしても、ゾーイは次のための準備をしていた。チェスターフィールドのころからそうだった。
---




