チェスターフィールドの男たち
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チームの練習は午前十時に始まる。
ニコラスが来るのは八時だった。誰もいないグラウンドでボールを蹴って、十時になるとチームメイトが続々と現れた。みんな口が達者だった。駐車場から声が飛び交い、ロッカールームは着替える前から笑い声が溢れた。
最初、ニコラスはその賑やかさの少し外側にいた。
輪に入らなかったわけではない。ただ、どう入ればいいかわからなかった。裏通りの人間たちとは違う種類の明るさで、学校にほとんど行かなかったニコラスには、その距離感が少し掴みにくかった。
それを変えたのは、テリー・バンクスだった。
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テリーは三十八歳のサイドバックで、チームの中で一番よく喋った。チェスターフィールド生まれのチェスターフィールド育ちで、顔中にそばかすがあり、笑うと目が消えた。サッカーの腕前は平均的だったが、ロッカールームの空気を作る才能は天下一品だった。
テリーがニコラスに最初に言ったのはこれだった。
「お前、朝飯食ってるか?」
練習二日目の朝、グラウンドの端でボールを蹴っているニコラスに近づいてきて、開口一番そう言った。
「食べてます」
「そうか、何を食べてるんだ?」
「トースト」
テリーは大げさに眉をひそめた。
「それだけか?お前の体格でトースト一枚か」
「二枚です」
「同じだ」テリーは腕を組んだ。「明日から練習前にここに来い。俺が飯を食わせてやる」
ニコラスは少し間を置いた。
「なぜですか」
「なぜって、そりゃお前が細いからだ」
「百九十センチ、九十九キロです」
「そんなに動いてたら足りないに決まってる」テリーは笑った。「遠慮するな。うちの奥さんの飯は旨いから」
翌日、ニコラスは言われた通りに来た。テリーの奥さんが作ったというタッパーの中には、スクランブルエッグとベーコンと豆が入っていた。ニコラスは黙って全部食べた。
「旨いか」
「はい」
「そうだろう」テリーは満足そうに頷いた。「明日も持ってくるからな」
それが習慣になった。
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テリーを皮切りに、チームメイトたちのニコラスへの接し方が少しずつ変わっていった。
変わったというより、近づいてきた、という方が正確だった。
マッコールはときどき練習後にパブへ誘った。ニコラスは酒を飲まなかったが、ジンジャーエールを頼んで隅に座り、チームメイトたちの話を聞いた。三十代のベテランたちの話は、昔の試合の話や、怪我の話や、子供の話が多かった。ニコラスはほとんど喋らなかったが、聞いていた。
「お前、子供は好きか」とマッコールが一度聞いた。
「わかりません。あまり関わったことがないので」
「そうか。俺には三人いる」マッコールはスマホの画面を見せた。「こいつらのためにまだ現役でいる」
ニコラスは画面を見た。小さな子供が三人、芝生の上で笑っていた。
何か言おうとして、言葉が見つからなかった。ただ頷いた。
マッコールはそれで十分だと思ったようだった。
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ゲイリーはニコラスにとって、少し特別な存在になっていた。
父親と呼ぶには違う何かで、兄と呼ぶには年が離れすぎていた。ピッチの上では最前線と最後列に分かれているので、試合中に直接絡むことはほとんどなかった。でもピッチの外では、ゲイリーはいつもニコラスの少し後ろにいた。出すぎず、でも消えない距離感で。
ある水曜日の練習後、二人でグラウンドに残った。ゲイリーがポジショニングについて話していて、ニコラスが聞いていた。夕方の光が横から差して、グラウンドが橙色に染まっていた。
「お前はGKの動きを読むのがうまい」とゲイリーが言った。「天性のものか、それとも何か理由があるのか」
ニコラスはボールを足の下で転がしながら、少し考えた。
「父親がGKでした」
ゲイリーは何も言わなかった。
「ラ・リーガの2部でやってたと、母から聞きました。俺が生まれる前に怪我で引退したそうです」
「そうか」
それだけだった。ゲイリーはそれ以上聞かなかった。ニコラスも続けなかった。
ただ、言葉が空気に溶けてから、ニコラスは一度だけリビングの額縁を思い出した。「1番」と書かれたユニフォーム。埃をかぶっていた、あの額縁。
なぜ自分がGKの動きを読めるのか、考えたことがなかった。
ボールを蹴った。ゴール左隅に突き刺さった。
考えるより先に、体が知っていた。
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十一月のアウェイゲームで、ニコラスは一度だけ判断を誤った。
後半の残り十分、一対一の場面だった。右サイドを抜け出してGKと一対一になり、左に流し込もうとした。GKが読んでいた。弾かれた。
ベンチに戻ったとき、誰も何も言わなかった。
試合はそのまま引き分けに終わった。ロッカールームは静かだった。コーチが短く総括して、それで終わりだった。
帰りのバスの中で、ニコラスは窓の外を見ていた。あの場面を何度も巻き戻した。GKはあの瞬間、わずかに左へ重心を移していた。見えていた。なのに同じ方向に蹴った。なぜか。
隣にテリーが座ってきた。
「考えすぎるな」
「考えてません」
「嘘つけ、顔に書いてある」テリーは背もたれに深く沈んだ。「俺も若いころ、ミスした夜は眠れなかった。でもな、次の試合で取り返せばいい。それだけだ」
ニコラスは窓の外を見たまま答えなかった。
「わかってます」
「本当か」
「次は外しません」
テリーはしばらくニコラスの横顔を見た。それから何も言わずに目を閉じた。
次の試合、ニコラスはハットトリックを決めた。一対一の場面が来たとき、GKの重心を確認してから、逆を突いた。ボールがネットを揺らした瞬間、ベンチからテリーの声が飛んできた。
「それだ!」
ニコラスは振り返らなかった。でも、聞こえていた。
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十月のある試合後、チームは近くのパブで打ち上げをした。
ニコラスも来た。テリーが「来い」と言ったので来た。
店の奥の長いテーブルに、十数人が座った。ビールのジョッキが並んで、声が重なって、笑い声が途切れなかった。ニコラスはジンジャーエールを持って端に座り、その騒がしさの中にいた。
テリーの隣のベテランが、突然ニコラスに話しかけてきた。
「お前、タトゥーいつ入れたんだ」
「十四のとき」
「十四?」男は目を丸くした。「何を入れたんだ」
「模様です。特に意味はない」
テリーが口を挟んだ。「痛くなかったのか」
「痛かったです」
「なんで入れたんだ」
少し間があった。
「そういう時期でした」
テリーはニコラスの顔を見て、それ以上聞かなかった。聞かない判断ができる男だった。代わりに「まあ似合ってるからいいか」と言って、ジョッキを持ち上げた。
「俺のデビュー当時の話していいか」とゲイリーが言った。場の空気が変わった。全員がゲイリーを見た。
「俺がデビューしたのはお前と同じ四部だ。でも俺は全然うまくなかったから、最初の試合で相手FWに五回抜かれた」
笑い声が上がった。
「五回も?」とマッコールが言った。
「五回だ。コーチに怒鳴られて、ハーフタイムに泣いた」
「嘘だろ」
「本当だ」ゲイリーは笑った。「でも後半に一本だけクリアができて、それがなんとなく自信になった。そこから少しずつだ」
テーブルが静かになった。ベテランたちがそれぞれ何かを思い出しているような顔をしていた。
ニコラスはジンジャーエールを飲みながら、その顔を見ていた。みんな、こうやって積み上げてきたのだと思った。うまくない時期があって、怒られた夜があって、それでもここにいる。
「ニコラスはデビュー戦でゴール決めたもんな」とテリーが言った。「羨ましい話だ」
「ビギナーズラックです」
「そう言える謙虚さがいい」マッコールが笑った。「来月もそのラックが続くといいな」
ニコラスは何も言わなかった。
ラックじゃない、と思っていた。でも言わなかった。言う必要がなかった。証明するのはピッチの上だけでいい。
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十一月の中旬、アウェイでの試合のことを、相手チームのセンターバックは長く覚えていると思う。
ニコラスと対峙したのは、その試合が初めてだった。スカウティングで映像は見ていたし、十七歳、半年のキャリア、得点は多いが技術は粗い。そう聞いていた。だから体を当てれば止められると思っていた。
前半十分、最初のデュエルで、その考えは消えた。
ボールが入った瞬間、ニコラスの体が動いた。技術的に洗練された動きではなかった。ただ、質量と速度と意志が一点に集中していた。肩をぶつけられた瞬間、重心が完全に持っていかれた。気づいたときにはニコラスはボールと一緒に前を向いていた。
シュートは枠を外れた。その試合で唯一、外れたシュートだった。
マークを変えた。二枚にした。それでもニコラスを止めることはできなかった。パスを受ける前から動いていた。どこにボールが来るかを知っているような動き方だった。
後半三十分、CKからの折り返しをニコラスが頭で合わせた。
GKは動けなかった。コースが読めなかったのではない。ただ、ボールがそこに来ると分かっていても間に合わなかった。
試合後、そのセンターバックはチームメイトに言った。
「あいつ、本当に十七歳か?」
誰も答えなかった。
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十一月の終わり、チームの順位は二位だった。
得点ランキングのトップにニコラスの名前があった。十七節を終えて、二十一得点。チームの総得点の半分以上をニコラスが叩き出していた。
地元紙が小さな記事を書いた。「チェスターフィールドに現れた怪物」というタイトルだった。
テリーがその記事をロッカールームに持ってきて、ニコラスの顔に押しつけた。
「読んだか。怪物だそうだ」
ニコラスは記事を見た。自分の名前が書いてあった。
「怪物って書いてあるぞ」とテリーは繰り返した。「どう思う?」
「別に」
「別にって、普通もっと喜ぶだろ」
「まだシーズンは終わってないので」
テリーは天井を見上げた。
「こいつに感情はあるのか」
「あります」とニコラスは言った。「ゴールを決めると嬉しいです」
「それだけか」
「それで十分です」
ロッカールームが笑いに包まれた。ニコラスはロッカーに記事を入れて、シューズの紐を結んだ。
嬉しくないわけではなかった。
ただ、嬉しさよりも、もっと決めたいという気持ちの方が、いつも少しだけ大きかった。
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十二月のある朝、練習の前にテリーの飯を食べながら、ニコラスは空を見上げた。
灰色だった。いつものチェスターフィールドの空だった。
子供のころから見てきた空と、何も変わらなかった。でも自分は変わった。グラウンドに立つ理由ができた。帰ったら母が待っている。ロッカールームには笑い声がある。
「何見てるんだ」とテリーが聞いた。
「空です」
「詩人みたいなこと言うな」テリーは笑った。「早く食え、冷める」
ニコラスはタッパーに視線を戻した。
スクランブルエッグが湯気を立てていた。




