終盤
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四月、アーセナルとのアウェイ戦の前日。
ニコラスはホテルの部屋で天井を見ていた。
エミレーツ・スタジアム。六万人。アーセナルはプレミア最長の連勝中だった。このまま勝ち続ければ優勝が見えてくる、とメディアは書いていた。逆に言えば——ヴィラがここで勝てば、首位に立つ。
ゾーイから来たメッセージを読み返した。
「現在リーグ十五ゴール。得点ランクは現時点で三位です。この試合、上位二チームが直接対決なので、他のチームとの差が縮まるタイミングでもあります」
ニコラスはスマートフォンを置いた。
得点ランクより、明日の試合に勝つことだけを考えていた。
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試合当日、エミレーツの空気はアンフィールドともオールド・トラッフォードとも違った。
整然としていた。スタジアムの設計が新しく、音の反響が均一だった。でもその均一さの中に、静かな圧があった。赤と白のスタンドが、ヴィラのアウェイ席を囲んでいた。
アップでピッチに出たとき、ニコラスはゴールを見た。
ここに二点入れる。それだけだった。
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試合が始まった。
アーセナルは速かった。連勝中のチームには独特の流れがある。自分たちのやり方が正しいという確信が、動きに出ていた。パスが速く、プレスが鋭く、ポジションの修正が早かった。
ニコラスは前線で動き続けた。マークが来た。外した。また来た。
二十四分、アーセナルが先制した。
サカが右サイドでボールを持った。キャッシュが出た。サカは止まらなかった。縦に一歩、横に一歩、それだけで体が入れ替わっていた。クロスが上がった。ヴィラのDFが競り負けた。ヘッドで合わせられた。
〇対一。
エミレーツが揺れた。
ニコラスはポジションへ戻りながら、サカの動きを頭の中で再生した。
止まった瞬間がなかった。常に次の動きへ向かっていた。判断が速いというより、判断と動作の間に隙間がない。AKIと似た種類の速さだった。でもAKIがスペースへ向かうなら、サカはマークの逆を突く。
取り返す。それだけだった。
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三十八分、ニコラスにボールが来た。
ペナルティエリアの外、右寄りだった。
DFが来た。
ターンした。逆を突いた。
エリアに入った。
シュートコースが開いた。
右足で蹴った。
低く、速く、ファーポストの内側へ。
入った。
一対一。
アウェイ席が声を上げた。ヴィラのベンチが立った。
ニコラスは右手を上げた。
同点だ。このまま勝てる。
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前半が一対一で終わった。
ロッカールームでエメリーが言った。
「後半、もう一点取れ。お前たちは今日、首位に立てる」
誰かが頷いた。ニコラスは静かに聞いていた。
首位。その言葉の重さより、後半四十五分のことだけを考えていた。
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後半、両チームが激しく動いた。
アーセナルが押した。マルティネスが二本止めた。
ヴィラが押した。ロジャーズが仕掛けた。ニコラスがポストプレーして落とした。サンチョのシュートがGKに弾かれた。
六十七分、ニコラスがまたボールを受けた。
ペナルティエリアの左端。難しい角度だった。
DFが一枚来た。
シュートするか、待つか。
一瞬だけ考えた。
シュートした。
巻いた。
ポストに当たった。
外れた。
スタンドがため息をついた。ニコラスは顔を上げた。惜しかった、とは思わなかった。
次だ。
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七十六分。
アーセナルが勝ち越した。
サカが縦に仕掛けた。ヴィラの守備が引きつけられた。逆サイドへ展開した。コーナーキックからの混戦。マルティネスが弾いたボールを押し込まれた。
二対一。
エミレーツが再び揺れた。
残り十四分。
ニコラスは息を吐いた。
取れる。まだ取れる。
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八十二分、オナナが前線へフィードした。
ニコラスが走った。DFと競り合いながら受けた。
ターンした。
エリアの外だった。距離があった。
GKが少し前に出ていた。
蹴った。
浮かせた。
GKが戻ろうとした。
届かなかった。
バーを叩いた。
入らなかった。
今日一番に惜しかった、とニコラスは思った。
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その後、ヴィラは押し込み続けた。
でも届かなかった。
試合は二対一でアーセナルが勝った。
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エミレーツを出た夜、バスの中でニコラスは窓の外を見ていた。
負けた。
アーセナルとの直接対決に負けた。
ゾーイからメッセージが来た。
「アーセナル、勝ち点七十九。ヴィラ、勝ち点七十五。ユナイテッド、勝ち点七十四。残り四節です」
差が開いた。
ニコラスはそれを読んで、スマートフォンを置いた。
終わったわけではない。でも険しくなった。
アリスターからメッセージが来た。
「今日の結果、見てた。バーは惜しかった」
テレビで見ていたのか。ニコラスは少し間を置いてから返した。
「次で取り返す」
「そっちが言うか」とアリスターは返した。
ニコラスは返信しなかった。
バスがロンドンの夜を走った。
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残り四節、ヴィラは三勝一敗だった。
アーセナルは四節を三勝一分で乗り切った。
最終節が終わった。
アーセナルが優勝した。
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最終節、ヴィラはホームでブレントフォードに二対〇で勝った。
ニコラスは二点取った。
リーグ十九ゴール。
試合後、スタジアムのモニターにアーセナルの試合結果が映った。
アーセナルの優勝が確定した瞬間、ヴィラパークに複雑な空気が漂った。自分たちも勝った。でも届かなかった。
エメリーが全員を集めた。
「残念だ。でも誇りを持て。今日まで三チームが競い合ったのは、お前たちがいたからだ。来季、また戦う」
誰かが頷いた。
ニコラスは着替えながら、一年間を頭の中に並べた。
バーミンガムに来た。適応した。点を取った。負けた。取り返した。また負けた。また取った。シーズンが終わった。
優勝はできなかった。
でも何かが、確かに変わった。自分の中に、プレミアというものが入ってきた。体が知った。
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ゾーイから確定の数字が来た。
「リーグ十九ゴール。得点ランク二位。ハーランドが二十一ゴールで得点王でした。プレミア1年目での十九ゴールは、クラブ史上最高の1年目記録です」
ニコラスはそれを読んだ。
二位。
ハーランドに届かなかった。あと二点だった。
でも、来季がある。
ゾーイに返信した。
「わかった」
それだけ送った。
しばらくして返信が来た。
「……それだけですか」
「来季取る」
少し間があった。
「それがあなたのリアクションですね」
「そうだ」
「わかりました。また来季も一緒に頑張りましょう」
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翌日、AKIからメッセージが来た。
```
@aki_kojima21:
お疲れ様でした!
19ゴール、すごいじゃないですか
リバプール戦で止めた俺が言うのも何ですが笑
来季はもっとやられそうで今から怖いです
```
ニコラスは少し考えてから返した。
```
@nicholas.romero9:
来季はもっと取る。
覚悟しておけ。
```
```
@aki_kojima21:
それはこっちのセリフですよ!!
来季もよろしくお願いします
```
ニコラスはスマートフォムを置いた。
「覚悟しておけ」と送ったことを、少し後から考えた。
自分がそういう言葉を送ることが、一年前にはなかった気がした。
何かが変わっている。少しずつ、確かに。
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アリスターからメッセージが来たのは、その夜だった。
「今シーズンお疲れ。来季も首位争いしよう」
ニコラスは少し間を置いてから返した。
「来季は優勝する」
「俺もだ」とアリスターは返した。「楽しみにしてる」
「楽しみ」という言葉が、少し自分の中に入ってきた気がした。
来季。また始まる。
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五月の終わり、ニコラスはチェスターフィールドへ帰った。
グレースの家に荷物を置いて、街を少し歩いた。
変わっていなかった。灰色の空、レンガの建物、狭い路地。チェスターフィールドは、ニコラスが出ていった日から何も変わっていなかった。
変わったのは自分だけだった。
テリーの店に顔を出した。
「ニック!」テリーが声を上げた。「来てくれたか」
「来た」
テリーの奥さんが奥から出てきた。壁を見ると、9番のヴィラのユニフォームが額に入って飾られていた。
ニコラスはそれを見た。
リビングの1番のユニフォームを思い出した。
9番と1番。
「見てたよ」とテリーが言った。「アーセナルに惜しかったな」
「来季取る」
「そうじゃなきゃな」テリーは笑った。「スコーン焼いてあるぞ。食っていけ」
バターと砂糖の匂いが漂ってきた。
ニコラスはカウンターに肘をついた。
バーミンガムとチェスターフィールド。プレミアとこの小さな街。
どちらも、自分の場所だった。
初めてそう思った。
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その夜、グレースと二人で夕食を食べた。
「どうだった」とグレースが聞いた。
「良かった」とニコラスは答えた。
「優勝できなかったけど」
「できなかった。でも良かった」
グレースはしばらくニコラスを見た。
「来季は優勝するの」
「する」
「根拠は」グレースは少し笑った。
「来季は俺が取る番だから」
グレースは何も言わなかった。でも目が細くなった。
窓の外は暗かった。チェスターフィールドの夜は静かだった。
ニコラスはスープを飲んだ。
温かかった。
ここから始まった。ここに戻ってくる。そしてまた出ていく。
それでいい、と思った。
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