七万人
-----
三月の中旬、グレースがまたバーミンガムに来た。
十二月に来たときは夜の試合だった。スタンドで声を出してくれた。ニコラスには見えなかったが、声を出していたのは後から聞いた。
今回は昼間の試合だった。
「今度はちゃんと見える席にしてほしいって言ってたでしょ」とグレースは電話で言った。
「用意した」
「どこ?」
「ゴール裏じゃない。ちゃんと見える場所だ」
「嬉しいわ」とグレースは言った。
-----
試合当日、ニコラスはグラウンドに出る前にグレースのいる席を確認した。
今回は位置がわかっていた。十二月は人の流れに紛れてどこにいるか見えなかった。今日はわかる。
-----
試合が始まった。
序盤、ニコラスはマークを外す動きを繰り返した。相手のDFが二枚で対応してきた。十月以降、ずっとそうだった。一枚の頃は遠かった。
二十一分、ロジャーズがボールを持った瞬間、ニコラスはエリアの外から走り込んだ。DFが一枚ついてきた。もう一枚はロジャーズを見ていた。
その一枚の内側へ、体ごと入った。
DFが来た。
止まらなかった。
右足を振った。
低く、速く。
入った。
スタジアムが揺れた。
右手を上げた。グレースのいる方向を向いた。
見えた。
七万人の中で、グレースが立っていた。小さかった。でも碧いスカーフが見えた。十二月に来たときと同じスカーフだった。
声は聞こえなかった。でも口が動いていた。
何を言っているかはわからなかった。でも見えた。
-----
試合はヴィラが二対〇で勝った。
ニコラスが二点取った。
-----
試合後、スタジアムの外でグレースと合流した。
人の流れがまだ多かった。グレースは柱のそばで待っていた。
「今日は見えたか」とニコラスは聞いた。
「両方見えたわ」とグレースは言った。「一点目の方が好きだった」
「なぜ」
「あなたが止まらなかった。DFが来ても、体が前に進んでいた」グレースは少し間を置いた。「チェスターフィールドで初めて試合を見たとき、あなたはゴールを決めても誰も見なかった。次のポジションに戻っていた。今日はゴールを決めてこっちを向いてくれた。それが嬉しかった」
「十二月も向いた」
「あのときは見えなかったって言ったでしょ」グレースは笑った。「今日は見えた。それで十分よ」
-----
カフェに入った。十二月にも来た店だった。窓際の席が空いていた。
「チェスターフィールドの人たちが、よくあなたの話をするのよ」とグレースは言った。コーヒーを両手で包みながら。
「誰が」
「近所の人、スーパーの人、テリーさんも。みんなテレビで見てる。ヴィラのユニフォームを買った人もいるって聞いた」
「9番を」
「そうよ」グレースは少し笑った。「チェスターフィールドの人間がヴィラのユニフォームを着るのよ。あなたのせいで」
ニコラスは何も言わなかった。
「悪い意味じゃないわよ」グレースはコーヒーを飲んだ。「あなたのことを誇りに思ってる人が増えた、ということ」
誇り、という言葉をニコラスは少し考えた。
自分がサッカーを始めたのは十六歳だった。チェスターフィールドの誰かが誇りに思うようなことは、当時は何もなかった。タトゥーを入れて、どこへも向かっていなかった。
でも今はそうなっている。
「母さんはどうだ」
「私?」グレースは少し目が細くなった。「私はずっとそうよ。変わらない」
-----
駅まで送った。
改札の前でグレースが振り返った。
「来季も来るわよ」
「わかった」
「タイトルを取ったら来る。負けてても来る」グレースは言った。「試合に勝っても負けても、あなたがピッチに立っているなら来る」
ニコラスは少し間を置いた。
「来てくれ」
グレースは頷いた。改札に向かった。
三歩ほど行って、振り返らなかった。
それがグレースのやり方だった。振り返らない。でもまた来る。
ニコラスは改札が閉まるまで、その場に立っていた。
-----




