データ
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十月の第二週、ゾーイがバーミンガムに来た。
ロンドンから電車で一時間半。いつもより大きいトートバッグを持っていた。
「なぜバーミンガムに来た」とニコラスは聞いた。
「メッセージじゃ伝わらないことがあるので」とゾーイは言った。「直接見せたいものがあります」
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クラブ近くのカフェに入った。
ゾーイはコーヒーを頼んだ。ニコラスはお茶を頼んだ。それはコンヤのころから変わっていなかった。
「リバプール戦の後から、状況が変わっています」とゾーイはタブレットを取り出しながら言った。
「負けた試合か」
「負けた試合です。でも見られ方が変わった」
画面にデータが並んだ。各チームのスカウティングレポートの傾向分析、ニコラスの動きパターンを示すヒートマップ、マーカーの枚数の試合ごとの推移。
「リバプール戦以降、対戦チームのニコラスへのマーク枚数が増えています。平均一・八枚から二・三枚に上がった。今後さらに増える可能性があります」
ニコラスはそれを見た。
体で感じていたことが、数字になっていた。
「わかっていた」
「わかっていたと思います。でも見える化しておきたかった」ゾーイは画面をスクロールした。「それから、これ」
別のデータが出た。ニコラスのシュートコースの分布。右足、左足、ヘッド。コースのパターン。
「コース分析も共有されています。特に右足のシュート、ファーポスト狙いの傾向が読まれ始めている。先週の試合でGKが事前にポジションを変えていたのは、その対策です」
ニコラスはコーヒーカップを置くゾーイの手を少し見た。
「それも体で感じていた」
「そうでしょう」ゾーイは頷いた。「でもニコラスが感じているものと、相手チームが数字で把握しているものが一致してきた。それは次の段階に入ったということです」
「次の段階」
「対策された上でどう取るか、ということです。今まではルガーノでもコンヤでも、対策はされてきた。でもプレミアの精度とスピードで対策されるのは初めてです」
ニコラスは画面を見た。自分の動きが、赤いヒートマップとして可視化されていた。
自分の体が、データになっている。その事実を初めて実感した。でも怖くはなかった。むしろ、次にどうするかが見えてきた気がした。
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「もう一つ話したいことがあります」とゾーイは言った。タブレットを閉じた。
「なんだ」
「メディアです。リバプール戦の後、イギリスのスポーツメディアがニコラスに注目し始めています。インタビューの依頼が今週だけで四件来ました。スポンサーからの打診も二件」
「断れ」
ゾーイは少し間を置いた。
「全部、ですか」
「全部」
「理由を聞いてもいいですか」
「今は関係ない」
ゾーイはそれを聞いて、何か言おうとして、やめた。一秒考えてから、また口を開いた。
「わかりました。ただ、将来的には向き合う必要があります。それだけ伝えておきます」
「将来向き合う」
「そうです。今じゃなくていい」
ニコラスはお茶を飲んだ。ゾーイはコーヒーを飲んだ。
しばらく何も言わなかった。
窓の外にバーミンガムの灰色の空があった。
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「バーミンガムはどうですか」とゾーイが聞いた。
業務の話ではない口調だった。
「灰色だ」
「チェスターフィールドに似ていますか」
「似ている」
「それは良かった」ゾーイは少し笑った。「似ていない街だったら、もっと時間がかかったかもしれない」
ニコラスは窓の外を見た。
「お前はコンヤのとき、プレミアに行けると思っていたか」
ゾーイは少し驚いた顔をした。ニコラスが過去について聞くのは珍しかった。
「思っていました」
「根拠は」
「データです」ゾーイは迷わず言った。「コンヤのデータ、ルガーノのデータ。上積みの速度が異常だった。止まる理由がなかった」
「でも止まる可能性もあった」
「ありました。怪我、環境、メンタル。どれか一つが崩れれば止まる」
「止まらなかった」
「止まらなかった」ゾーイは頷いた。「それはニコラスが止まらなかったからです」
ニコラスは何も言わなかった。
ゾーイがここまで言葉にするのは珍しかった。いつもは数字と予定表と戦略の話をする。でも今日は少し違った。バーミンガムまで来て、直接話した理由が、データだけではなかったのかもしれないとニコラスは思った。
「いつからエージェントをやっている」
「二十二歳からです」
「今いくつだ」
「二十五です」
ニコラスより六歳上だった。でも六歳の差がどこかに消えているような会話だった。
「お前もまだ一年目みたいなものだな」
ゾーイは一瞬、目が止まった。それから少し笑った。
「そうかもしれません。プレミアのクライアントは、ニコラスが初めてです」
「そうだったのか」
「そうです」
二人はまた少し黙った。
「うまくやれているか」とニコラスは聞いた。
「今のところは」とゾーイは答えた。「でも判断が合っているかどうかは、もう少し時間が経たないとわかりません」
「俺もそうだ」
ゾーイはそれを聞いて、また少し笑った。今度は最初より自然な笑い方だった。
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カフェを出た。
外の空気は冷たかった。十月のバーミンガムは、もう冬に近かった。
「データのことは考えておく」とニコラスは言った。
「お願いします。コースを増やすことと、読まれにくいタイミングを作ることが優先です」
「わかった」
「インタビューは引き続き全部断ります。でもシーズンが終わったら、一度話しましょう」
「そのときに話す」
ゾーイはバッグを肩にかけた。
「駅まで歩きます」
「送る」
「大丈夫です」ゾーイは首を振った。「ニコラスは練習があるでしょう」
「午後からだ」
ゾーイは少し考えてから、「ではお願いします」と言った。
二人で駅へ向かって歩いた。
バーミンガムの灰色の街が、二人の両側にあった。
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