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沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
アストン・ヴィラ1年目

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30/116

ハヤブサ


-----


リバプール戦は十月の初旬だった。


アウェイ。アンフィールド。


ヴィラのバスが駐車場に入ったとき、スタジアムの外にはもうサポーターが集まっていた。赤いスカーフ、赤いジャケット。試合前から声が出ていた。


ニコラスはバスの窓から外を見た。


アンフィールドは知っていた。映像で見たことがあった。でも実際に来るのは初めてだった。


大きい。でも大きさよりも、密度が違った。建物と人と声が、一つの塊になっているような圧があった。


バスを降りたとき、その圧が体に当たった。


-----


アップでピッチに出た。


赤いユニフォームが向こう側でアップをしていた。ニコラスはその中に21番を探した。


すぐ見つかった。


小さかった。チームメイトたちと比べても、明らかに小さかった。171センチ。ニコラスより頭二つ分低い。黒い長髪を後ろで束ねていた。


だが走るとき、その体の空気の切り方が違った。


ボールを持って加速するとき、周囲の空間が変わった。スピードが乗るだけじゃない。方向を変えるときも速度が落ちない。DFをあしらうように、流れるような動きだった。


ニコラスはそれを少し見た。


技術的な観察として見ていた。相手の21番は右より左サイドが得意、縦突破が主な武器、中に切り込むパターンもある。守備ではキャッシュかコンサが対応するだろう。


それだけを考えていた。


-----


試合が始まった。


前半、リバプールが押し込んだ。


アンフィールドの声援がホームの勢いを作っていた。ニコラスはそれを体で感じながら、自分のポジションを保った。


二十一分、21番がボールを持った。


左サイドでの1対1。キャッシュが対応した。縦に仕掛けた。キャッシュが粘った。


そこで21番は止まらなかった。


切り返した。


キャッシュが出てくる前に、もう体が変わっていた。判断ではなかった。予測でもなかった。キャッシュが動く気配を感じた瞬間に、体がもう答えを出していた。


そのままクロスを上げた。


ファーサイドで合わせられた。


一対〇。


-----


ニコラスはその場面を、ゴール前から見ていた。


あの切り返しは——


自分がペナルティエリアの中で動くときと、同じだ。


その気づきは、静かに来た。感嘆もなかった。ただ、そうだと思った。体が先に動く。考える前に体が答えを知っている。あの選手も、同じようにしてピッチで生きている。


-----


ヴィラは追いつこうとした。


ティーレマンスが繋いで、ロジャーズが仕掛けた。ニコラスがエリアに侵入した。クロスが来た。


合わなかった。


別の形で攻めた。ニコラスがポストプレーして落とした。シュートが枠を外れた。


リバプールの守備は速かった。ニコラスがボールを受けるたびに、二枚がかりで来ることがあった。プレミア1年目のFWとしてではなく、ヴィラの得点源として、明確にマークされていた。


それがプレミアだった。対策されている。ルガーノでも対策はされたが、ここは速度も強度も別次元だった。


後半も押し込んだ。でも届かなかった。


一対〇で試合が終わった。


-----


試合後、通路で21番と鉢合わせた。


向こうもシャワーを終えたばかりだった。長髪が濡れていた。


目が合った。


21番は笑った。


自然な笑顔だった。勝った側だったが、それだけじゃない笑い方だった。暗さも驕りもなかった。今この瞬間だけで生きているような顔だった。


ニコラスは何も言わなかった。


21番が英語で言った。流暢ではなかった。でも伝わった。


「いい試合だったよ。マークきつかったのに動き続けてたじゃないですか」


「負けた」とニコラスは言った。


「それはそう」21番は笑ったまま言った。「でも俺、さっきのロメロさんのポストプレー見てて、どうやってあのタイミングで体入れるんだろうって思ってた」


ニコラスは少し間を置いた。


「お前の一点目のクロス前、あの切り返しはどう判断した」


21番は一瞬、目を細めた。それから少し違う顔になった。笑顔のままだったが、その奥が変わった。


「……判断、してないかもしれない」


「そうだと思った」


「なんで」


「体が先に動いていたから。考える前に答えが出ていた」


21番はしばらくニコラスを見た。


「それ、俺が一番うまく説明できないやつを、なんで初めて会った人に言われるんだろ」


独り言のような言い方だった。でもニコラスに向けていた。


「俺も同じだから、見えた」


21番はそれを聞いて、また笑った。でも今度は最初の笑顔と少し違った。何か、腑に落ちたような顔だった。


「また話したい」と21番は言った。「DMしていいですか」


ニコラスは少し間を置いた。


「いい」


-----


四日後、Instagramにメッセージが来た。


```

@aki_kojima21:

Hey! アキです。先日はありがとうございました。

「俺も同じだから見えた」ってずっと頭に残ってます笑

ロメロさんはそれを意識してコントロールできてますか?

あと日本語通じます?

```


ニコラスはそのメッセージをしばらく見た。


日本語はわからない。「意識してコントロール」という問いに、すぐ答えが出なかった。


自分はしているのか?


わからなかった。意識しているというより、そうなっている。でも外したとき、次に何かがわかる。それはコントロールなのか、ただ積み重なっているだけなのか。


五日間、返事をしなかった。


返事をしないのは、無視しているのではなかった。どう答えるかを、考えていた。


正確には——答えようとしていることに、ニコラス自身が少し驚いていた。


他の選手から同じことを聞かれても、ここまで考えなかっただろう。


でもこの21番、小島暁人、AKIという選手が聞いてくるのは、違った。


試合中に見えたものがあった。体が先に動く、という感覚。あれをこの選手は自覚しているのか、していないのか。そして——プレミアで四年間、その感覚だけを武器に戦い続けてきた選手が、どうやってここまで来たのか。


自分はまだ一年目だ。


対策される。点が取れない試合がある。あの感覚で四年先を走っている人間から、何かを聞ける。


-----


六日後、ニコラスは返信した。


```

@nicholas.romero9:

日本語はわからない。

意識してコントロールはしていないと思う。

でも外したあとに、何かわかることがある。

それだけだ。

お前はプレミア何年目だ。

```


しばらくして返信が来た。


```

@aki_kojima21:

4年目です!

ロメロさんより先輩ですね笑

「外したあとに何かわかる」、すごくわかります

俺も似たような感覚がある気がする

でもそれを言語化できたことがなくて

なんか気づいたらそうなってる、っていう

```


ニコラスはその文章を読んだ。


「なんか気づいたらそうなってる」。


自分が言葉にできなかったことを、この選手も言葉にできていなかった。


でも四年間、その感覚でプレミアを戦ってきた。


```

@nicholas.romero9:

プレミア1年目で対策された試合、どうしていた。

```


少し間があった。


```

@aki_kojima21:

めっちゃ聞いてくれるじゃないですか笑

そうですね……

最初は全然うまくいかなくて、ジェイデンとルイスに相談してました

でも結局、体が慣れるのを待つしかなかった気がします

対策されても、対策より速く動けるようになるっていうか

言語化むずかしいですね笑

ロメロさんは今うまくいってない感じですか?

```


ニコラスは少し考えた。


うまくいっていないとは思っていない。でも今日のような試合が、また来る。対策される。そのたびに、どうするかを体が学ぶしかない。


それはわかっていた。でも同じ感覚で四年先を行く人間から聞くのは、別の重さがあった。


```

@nicholas.romero9:

今日は負けた。

対策された。

でもわかったことがあった。

```


```

@aki_kojima21:

それです!!

それが全部だと思います

また試合で会いましょう

今度は俺が負けます(嘘です勝ちます)

```


ニコラスはスマートフォンを置いた。


最後の一文が、少し可笑しかった。


可笑しいと思ったことを、ニコラスは少し意外に感じた。


-----


その夜、ニコラスは今日の試合を頭の中でなぞった。


一対〇。負けた。


対策された。マークが二枚来た。でもそのたびに、どこかが見えた。次にどう動くかを、体が少し知った。


AKIは「対策より速く動けるようになる」と言った。言語化が難しいと言いながら、それを四年かけて実践してきた。


同じ感覚で、四年先にいる。


笑いながら、でも目は冷静で、プレミアを戦っている。


自分とは違う歩き方だ、とニコラスは思った。でも向かっている方向は、同じかもしれない。


そういう人間が、同じ時代のプレミアにいる。


ニコラスはそれを、少し面白いと思った。


そして「面白い」と思ったことを、また少し意外に感じた。


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