ハヤブサ
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リバプール戦は十月の初旬だった。
アウェイ。アンフィールド。
ヴィラのバスが駐車場に入ったとき、スタジアムの外にはもうサポーターが集まっていた。赤いスカーフ、赤いジャケット。試合前から声が出ていた。
ニコラスはバスの窓から外を見た。
アンフィールドは知っていた。映像で見たことがあった。でも実際に来るのは初めてだった。
大きい。でも大きさよりも、密度が違った。建物と人と声が、一つの塊になっているような圧があった。
バスを降りたとき、その圧が体に当たった。
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アップでピッチに出た。
赤いユニフォームが向こう側でアップをしていた。ニコラスはその中に21番を探した。
すぐ見つかった。
小さかった。チームメイトたちと比べても、明らかに小さかった。171センチ。ニコラスより頭二つ分低い。黒い長髪を後ろで束ねていた。
だが走るとき、その体の空気の切り方が違った。
ボールを持って加速するとき、周囲の空間が変わった。スピードが乗るだけじゃない。方向を変えるときも速度が落ちない。DFをあしらうように、流れるような動きだった。
ニコラスはそれを少し見た。
技術的な観察として見ていた。相手の21番は右より左サイドが得意、縦突破が主な武器、中に切り込むパターンもある。守備ではキャッシュかコンサが対応するだろう。
それだけを考えていた。
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試合が始まった。
前半、リバプールが押し込んだ。
アンフィールドの声援がホームの勢いを作っていた。ニコラスはそれを体で感じながら、自分のポジションを保った。
二十一分、21番がボールを持った。
左サイドでの1対1。キャッシュが対応した。縦に仕掛けた。キャッシュが粘った。
そこで21番は止まらなかった。
切り返した。
キャッシュが出てくる前に、もう体が変わっていた。判断ではなかった。予測でもなかった。キャッシュが動く気配を感じた瞬間に、体がもう答えを出していた。
そのままクロスを上げた。
ファーサイドで合わせられた。
一対〇。
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ニコラスはその場面を、ゴール前から見ていた。
あの切り返しは——
自分がペナルティエリアの中で動くときと、同じだ。
その気づきは、静かに来た。感嘆もなかった。ただ、そうだと思った。体が先に動く。考える前に体が答えを知っている。あの選手も、同じようにしてピッチで生きている。
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ヴィラは追いつこうとした。
ティーレマンスが繋いで、ロジャーズが仕掛けた。ニコラスがエリアに侵入した。クロスが来た。
合わなかった。
別の形で攻めた。ニコラスがポストプレーして落とした。シュートが枠を外れた。
リバプールの守備は速かった。ニコラスがボールを受けるたびに、二枚がかりで来ることがあった。プレミア1年目のFWとしてではなく、ヴィラの得点源として、明確にマークされていた。
それがプレミアだった。対策されている。ルガーノでも対策はされたが、ここは速度も強度も別次元だった。
後半も押し込んだ。でも届かなかった。
一対〇で試合が終わった。
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試合後、通路で21番と鉢合わせた。
向こうもシャワーを終えたばかりだった。長髪が濡れていた。
目が合った。
21番は笑った。
自然な笑顔だった。勝った側だったが、それだけじゃない笑い方だった。暗さも驕りもなかった。今この瞬間だけで生きているような顔だった。
ニコラスは何も言わなかった。
21番が英語で言った。流暢ではなかった。でも伝わった。
「いい試合だったよ。マークきつかったのに動き続けてたじゃないですか」
「負けた」とニコラスは言った。
「それはそう」21番は笑ったまま言った。「でも俺、さっきのロメロさんのポストプレー見てて、どうやってあのタイミングで体入れるんだろうって思ってた」
ニコラスは少し間を置いた。
「お前の一点目のクロス前、あの切り返しはどう判断した」
21番は一瞬、目を細めた。それから少し違う顔になった。笑顔のままだったが、その奥が変わった。
「……判断、してないかもしれない」
「そうだと思った」
「なんで」
「体が先に動いていたから。考える前に答えが出ていた」
21番はしばらくニコラスを見た。
「それ、俺が一番うまく説明できないやつを、なんで初めて会った人に言われるんだろ」
独り言のような言い方だった。でもニコラスに向けていた。
「俺も同じだから、見えた」
21番はそれを聞いて、また笑った。でも今度は最初の笑顔と少し違った。何か、腑に落ちたような顔だった。
「また話したい」と21番は言った。「DMしていいですか」
ニコラスは少し間を置いた。
「いい」
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四日後、Instagramにメッセージが来た。
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@aki_kojima21:
Hey! アキです。先日はありがとうございました。
「俺も同じだから見えた」ってずっと頭に残ってます笑
ロメロさんはそれを意識してコントロールできてますか?
あと日本語通じます?
```
ニコラスはそのメッセージをしばらく見た。
日本語はわからない。「意識してコントロール」という問いに、すぐ答えが出なかった。
自分はしているのか?
わからなかった。意識しているというより、そうなっている。でも外したとき、次に何かがわかる。それはコントロールなのか、ただ積み重なっているだけなのか。
五日間、返事をしなかった。
返事をしないのは、無視しているのではなかった。どう答えるかを、考えていた。
正確には——答えようとしていることに、ニコラス自身が少し驚いていた。
他の選手から同じことを聞かれても、ここまで考えなかっただろう。
でもこの21番、小島暁人、AKIという選手が聞いてくるのは、違った。
試合中に見えたものがあった。体が先に動く、という感覚。あれをこの選手は自覚しているのか、していないのか。そして——プレミアで四年間、その感覚だけを武器に戦い続けてきた選手が、どうやってここまで来たのか。
自分はまだ一年目だ。
対策される。点が取れない試合がある。あの感覚で四年先を走っている人間から、何かを聞ける。
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六日後、ニコラスは返信した。
```
@nicholas.romero9:
日本語はわからない。
意識してコントロールはしていないと思う。
でも外したあとに、何かわかることがある。
それだけだ。
お前はプレミア何年目だ。
```
しばらくして返信が来た。
```
@aki_kojima21:
4年目です!
ロメロさんより先輩ですね笑
「外したあとに何かわかる」、すごくわかります
俺も似たような感覚がある気がする
でもそれを言語化できたことがなくて
なんか気づいたらそうなってる、っていう
```
ニコラスはその文章を読んだ。
「なんか気づいたらそうなってる」。
自分が言葉にできなかったことを、この選手も言葉にできていなかった。
でも四年間、その感覚でプレミアを戦ってきた。
```
@nicholas.romero9:
プレミア1年目で対策された試合、どうしていた。
```
少し間があった。
```
@aki_kojima21:
めっちゃ聞いてくれるじゃないですか笑
そうですね……
最初は全然うまくいかなくて、ジェイデンとルイスに相談してました
でも結局、体が慣れるのを待つしかなかった気がします
対策されても、対策より速く動けるようになるっていうか
言語化むずかしいですね笑
ロメロさんは今うまくいってない感じですか?
```
ニコラスは少し考えた。
うまくいっていないとは思っていない。でも今日のような試合が、また来る。対策される。そのたびに、どうするかを体が学ぶしかない。
それはわかっていた。でも同じ感覚で四年先を行く人間から聞くのは、別の重さがあった。
```
@nicholas.romero9:
今日は負けた。
対策された。
でもわかったことがあった。
```
```
@aki_kojima21:
それです!!
それが全部だと思います
また試合で会いましょう
今度は俺が負けます(嘘です勝ちます)
```
ニコラスはスマートフォンを置いた。
最後の一文が、少し可笑しかった。
可笑しいと思ったことを、ニコラスは少し意外に感じた。
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その夜、ニコラスは今日の試合を頭の中でなぞった。
一対〇。負けた。
対策された。マークが二枚来た。でもそのたびに、どこかが見えた。次にどう動くかを、体が少し知った。
AKIは「対策より速く動けるようになる」と言った。言語化が難しいと言いながら、それを四年かけて実践してきた。
同じ感覚で、四年先にいる。
笑いながら、でも目は冷静で、プレミアを戦っている。
自分とは違う歩き方だ、とニコラスは思った。でも向かっている方向は、同じかもしれない。
そういう人間が、同じ時代のプレミアにいる。
ニコラスはそれを、少し面白いと思った。
そして「面白い」と思ったことを、また少し意外に感じた。
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