別れ
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五月の最終節、ルガーノはリーグ優勝を決めた。
最終節の相手はFCバーゼルだった。ホームゲームだった。試合前からスタジアムの周辺は人で溢れていた。クラブの歴史でも、リーグ優勝は何度もあるわけではなかった。街全体が、今日の試合を待っていた。
ニコラスは試合前のグラウンドアップで、スタンドを見た。
ルガーノのサポーターで埋まっていた。赤と青の旗が揺れていた。子供がいた。老人がいた。家族で来ている人たちがいた。
あのサッカー教室で眼鏡の男の子がいた場所を、ニコラスは何となく探した。見つからなかった。でもどこかにいるかもしれない、と思った。
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試合は三対一でルガーノが勝った。
ニコラスは二点を取った。一点はドスサントスが取った。
最後の笛が鳴った瞬間、スタジアムが爆発した。
選手たちが抱き合った。コーチスタッフが泣いていた。ファリネッリがピッチに出てきて、一人ずつ選手を抱擁した。
ニコラスのところに来たとき、ファリネッリは何も言わなかった。ただ強く抱きしめた。
ニコラスも何も言わなかった。
でも背中に監督の手の温かさを感じた。
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表彰式は試合後に行われた。
リーグ優勝のトロフィーをキャプテンが持ち上げた。スタジアムが揺れた。
個人賞の発表があった。
得点王、ニコラス・ロメロ。リーグ七十四ゴール。
シーズン最優秀選手、ニコラス・ロメロ。
マンオブザマッチ、シーズン通算三十二回。週間最優秀選手十九回。月間最優秀選手五回。
アナウンスのたびに、スタジアムが反応した。
ニコラスはトロフィーを受け取るたびに、短く頭を下げた。スピーチを求められたが、マイクの前に立って「チームメイトのおかげです」とだけ言った。
それ以外の言葉が出てこなかった。
本当にそうだったから。
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表彰式が終わって、ロッカールームに戻った。
ドスサントスが真っ先にニコラスに来た。
「七十四ゴール!リーグだけで七十四!UEFA、カップ戦、代表を全部合わせたら百を超えたんだぞ!」
「百二だった」とニコラスは言った。
「数えてたじゃないか」ドスサントスは笑った。「気にしていないって言いながら」
「ゾーイが教えてくれた」
「なるほど」ドスサントスは笑い続けた。「お前の代理人、本当に仕事熱心だな」
チミニャーニが来た。
「おめでとう」と言って、手を差し出した。
ニコラスは握手した。
「お前のスルーパスがなければ半分も取れなかった」
「俺のパスがなくても、別の方法で取っていた」チミニャーニは静かに言った。でも少しだけ、口元が動いた。
ビスリミが来た。
何も言わずに手を差し出した。ニコラスが握手した。
「ありがとう」とニコラスは言った。
ビスリミは小さく頷いた。それだけだった。でも目が少し赤かった。
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ファリネッリに呼ばれたのは、翌日だった。
監督室で向かい合って座った。
「来夏の移籍、決まりそうか」とファリネッリが聞いた。
「ゾーイが動いています。アストン・ヴィラと話が進んでいると」
ファリネッリは頷いた。「いいクラブだ。エメリは良い監督だ」
「そうだと思っています」
ファリネッリはしばらく黙っていた。
「ニコラス、一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「ルガーノに来て、よかったか」
ニコラスは少し間を置いた。
トリノかルガーノか、という選択をした夜のことを思い出した。ファリネッリが電話してきた夜のことを。「あなたをエースとして迎えたい」と言った声を。
「よかったです」とニコラスは言った。
「何がよかったか」
「チームメイトが信頼できた。初めてそういう場所で戦えた」
ファリネッリは少し目を細めた。
「それを聞けてよかった」と言った。「お前はコンヤで一人だったと、来る前のデータから見えていた。だからこそ、ここではそうさせたくなかった」
ニコラスは少し驚いた。
「最初からわかっていたのか」
「推測だった。でも当たっていたようだな」
「当たっていました」
ファリネッリは立ち上がった。握手した。
「プレミアで活躍しろ。ルガーノから巣立った選手として誇りに思う」
ニコラスは握手しながら、少し間を置いた。
「監督」
「何だ」
「俺が来た初日、『あなたをエースとして迎えたい』と言った。それが決め手だった」
ファリネッリはしばらくニコラスを見た。
「覚えていたのか」
「覚えています。大事な言葉だったから」
ファリネッリは何も言わなかった。でも目が少し赤くなった。
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UEFAヨーロッパリーグはラウンド16で敗退した。
相手はスペインのビジャレアルだった。第一戦を一対二で落として、第二戦も一対一で終わった。トータルスコアで敗退した。
ニコラスは二試合で二ゴールを取った。でも届かなかった。
試合後、ロッカールームで誰も話さなかった。
ニコラスは着替えながら、ヨーロッパの舞台で戦った試合を頭の中で振り返った。ブラガ戦のボレー。ビジャレアルの組織的な守備。ここは、スイスリーグとは別の世界だった。
でも二ゴールは取れた。
ここでも決められた。
それで十分だった。
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カップ戦はベスト4で終わった。
準決勝、相手のFKがゴール上に決まった。それだけだった。ニコラスは二点を取った。でもチームは三対二で負けた。
悔しかった。でも引きずらなかった。
シーズンが終わった。
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六月、移籍が正式に決まった。
ゾーイから電話が来た。
「アストン・ヴィラから正式なオファーが届きました。条件を確認しましたが、申し分ない内容です」
「背番号は」
「九番です」
ニコラスは少し間を置いた。
眼鏡の男の子の声を思い出した。「なんで29なの。エースは9番じゃないの」
「わかりました」と言った。
「サインは来週の予定です。その前に一つだけ確認です。本当にいいですか」
「いいです」
「後悔しませんか」
「しない」
ゾーイはしばらく黙っていた。
「……おめでとうございます」と言った。声が、少し掠れていた。
「ありがとう」
また沈黙があった。
「四年前、チェスターフィールドの映像を最初に見たとき、こうなると思っていましたか」とゾーイが聞いた。
「思っていなかった」
「私も思っていなかった」ゾーイは言った。「でも思っていた部分もあった。あなたのゴールへの嗅覚だけは、誰にも教えられないものだと最初から思っていた」
「それを言ってくれたな。最初の面談のとき」
「覚えていましたか」
「覚えています」
長い沈黙があった。
「来夏も、私がついています」とゾーイは言った。「プレミアでも」
「知っています」
「当然のように言うんですね」
「当然だから」
ゾーイはしばらく黙っていた。それから静かに笑った。電話の向こうで、小さく笑う声が聞こえた。
「……行ってらっしゃい」と彼女は言った。
「行ってきます」
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ルガーノを去る日、ドスサントスが空港まで来た。
チミニャーニとビスリミも来ていた。
ドスサントスがまず口を開いた。
「プレミアでも点を取り続けろ。俺たちが見てる」
「取る」
「百点じゃ足りないぞ。もっと取れ」
「取る」
ドスサントスは笑った。それから、笑いながら少し目が潤んだ。
「また会おうな」
「また会う」
チミニャーニが来た。手を差し出した。
「お前と一緒にやれて、楽しかった」
チミニャーニが「楽しかった」と言った。ニコラスはその言葉の重さを知っていた。この男がそれを言うのは、簡単なことではなかった。
「俺もだ」とニコラスは言った。
ビスリミが来た。何も言わずに手を差し出した。握手した。
「ありがとう」とニコラスは言った。
ビスリミは頷いた。それだけだった。
でもニコラスには、それで十分だった。
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搭乗ゲートに向かいながら、ニコラスは一度だけ振り返った。
三人が並んで立っていた。ドスサントスが手を振っていた。チミニャーニが静かに立っていた。ビスリミが小さく頷いた。
ニコラスは一度だけ手を挙げた。
それから前を向いた。
チェスターフィールドを去った日、グレースが碧いスカーフを巻いて見送ってくれた。コンヤを去った日は、一人だった。
ルガーノを去る日は、三人がいた。
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飛行機の窓から、ルガーノの街が小さくなっていった。
湖が光っていた。山が囲んでいた。石畳の街が縮んでいった。
一年間、この街にいた。
ボールが来た。チームが機能した。信頼できる仲間がいた。初めてそういう場所で戦えた。
コンヤで学んだことがあった。ルガーノで変わったことがあった。
次は、プレミアだ。
グレースに「スタジアム、連れて行くよ」と約束した。
眼鏡の男の子に「次のクラブでは9番になるかもしれない」と言った。
アリスターに「待ってる」と言われた。
サカに「来年プレミアに来るだろ」と言われた。
全部、これから始まる。
ニコラスは窓の外から目を離した。
シートに背中を預けた。
目を閉じた。
次の街で、また空を見る。




