再会
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チェスターフィールドは、思ったより小さかった。
アリスター・セント・クレアは駅を出て、しばらく歩道に立ち止まった。十年ぶりの街は、記憶の中のものより全体的に縮んでいた。建物も、道幅も、空の広さでさえ。マンチェスターで暮らした十年が、ここをどこか遠い場所に変えていたのかもしれない。
サッカー教室は午後からだった。まだ三時間ある。
アリスターはコートの襟を立てて、あてもなく歩き始めた。地図は見なかった。体が覚えていた。昔よく走り回った路地、いつも閉まっていたパン屋、坂の途中にある錆びた手すり。何も変わっていないようで、何もかもが少しずつ違っていた。
商店街の角を曲がったとき、アリスターは足を止めた。
男が一人、向こうの壁に背中をもたれて立っていた。
最初は、人間だと思わなかった。それほどの大きさだった。長い脚と広い肩。金色の髪が春の光を受けて白く見えた。コートの袖をまくった両腕には、肩から手首まで黒い模様が入り組んでいた。顔は俯き加減で、手の中の紙コップを見つめていた。お茶か何かだろうか。
アリスターは三秒ほど、その男を眺めた。
そして、何かが胸の奥で動いた。
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小学三年生のころのことを、アリスターは今でも鮮明に覚えている。
当時から顔立ちは整っていた。睫毛が長く、輪郭が柔らかく、笑うと目が細くなった。体は細くて、声はまだ高かった。それが災いした。「女みたいな顔してる」と言われ始めたのがいつだったか、もう正確には覚えていない。ただ、言葉が石になって飛んでくる前に、手が出るようになっていた。
サッカーはすでにうまかった。ボールタッチも、視野の広さも、同学年の中では群を抜いていた。でもそれは彼らの怒りを和らげるどころか、余計に火をつけた。上級生の三人組に目をつけられたのは、放課後の校庭だった。
鞄を蹴られた。教科書が散らばった。アリスターは拾おうとして、また蹴られた。地面に手をついて顔を上げたとき、誰かの影が差した。
振り返ると、同い年とは思えない体格の男の子が立っていた。
顔立ちは、意外なほど柔らかかった。目が大きく、鼻筋が通っていて、どこか人形みたいな甘い顔だった。でもその表情には何もなかった。怒りも、同情も、好奇心も。ただ真っすぐ、上級生たちを見ていた。その眼差しの冷たさが、柔らかい顔立ちとひどく釣り合わなかった。
その子はアリスターに目もくれなかった。上級生たちを真っすぐ見ていた。何も言わなかった。ただそこに立っていた。でもその立ち方が、言葉よりもずっと明確な何かを伝えていた。
上級生の一人が「なんだよ」と言った。
男の子は答えなかった。一歩だけ前に出た。
それだけで、三人は顔を見合わせて、行ってしまった。
「大丈夫か」
男の子がアリスターを見下ろして、短く言った。アリスターは散らばった教科書を拾いながら頷いた。名前を聞くと、「ニコラス」と答えた。
その日から、アリスターはニコラスのことをニックと呼んだ。
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「ニック?」
声が出ていた。
男が顔を上げた。碧い目がアリスターを見た。一瞬、何の感情も動かない目だった。それから、ほんのわずかに細くなった。
「……アリスター」
声が低くなっていた。でも確かに、あのころと同じ声だった。
アリスターは笑いたかったが、それより先に言葉が出た。
「でかくなりすぎだろ」
ニコラスは少しだけ、口の端を動かした。笑ったというより、笑いかけてやめたような顔だった。
「お前が小さいんだ」
「俺は平均だよ」アリスターは歩み寄った。「ユニフォーム着てたら絶対センターフォワードだと思われる体格だな」
ニコラスは何も言わなかった。紙コップに視線を戻した。お茶の湯気がもう消えていた。
「今、何やってるんだ」とアリスターは聞いた。
短い間があった。
「いろいろ」
それ以上は言わなかった。アリスターも深くは聞かなかった。十年ぶりに会った人間に、根掘り葉掘り聞くものでもない。ただ、ニコラスの両腕のタトゥーと、その下に何があるかを、アリスターは何となく想像した。この街のことは、多少は知っていた。
「サッカー、やったことあるか」
ニコラスはアリスターを見た。
「ない」
「やってみろよ」
「なんで」
アリスターは少し考えてから、正直に答えた。
「その体格を遊ばせておくのがもったいないから」
ニコラスは答えなかった。でも視線をそらしもしなかった。碧い目がアリスターをしばらく見ていた。品定めをしているのか、値踏みをしているのか、それとも全く別のことを考えているのか、アリスターにはわからなかった。
「今日、サッカー教室がある」とアリスターは続けた。「俺がゲストで行く。見に来るだけでもいい」
また間があった。
「母親に聞く」
それがニコラスの答えだった。
アリスターは笑った。百九十センチ近い、両腕にタトゥーを入れた男が、母親に聞くと言った。その言葉の中に、この十年のニコラスがぎゅっと詰まっているような気がして、アリスターは何も言えなかった。
「じゃあ、午後二時にここで」
ニコラスは短く頷いた。
アリスターは歩き出した。三歩ほど行ったところで振り返ると、ニコラスはもう壁に背中をもたれて、冷めたお茶を飲んでいた。
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午後二時、ニコラスは来た。
一分の狂いもなく、約束の角に立っていた。コートを脱いで、シンプルな黒いTシャツ一枚だった。春にしては薄着だったが、寒そうには見えなかった。タトゥーの入った両腕が、日差しの中でくっきりと見えた。
「来たな」とアリスターは言った。
「来た」とだけニコラスは言った。
二人は並んで歩いた。並ぶと対比がひどかった。アリスターは長身だったが、ニコラスはさらに頭一つ分高く、体の厚みが全然違った。細い貴公子と、タトゥーだらけの巨人。顔だけ見れば二人とも甘い顔立ちをしているのに、まとっている空気が正反対だった。すれ違う人間がほぼ全員ニコラスを見た。アリスターを見た人間は、そのあとすぐニコラスに視線を移した。
アリスターが話して、ニコラスが時々短く返した。会話というより、アリスターの独り言にニコラスが合いの手を入れているようだった。でもその間が、不思議と心地よかった。十年のブランクがあるのに、昔からそうだったような気がした。
グラウンドに着いたとき、子供たちがいっせいにアリスターを見た。
ニコラスには誰も気づかなかった。
アリスターはそれを横目で見て、少し笑った。今日だけだ、と思った。
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練習の合間、アリスターはニコラスにボールを渡した。
「蹴ってみろ」
その前にアリスターは一度だけボールを触ってみせた。軽くトラップして、インサイドでゴールへ流し込む。それだけの動作だったが、無駄がなかった。ボールが吸い付くように足に従い、弧を描いてネットを揺らした。子供たちが小さく歓声を上げた。
ニコラスはそれを無表情で見ていた。
「やってみろ」
ニコラスはボールを見た。それから少し間を置いて、助走なしで右足を振った。フォームはばらばらだった。足首の角度も、体の軸も、アリスターが十年かけて叩き込まれたものとは何もかもが違った。ボールはネットの上を越えて、フェンスに当たって跳ね返ってきた。
アリスターは笑わなかった。
「もう一回」
今度はニコラスが助走をつけた。やはりフォームは荒削りだった。でも当たった瞬間の音が、さっきと全然違った。技術ではなく、純粋な質量と意志がボールに乗り移ったような音だった。ボールはまっすぐ、低く、勢いよくゴールに突き刺さった。
グラウンドにいた子供たちが一斉に振り返った。
ニコラスはボールを見ていた。何かを確かめるような目で。
「もう一回」
今度はニコラス自身が言った。
アリスターは黙ってボールをセットした。
その日の午後、ニコラスはボールを何十回も蹴った。フォームが少しずつ変わっていった。肩の使い方、軸足の角度、インパクトの瞬間。誰かに教わったわけでもないのに、体が勝手に修正していった。
帰り際、アリスターは「どうだった?」と聞いた。
ニコラスはしばらく答えなかった。
「もっとうまくなれる気がした」
それだけ言って、ニコラスはグラウンドの出口に向かった。背中が、行きよりも少しだけ違って見えた。何かが変わったというより、何かがようやく向きを変えたような。
アリスターはその背中を見送って、ポケットに手を入れた。
チェスターフィールドの空が、夕方の色になっていた。




