代表
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連絡が来たのは、九月の初めだった。
ゾーイからだった。メッセージではなく電話で、出た瞬間に「落ち着いて聞いてください」と言われた。
ニコラスは練習後のロッカールームにいた。
「何があった」
「イングランド代表に招集されました」
しばらく間があった。
「……本当か」
「本当です。九月の代表ウィーク、ユーロ予選のフィンランド戦とドイツ戦です」
ニコラスは少し間を置いた。
「分かった」
「それだけですか?」とゾーイが言った。「もう少し驚いてください」
「驚いてる」
「声に出してください」
「……驚いた」
「棒読みです」ゾーイは呆れたような声で言った。「いいですか、これはすごいことです。十八歳、スイスリーグ所属でのイングランド代表招集です。近年稀に見る異例のことです」
「そうか」
「そうです!」ゾーイの声が少し上ずった。珍しいことだった。「私、今日初めてガッツポーズしました」
ニコラスはしばらく黙っていた。
「それは見たかった」
「見せません」ゾーイはすぐに答えた。「とにかく、おめでとうございます。詳細は後でメールします」
電話が切れた。
ニコラスはスマホを持ったまま、しばらく動かなかった。
ロッカールームの向こうでドスサントスが何か叫んでいた。チミニャーニが笑っていた。いつも通りの騒がしさだった。
イングランド代表。
その言葉の重さを、ゆっくり確かめた。
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グレースに電話した。
「代表に呼ばれた」
しばらく沈黙があった。
「イングランド代表に?」
「そうだ」
また沈黙があった。今度は長かった。
「ニック」とグレースは言った。声が掠れていた。
「泣くな」
「泣いてない」
「声が掠れてる」
「……少しだけ」
ニコラスは窓の外を見た。ルガーノの湖が夕陽を受けて橙色に光っていた。
「スカーフ、してるか」
「してるわよ」グレースは少し笑った。「あなたが買ってくれたの、毎日してる」
「そうか」
「頑張って」
「ああ」
電話が切れた。
ニコラスはしばらく湖を見ていた。
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代表合宿はセント・ジョージ・パークだった。
バートン・アポン・トレントにある、イングランドサッカー協会のトレーニング施設だった。広大な敷地に複数のピッチが並び、最新の設備が揃っていた。
ニコラスが施設に入ったとき、廊下で声がかかった。
「ニック!」
振り返ると、アリスターがいた。
マンチェスターユナイテッドのトレーニングウェアを着て、白い歯を見せて笑っていた。相変わらず細くて、顔立ちが整っていて、どこに立っても絵になる男だった。
「お前まで代表に来るとは」アリスターは歩み寄ってきた。「プレミアの前にここに来るとは思わなかったよ」
「俺もそう思っていた」
「ルガーノでのペース、どうかしてるからな。あのゴール数」アリスターは首を振った。「六節で十四点って、何かのバグだろ」
「バグじゃない」
「わかってるよ」アリスターは笑った。「冗談だ。とにかく、同じ代表になれて嬉しいよ」
ニコラスは少し間を置いた。
「俺もだ」
アリスターはニコラスの顔を見た。それから「ニックがそんなこと言うとはね」と言って、また笑った。
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その夜、食堂でアリスターと向かい合って夕食を食べた。
周りには代表の選手たちがいた。ニコラスが知っている顔もいくつかあった。テレビで見たことのある顔がほとんどだった。
「緊張してる?」とアリスターが聞いた。
「少し」
「正直だな。俺も最初の代表合宿は緊張した」
「今はどうだ」
「今も緊張する。慣れないもんだ」アリスターはフォークを置いた。「でもピッチに出たら消える」
「同じだ」
アリスターは少し間を置いた。
「ケインがいる」とアリスターが言った。「見ておけ。あの人の動き、フォワードとして絶対に参考になる」
ニコラスは少し間を置いた。ハリー・ケイン。イングランドを長年引っ張ってきた男。プレミアリーグで何百点も積み重ねてきた男。
「わかった」
「あと」アリスターはいたずらっぽく笑った。「サカもいるぞ。あいつ、人懐っこいから絶対話しかけてくる」
「サカ」
「ブカヨ・サカ。知ってるだろ。アーセナルの。めちゃくちゃいい選手で、めちゃくちゃいいやつだ」
ニコラスは頷いた。映像では何度も見ていた。
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翌日の練習で、サカは本当に話しかけてきた。
「ニコラス・ロメロだよな」と言いながら近づいてきた。穏やかな目をしていた。「ルガーノでのゴール、すごいな。映像で見てたけど、実際に会えて嬉しい」
「ありがとうございます」
「タメ口でいいよ、俺も若いから」サカは笑った。「スイスのサッカー、楽しいか」
「楽しいかどうかはよくわからない」とニコラスは答えた。「でも、ゴールは楽しい」
サカは少し笑った。「それが一番大事だな」
それだけの会話だった。でも嫌な感じが全くなかった。アリスターとは違う種類の明るさで、押しつけがましくなく、ただそこにいる安心感があった。
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フィンランド戦は、九月三日だった。
ウェンブリースタジアム。九万人が入る、イングランドサッカーの聖地だった。
ニコラスはベンチに座って、ピッチを見ていた。
スタジアムの規模は、これまで経験したどこよりも大きかった。チェスターフィールドの数百人とは次元が違った。コンヤのスタジアムより何倍も広かった。それでもニコラスは、ただそれを眺めていた。焦りはなかった。
試合はイングランドが支配した。
ケインがピッチで動き回るのを、ニコラスはベンチから追っていた。スペースの作り方、ポジショニング、チームメイトとのコンビネーション。ゴールを決めるだけでなく、チームを動かしていた。
「あの人はフォワードというよりも、前線の頭脳だ」とニコラスは思った。
前半で二点を取った。後半も支配は続いた。
五十六分、コーチに呼ばれた。
「ケインと交代だ。行ってこい」
ニコラスはアップをしながら、ピッチの感触を確かめた。芝が柔らかかった。照明が白かった。
ピッチに入った瞬間、スタジアムの音が変わった気がした。
七十九分、ゴールが生まれた。
左サイドからの崩しで、中央にボールが入った。チームメイトがショートパスを回した。相手のDFが対応に追われた。その隙間にニコラスが入り込んだ。最後のパスを受けた。
ゴールまで一メートル。
押し込んだ。
ウェンブリーが揺れた。
ニコラスはゴールの前に立って、スタンドを見た。九万人の顔が、自分を見ていた。
チェスターフィールドの数百人から、ここまで来た。
試合は四対〇で終わった。
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ドイツ戦は三日後だった。
相手が変わった。フィンランドとドイツでは、全てが違った。
前半、ニコラスはベンチで見ていた。試合が動かなかった。〇対〇のまま後半に入った。
六十分、コーチが呼んだ。またケインとの交代だった。
ピッチに入って、最初のボールを受けようとした瞬間、気づいた。
速い。
全てが速かった。パスの速度、プレスのタイミング、DFの寄せ方。フィンランドとは全然違った。ルガーノとも違った。代表チームの中でも、格が違う相手だとすぐにわかった。
七十二分、自分でボールを奪った。
相手CBがバックパスを出そうとした瞬間、コースに入った。体を当てた。ボールを奪った。ドリブルで前に運んだ。DFが追ってきた。速かった。でもニコラスの方が速かった。
ペナルティエリアに入った。GKが飛び出してきた。
左に流した。
一対〇。
七十四分、中央からの縦パスが来た。裏に抜けようとした。DFがついてきた。ギリギリだった。でも一歩だけ前に出た。
ボールを受けた。振り向く時間がなかった。
ダイレクトで打った。
右隅に突き刺さった。
二対〇。
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ロッカールームに戻ったとき、サカが隣に来た。
「七十四分のやつ、ダイレクトで打てるとは思わなかった」とサカは言った。「あの体勢で」
「振り向く時間がなかった」
「それでも打てるのか?」とサカは笑った。「すごいな」
ニコラスは少し間を置いた。
「本当はトラップしたかった」
「え」
「トラップできれば、もっといいコースに打てる。でも代表レベルだと、トラップする時間がなかった」
サカはしばらくニコラスを見た。
「それを課題だと思ってるのか」
「そうだ」
「でも決めただろ」
「決めたけど、もっとうまくできる」
サカは少し間を置いた。それから笑った。
「お前、面白いな。普通は決めたら満足するのに」
「満足したら止まる」
サカはしばらく黙っていた。それから「そうだな」と静かに言った。
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その夜、アパートに戻ってゾーイに電話した。
「二試合で七十分、三得点です」とゾーイは言った。「代表でこの数字を出した十八歳は、ここ数十年でいないです」
「でも課題がある」
「何ですか」
「代表レベルのパスは速すぎて、トラップできない場面があった」
「それは経験を積めば解決します」
「経験を積む前に、方法を変えた」ニコラスは言った。「トラップを磨くより、トラップできないならダイレクトで打つ方向にした」
ゾーイはしばらく黙っていた。
「……それはなかなかな発想ですね」
「でも決まった」
「決まりましたね」ゾーイは少し笑った。「ただ、ペナルティエリアの外では難しい。ダイレクトの精度は距離が伸びるほど落ちます」
「わかってる。だからエリアの中ではフィジカルでシュートの時間を作る。エリアの外ではダイレクトは状況次第だ」
「整理されていますね」
「頭の中では」
「十分です」ゾーイは言った。「あと、少し話があります」
「何ですか」
「今回の二試合で、プレミアの複数クラブが動き始めています。名前はまだ言えませんが、確かな話です」
ニコラスは少し間を置いた。
「来夏の話ですか」
「おそらく。でも動きは早い。冬の市場で打診してくるクラブもあるかもしれない」
「冬は行かない」とニコラスは即答した。「ルガーノとの約束がある。シーズン途中では離れない」
ゾーイは少し間を置いた。
「わかりました。でも、そういう動きがあると覚えておいてください」
電話が切れた。
ニコラスは窓の外を見た。
ルガーノの夜だった。湖が暗く静かに広がっていた。
プレミア。
その言葉が、少しだけ近くなった気がした。
でも今夜は、代表でのドイツ戦のことを、もう少し考えていたかった。
あのダイレクトシュートの感触。振り向けなかった。でも体が選んだコースが、ゴールに突き刺さった。
ペナルティエリアの中では、フィジカルでシュートの時間を作れる。でも外では、GKが動く前に打たなければならない。
ロングシュートへの挑戦が、次の課題だった。
窓の外で、湖が静かに光っていた。




