表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
ルガーノ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/111

代表


---


連絡が来たのは、九月の初めだった。


ゾーイからだった。メッセージではなく電話で、出た瞬間に「落ち着いて聞いてください」と言われた。


ニコラスは練習後のロッカールームにいた。


「何があった」


「イングランド代表に招集されました」


しばらく間があった。


「……本当か」


「本当です。九月の代表ウィーク、ユーロ予選のフィンランド戦とドイツ戦です」


ニコラスは少し間を置いた。


「分かった」


「それだけですか?」とゾーイが言った。「もう少し驚いてください」


「驚いてる」


「声に出してください」


「……驚いた」


「棒読みです」ゾーイは呆れたような声で言った。「いいですか、これはすごいことです。十八歳、スイスリーグ所属でのイングランド代表招集です。近年稀に見る異例のことです」


「そうか」


「そうです!」ゾーイの声が少し上ずった。珍しいことだった。「私、今日初めてガッツポーズしました」


ニコラスはしばらく黙っていた。


「それは見たかった」


「見せません」ゾーイはすぐに答えた。「とにかく、おめでとうございます。詳細は後でメールします」


電話が切れた。


ニコラスはスマホを持ったまま、しばらく動かなかった。


ロッカールームの向こうでドスサントスが何か叫んでいた。チミニャーニが笑っていた。いつも通りの騒がしさだった。


イングランド代表。


その言葉の重さを、ゆっくり確かめた。


---


グレースに電話した。


「代表に呼ばれた」


しばらく沈黙があった。


「イングランド代表に?」


「そうだ」


また沈黙があった。今度は長かった。


「ニック」とグレースは言った。声が掠れていた。


「泣くな」


「泣いてない」


「声が掠れてる」


「……少しだけ」


ニコラスは窓の外を見た。ルガーノの湖が夕陽を受けて橙色に光っていた。


「スカーフ、してるか」


「してるわよ」グレースは少し笑った。「あなたが買ってくれたの、毎日してる」


「そうか」


「頑張って」


「ああ」


電話が切れた。


ニコラスはしばらく湖を見ていた。


---


代表合宿はセント・ジョージ・パークだった。


バートン・アポン・トレントにある、イングランドサッカー協会のトレーニング施設だった。広大な敷地に複数のピッチが並び、最新の設備が揃っていた。


ニコラスが施設に入ったとき、廊下で声がかかった。


「ニック!」


振り返ると、アリスターがいた。


マンチェスターユナイテッドのトレーニングウェアを着て、白い歯を見せて笑っていた。相変わらず細くて、顔立ちが整っていて、どこに立っても絵になる男だった。


「お前まで代表に来るとは」アリスターは歩み寄ってきた。「プレミアの前にここに来るとは思わなかったよ」


「俺もそう思っていた」


「ルガーノでのペース、どうかしてるからな。あのゴール数」アリスターは首を振った。「六節で十四点って、何かのバグだろ」


「バグじゃない」


「わかってるよ」アリスターは笑った。「冗談だ。とにかく、同じ代表になれて嬉しいよ」


ニコラスは少し間を置いた。


「俺もだ」


アリスターはニコラスの顔を見た。それから「ニックがそんなこと言うとはね」と言って、また笑った。


---


その夜、食堂でアリスターと向かい合って夕食を食べた。


周りには代表の選手たちがいた。ニコラスが知っている顔もいくつかあった。テレビで見たことのある顔がほとんどだった。


「緊張してる?」とアリスターが聞いた。


「少し」


「正直だな。俺も最初の代表合宿は緊張した」


「今はどうだ」


「今も緊張する。慣れないもんだ」アリスターはフォークを置いた。「でもピッチに出たら消える」


「同じだ」


アリスターは少し間を置いた。


「ケインがいる」とアリスターが言った。「見ておけ。あの人の動き、フォワードとして絶対に参考になる」


ニコラスは少し間を置いた。ハリー・ケイン。イングランドを長年引っ張ってきた男。プレミアリーグで何百点も積み重ねてきた男。


「わかった」


「あと」アリスターはいたずらっぽく笑った。「サカもいるぞ。あいつ、人懐っこいから絶対話しかけてくる」


「サカ」


「ブカヨ・サカ。知ってるだろ。アーセナルの。めちゃくちゃいい選手で、めちゃくちゃいいやつだ」


ニコラスは頷いた。映像では何度も見ていた。


---


翌日の練習で、サカは本当に話しかけてきた。


「ニコラス・ロメロだよな」と言いながら近づいてきた。穏やかな目をしていた。「ルガーノでのゴール、すごいな。映像で見てたけど、実際に会えて嬉しい」


「ありがとうございます」


「タメ口でいいよ、俺も若いから」サカは笑った。「スイスのサッカー、楽しいか」


「楽しいかどうかはよくわからない」とニコラスは答えた。「でも、ゴールは楽しい」


サカは少し笑った。「それが一番大事だな」


それだけの会話だった。でも嫌な感じが全くなかった。アリスターとは違う種類の明るさで、押しつけがましくなく、ただそこにいる安心感があった。


---


フィンランド戦は、九月三日だった。


ウェンブリースタジアム。九万人が入る、イングランドサッカーの聖地だった。


ニコラスはベンチに座って、ピッチを見ていた。


スタジアムの規模は、これまで経験したどこよりも大きかった。チェスターフィールドの数百人とは次元が違った。コンヤのスタジアムより何倍も広かった。それでもニコラスは、ただそれを眺めていた。焦りはなかった。


試合はイングランドが支配した。


ケインがピッチで動き回るのを、ニコラスはベンチから追っていた。スペースの作り方、ポジショニング、チームメイトとのコンビネーション。ゴールを決めるだけでなく、チームを動かしていた。


「あの人はフォワードというよりも、前線の頭脳だ」とニコラスは思った。


前半で二点を取った。後半も支配は続いた。


五十六分、コーチに呼ばれた。


「ケインと交代だ。行ってこい」


ニコラスはアップをしながら、ピッチの感触を確かめた。芝が柔らかかった。照明が白かった。


ピッチに入った瞬間、スタジアムの音が変わった気がした。


七十九分、ゴールが生まれた。


左サイドからの崩しで、中央にボールが入った。チームメイトがショートパスを回した。相手のDFが対応に追われた。その隙間にニコラスが入り込んだ。最後のパスを受けた。


ゴールまで一メートル。


押し込んだ。


ウェンブリーが揺れた。


ニコラスはゴールの前に立って、スタンドを見た。九万人の顔が、自分を見ていた。


チェスターフィールドの数百人から、ここまで来た。


試合は四対〇で終わった。


---


ドイツ戦は三日後だった。


相手が変わった。フィンランドとドイツでは、全てが違った。


前半、ニコラスはベンチで見ていた。試合が動かなかった。〇対〇のまま後半に入った。


六十分、コーチが呼んだ。またケインとの交代だった。


ピッチに入って、最初のボールを受けようとした瞬間、気づいた。


速い。


全てが速かった。パスの速度、プレスのタイミング、DFの寄せ方。フィンランドとは全然違った。ルガーノとも違った。代表チームの中でも、格が違う相手だとすぐにわかった。


七十二分、自分でボールを奪った。


相手CBがバックパスを出そうとした瞬間、コースに入った。体を当てた。ボールを奪った。ドリブルで前に運んだ。DFが追ってきた。速かった。でもニコラスの方が速かった。


ペナルティエリアに入った。GKが飛び出してきた。


左に流した。


一対〇。


七十四分、中央からの縦パスが来た。裏に抜けようとした。DFがついてきた。ギリギリだった。でも一歩だけ前に出た。


ボールを受けた。振り向く時間がなかった。


ダイレクトで打った。


右隅に突き刺さった。


二対〇。


---


ロッカールームに戻ったとき、サカが隣に来た。


「七十四分のやつ、ダイレクトで打てるとは思わなかった」とサカは言った。「あの体勢で」


「振り向く時間がなかった」


「それでも打てるのか?」とサカは笑った。「すごいな」


ニコラスは少し間を置いた。


「本当はトラップしたかった」


「え」


「トラップできれば、もっといいコースに打てる。でも代表レベルだと、トラップする時間がなかった」


サカはしばらくニコラスを見た。


「それを課題だと思ってるのか」


「そうだ」


「でも決めただろ」


「決めたけど、もっとうまくできる」


サカは少し間を置いた。それから笑った。


「お前、面白いな。普通は決めたら満足するのに」


「満足したら止まる」


サカはしばらく黙っていた。それから「そうだな」と静かに言った。


---


その夜、アパートに戻ってゾーイに電話した。


「二試合で七十分、三得点です」とゾーイは言った。「代表でこの数字を出した十八歳は、ここ数十年でいないです」


「でも課題がある」


「何ですか」


「代表レベルのパスは速すぎて、トラップできない場面があった」


「それは経験を積めば解決します」


「経験を積む前に、方法を変えた」ニコラスは言った。「トラップを磨くより、トラップできないならダイレクトで打つ方向にした」


ゾーイはしばらく黙っていた。


「……それはなかなかな発想ですね」


「でも決まった」


「決まりましたね」ゾーイは少し笑った。「ただ、ペナルティエリアの外では難しい。ダイレクトの精度は距離が伸びるほど落ちます」


「わかってる。だからエリアの中ではフィジカルでシュートの時間を作る。エリアの外ではダイレクトは状況次第だ」


「整理されていますね」


「頭の中では」


「十分です」ゾーイは言った。「あと、少し話があります」


「何ですか」


「今回の二試合で、プレミアの複数クラブが動き始めています。名前はまだ言えませんが、確かな話です」


ニコラスは少し間を置いた。


「来夏の話ですか」


「おそらく。でも動きは早い。冬の市場で打診してくるクラブもあるかもしれない」


「冬は行かない」とニコラスは即答した。「ルガーノとの約束がある。シーズン途中では離れない」


ゾーイは少し間を置いた。


「わかりました。でも、そういう動きがあると覚えておいてください」


電話が切れた。


ニコラスは窓の外を見た。


ルガーノの夜だった。湖が暗く静かに広がっていた。


プレミア。


その言葉が、少しだけ近くなった気がした。


でも今夜は、代表でのドイツ戦のことを、もう少し考えていたかった。


あのダイレクトシュートの感触。振り向けなかった。でも体が選んだコースが、ゴールに突き刺さった。


ペナルティエリアの中では、フィジカルでシュートの時間を作れる。でも外では、GKが動く前に打たなければならない。


ロングシュートへの挑戦が、次の課題だった。


窓の外で、湖が静かに光っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ