待合室
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二月だった。
グレースの通院の日だった。
チェスターフィールドへ車で向かった。グレースが助手席に座っていた。
「最近どうだ」とニコラスは言った。
「悪くないわ。先月より動けるようになった気がする」
「薬が合ってきたか」
「そうだと思う。先生もそう言っていた」グレースは言った。「あなたは」
「三位だ。首位との差が縮まっている」
「サッカーじゃなくて、あなた自身は」
ニコラスは少し間を置いた。「難しいことをやっている。でも少しずつ形になっている」
「コーチングのこと?」
「そうだ」
「先月話してくれていたわね」グレースは言った。「若い選手のこと」
「パブロだ。最近は変わってきた」
「良かったじゃない」
「まだどう接すればいいかわからない」とニコラスは言った。「でも昨日、少し話した」
「何を話したの」
「次にボールを受けたとき、どこへ動けばいい場面を作るかを少し言った。短かったが、伝わった気がした」
グレースが窓の外を見ながら言った。「それで十分じゃないの」
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病院についた。グレースが診察に呼ばれた。
ニコラスは待合室に座った。
先月と同じ椅子だった。窓の外に同じ木が見えた。葉が全部落ちていた。先月、半分落ちていた。やはりそうなった。
スマートフォンを取り出した。でも見る気にならなかった。置いた。
窓の外を見ていた。
「また来ましたね」
声がした。
振り向いた。エラだった。
同じトートバッグを持っていた。バッグからスケッチブックが見えていた。
「そうだ」とニコラスは言った。
エラが隣に座った。「お祖母さんの通院が今日もあって」
「そうか」
「毎月来ています」エラは言った。「ニコラスさんも毎月ですか」
「そうだ」
「じゃあまた来月も会えるかもしれませんね」
エラはスケッチブックを取り出した。ペンを持った。
「また描くのか」
「描かないともったいなくて」エラは言った。「待ち時間って、意外と集中できるんですよね。家だと他のことが気になって」
ニコラスは窓の外を見た。「先月、あの木の葉が半分落ちていた」
「覚えていたんですね」エラが言った。スケッチブックを見ながらだった。
「今日は全部落ちていた」
エラが顔を上げた。窓の外を見た。「本当だ」エラは言った。「先月描いたやつ、持ってきていたら見せられたんですけど」
「持ってきていないか」
「今日は別のものを描こうと思っていたので」エラは言った。「でも来月また来たら持ってきます」
「そうか」
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しばらく二人で静かにいた。
エラが描いていた。ニコラスが窓の外を見ていた。
「先月から気になっていたんですが」とエラは言った。
「何を」
「タトゥーです」エラは言った。「腕のやつ、見えていたので。気になっていて」
ニコラスは左腕を見た。袖から少し見えていた。
「見てもいいですか」
ニコラスは少し間を置いた。袖を少しまくった。
エラがそれを見た。しばらく見ていた。
「迫力がありますね」エラは言った。「両腕びっしりで。デザインはトライバルですか」
「そうだ」
「どういう意味があるんですか」
「上書きするためだった」とニコラスは言った。
エラは少し首を傾けた。「デザインじゃなくて、入れること自体が意味だったんですか」
「そうだ。昔、嫌なことがあった。それを塗り替えるために入れた。そういう意味だ」
「昔は、ということは今は違うんですか」
ニコラスは少し間を置いた。「今は意味が変わった気がしている」
「どんな意味に?」
「時間が意味を変えた、という感じだ。上書きしようとしていたものが、今はただそこにある。なくなったわけじゃない。でも重さが変わった」
エラはその言葉を聞いた。しばらく黙っていた。
「面白いですね」とエラは言った。「入れたときと意味が変わるタトゥーって。普通、意味が変わらないように入れると思っていました」
「そうかもしれない」
「でも変わった方が、生きてる感じがしますね」エラは言った。「もの自体は変わってないのに、意味が変わる。見る人が変わったということだから」
ニコラスはその言葉を聞いた。
「そう言われたことがなかった」とニコラスは言った。
「そうですか」エラは言った。また描き始めた。「私、絵を描くのでそういうことをよく考えるんです。描いたときと、後で見返したときで、意味が変わることがある。描いたときは悲しくて描いたものが、後で見ると全然違う感情になっていたりする」
「絵を描く仕事をしているのか」
「イラストレーターです」エラは言った。「本の挿絵とか、ポスターとか。細々とやっています」
「細々と、は謙遜か」
エラが少し笑った。「そうかもしれません。でも本当に細々としていますよ。有名じゃないですし」
「有名じゃなくてもいいのか」
「うーん」エラは言った。少し考えていた。「有名になりたいというより、描いたものが誰かの手元に届いてほしいという感じですかね。知らない誰かの部屋に自分の絵が飾ってあったら、それだけで十分だと思っています」
ニコラスはその言葉を聞いた。
「届けば十分、か」
「そうです」エラは言った。「ニコラスさんはどうですか。ゴールを決めるとき、観客に届けたいとか思いますか」
「思わない」とニコラスは言った。
「じゃあ何のために」
ニコラスは少し間を置いた。「ゴールを決めたとき、他のことが消える。その感覚のためだ」
エラは少し黙った。「それ、わかる気がします」と言った。「描いているとき、他のことが消える。それと同じかもしれない」
二人はしばらく黙った。
静かだった。でも苦ではなかった。
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グレースが診察室から出てきた。
ニコラスは立ち上がった。エラが顔を上げた。
「こんにちは」とエラは言った。
グレースが笑った。「また会いましたね」
「また会いました」エラは言った。「毎月来るので」
「うちもそうなんですよ」グレースは言った。「来月も会えるかもしれませんね」
「そう思います」エラは言った。
グレースがニコラスを見た。「あいさつしなさい」
「また来月」とニコラスは言った。
エラが笑った。「また来月」
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帰り道、グレースが言った。
「また会ったわね」
「そうだ」
「今日は長く話してたみたいだけど」
「タトゥーの話をした」
グレースが少し間を置いた。「タトゥーの話」
「そうだ」
「あなた、あのタトゥーの話、誰かにしたことあった」
ニコラスは少し考えた。「なかった」
グレースは何も言わなかった。
でも少し笑った気がした。ニコラスは前を向いて運転した。
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