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沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
アストン・ヴィラ3年目

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106/113

反転


---


十二月、リーグ戦だった。


相手はアーセナルだった。今季CLにも出場しているクラブで、守備の強度が高かった。エメリーはこの試合に主力を揃えた。パブロもスタメンに入った。


---


## パブロ視点


スタメン発表を見たとき、パブロは少し驚いた。


アーセナル戦でスタメン。ボーンマス戦の次がこれか、とパブロは思った。でもすぐに気持ちを切り替えた。出る機会があるならベストを尽くす。それだけだった。


試合前日のミーティングで、エメリーがアーセナルの分析を話した。


「プレスが組織的だ。中盤でボールを持つと、二枚で挟んでくる。縦に速く出すか、サイドに逃げるかしかない。迷うと潰される」


「パブロ」エメリーは言った。「ニコラスは中盤でボールを持ちたがる。でも今日は速く出すことを優先しろ。持ちすぎるな」


パブロは頷いた。


わかっている、と思った。ボーンマス戦でも後半にエメリーの指示を実行した。それはできる。


「ニコラス」エメリーは続けた。「今日はポストプレーが増える。DFを背負う場面が多くなる。捌くだけでなく、背負ったまま仕掛ける場面を作れ」


「わかった」とニコラスは言った。


パブロはその短い返事を横目で見た。


いつもそうだった。「わかった」の一言。それで終わり。もっと何か言えばいいのに、といつも思った。でも最近、少しそれが変わってきていた。試合中に声が出るようになっていた。短い言葉だが、出ていた。


それでも、パブロにはニコラスの声が届いていなかった。


届いていた、というより、聞こうとしていなかった。


自分の判断の方が正しいと思っていた。ニコラスはフィジカルで解決する選手だ。自分はテクニックとサッカーIQで解決できる。だから自分の判断で動けばいい。


---


試合当日の朝、パブロはホテルの部屋でスマートフォンを見ていた。


マルティネスにメッセージを送った。スペイン語だった。


「今日も頼みます」


「自分のプレーをしろ」とマルティネスは返した。「でも周りを見ることも忘れるな」


パブロは少し考えた。周りを見ること。いつもそれを言われる。マルティネスにも、デュランにも、ロジャーズにも。


でも周りを見ながらプレーするより、自分で判断した方が速いと思っていた。


アルゼンチンのユースでもそうだった。パブロが持てば周りが動いた。パブロが仕掛ければスペースができた。パブロが決めれば試合が終わった。ずっとそうやってきた。


でもここはプレミアリーグだった。


---


試合が始まった。


エメリーの言った通りだった。アーセナルのプレスが速かった。中盤でボールを持つと、すぐに二枚来た。


パブロも何度か挟まれた。


一度、ボールを持った瞬間に二枚来た。かわそうとした。一枚目はかわした。でも二枚目が速かった。取られた。


アーセナルのカウンターになった。コンサが体を張って止めた。


パブロは走って戻りながら、さっきの場面を振り返った。


一枚目を抜いた瞬間、二枚目がどこにいるかを把握していなかった。ボーンマス戦と同じだった。相手が二枚来たとき、一枚目にしか意識が向いていなかった。


速く出す。エメリーが言った通りだった。


次にボールを持ったとき、パブロはすぐ縦へ出した。ロジャーズへ。ロジャーズが持ち上がった。クロスが上がった。


繋がった。


悔しかった。自分で持ち上がりたかった。


それからパブロは少しずつ、速く出すことを意識し始めた。


前半三十分、ロジャーズのクロスからニコラスがヘディングで決めた。一対〇。


ヘディングだった。またフィジカルだ、フィジカルだけだ、とパブロは思いながら、ポジションへと戻った。


---


後半に入っても拮抗していた。アーセナルが前に出てきた。一対一のまま時間が進んだ。


パブロはボールに触る回数が増えていた。速く出すことを意識しながら、でも仕掛けられる場面は仕掛けた。


後半二十分、パブロがドリブルで一枚抜いた。前が開けた。シュートを打った。ポストに当たった。


惜しかった。でもパブロはその場面より、もう一つ気になっていた。シュートを打つ前、右にデュランがいた。パスを出せた。でも自分で打った。


デュランは何も言わなかった。視線だけを感じた。


---


後半二十五分だった。


パブロが中盤でボールを受けた。アーセナルのMFが一枚来た。パブロはそれをかわした。前を向いた。


ニコラスはペナルティエリアの手前にいた。ゴールに背を向けて、パブロの方を向いていた。DFが二枚、ニコラスの背後からぴったりついていた。両側から挟むように体を当ててきた。


ここでニコラスに出すか、と一瞬考えた。


DFが二枚、背後から押さえている。あの状態でボールを受けても、前を向けるはずがない。戻す一択だった。ニコラスが受けて、パブロに戻す。そのワンツーが頭にあった。出せば戻ってくる。そのつもりで出した。


ボールがニコラスの足元に届いた。


その瞬間だった。


ニコラスの体が動いた。


背後のDF二枚を、背中で弾き飛ばした。人間の体重をそのまま押し返した。右足でボールを引いた。体ごと左へ向いた。DFが動いた。間に合わなかった。左足が振り抜かれた。


ボールがゴール右隅に突き刺さった。


---


パブロはその場に立っていた。


動けなかった。


頭の中で今見たものを理解しようとした。


ボールを受けたとき、ニコラスの背後にDFが二枚いた。両側から体を当てていた。その状態でボールを受けて、振り向いて、シュートを決めた。


なぜできたのか。


DFが二枚、背後から体を当ててきた。それを弾き飛ばした。人間がそれをやっていいのか、という力だった。でもパブロが本当に理解できなかったのはそこじゃなかった。


弾き飛ばした後、体を入れ替えてシュートを打つまでの動きに、一切の迷いがなかった。


考えていなかった。


ボールが届いた瞬間、体がもう答えを知っていた。どちらへ向くか、どの足で打つか、コースはどこか。頭が判断する前に体が動いていた。


テクニックじゃない、とパブロは思った。


テクニックは練習で作れる。感覚は磨ける。パブロはそう信じてきた。


でもニコラスが持っているものは、磨くとかそういう話じゃなかった。生まれたときから体に刻まれていたような何かだった。ゴールの嗅覚とでも呼ぶしかないもの。言葉にならない、説明のできない、ただそこにある本能だった。


それが、常軌を逸したフィジカルに宿っていた。


パブロはサッカーを始めてから、自分より上手い選手に会ったことがなかった。


会ったと思っても、よく見ると技術が高いだけだった。テクニックなら自分も磨ける。追いつける。そう思えた。


でも今ニコラスがやったことは、追いつき方がわからなかった。どこから近づけばいいのかもわからなかった。


怪物だ、とパブロは思った。


本物の怪物だ。


---


ロジャーズがパブロの肩を叩いた。「いいパスだった」


パブロは何も言わなかった。


試合が再開した。


パブロはその後、三回ニコラスへパスを出した。出そうとして迷った場面も一回あった。でも意識が変わっていた。


今まではボールを持ったとき、自分の前だけを見ていた。でも今日の後半から、ニコラスがどこにいるかを確認するようになっていた。


この人にボールを出すと、何かが起きるかもしれない。


その感覚が生まれていた。


試合は二対〇で終わった。


---


試合後のロッカールームだった。


シャワーを浴びて戻ってくると、パブロはニコラスのロッカーの前で待っていた。


「さっきのゴール」とパブロは言った。


ニコラスは振り向いた。


「DFが二枚いました」とパブロは言った。「落とすと思っていました」


「そうだな」


「なんで振り向けたんですか」


ニコラスは少し間を置いた。「DFの重心が動いた」


「それだけですか」


「それだけだ」


パブロは少し考えた。「俺にはできません。今は」


ニコラスは何も言わなかった。


「今は」とパブロは繰り返した。独り言のようだった。


パブロはロッカールームを出ていった。


---


デュランが着替えながら言った。「パブロ、今日後半変わったな」


「そうだ」


「何かあったか」


「見ていただろう」


デュランは少し笑った。「まあな。あのゴールは俺でも固まる」


マルティネスが静かに言った。「成長するのが早いな、若いのは」


デュランが笑った。ロジャーズも笑った。


---


## ニコラス視点



夜、ニコラスはアパートで今日を振り返った。


パブロが「なんで振り向けたんですか」と聞いてきた。


ニコラスは「DFの重心が動いた」と答えた。


それは本当のことだった。でもそれが全てではなかった。


重心が動いたのを見た。でもそれを見るために、ボールが来る前から準備していた。DFがどこにいるか、どちら側に重心を置いているか、次にどう動くかを、ボールを待ちながら読んでいた。


それを言語化するのは難しかった。


でも今日、パブロが「今は」と言った。


「俺にはできません。今は」。


今は、という言葉が気になった。


今はできない。でもいつかはできる。そういう意味なのか。


どういう意味だったのか、パブロに聞けばよかった。


でも聞けなかった。


それもコーチングに繋がる、と思った。


聞けなかったことが、ニコラスの課題だった。


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