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沈黙のストライカー  作者: ムーミンの丸焼き
アストン・ヴィラ3年目

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102/113

エラ


---


十一月の初めだった。


グレースの通院の日だった。


ニコラスは朝からバーミンガムを出た。チェスターフィールドまで車で二時間かかった。グレースを乗せて、病院へ向かった。


「体の調子はどうだ」とニコラスは運転しながら言った。


「悪くないわ」とグレースは言った。「最近は疲れにくくなった気がする」


「薬が合ってきたか」


「そうかもしれない。先生に聞いてみる」


グレースは助手席で外を見ていた。十一月のチェスターフィールドは曇っていた。


「ヴィラはどう」とグレースは言った。


「CLで一勝した。リーグは五位だ」


「上がってきてるじゃない」


「まだだ」


グレースは少し笑った。「あなたはいつも『まだだ』って言う」


「足りないときはそう言う」


「十分なときは何て言うの」


ニコラスは少し間を置いた。「まだそうなったことがない」


グレースはまた笑った。


---


病院の待合室は静かだった。


白い壁。並んだ椅子。受付の向こうで看護師が動いていた。テレビが小さな音で流れていた。


グレースが診察に呼ばれた。ニコラスは待合室に残った。


椅子に座った。スマートフォンを取り出した。でも見る気にならなかった。置いた。


窓の外を見た。駐車場があった。木が一本立っていた。葉が半分落ちていた。


「ここ、座っていいですか」


声がした。


隣の椅子を指していた。女性だった。二十代に見えた。茶色い髪を後ろでまとめていた。大きめのトートバッグを持っていた。バッグからスケッチブックが少し見えていた。


「どうぞ」


女性は座った。バッグを膝の上に置いた。


待合室にはまだ空いている椅子があった。でもニコラスはそれを気にしなかった。


しばらく二人とも黙っていた。


テレビが天気予報を流していた。今週は雨が続くらしかった。


「付き添いですか」と女性が言った。


「そうだ。母親が」


「私もです。祖母が」女性は言った。「毎月来ています」


ニコラスは頷いた。


また沈黙があった。


女性はバッグからスケッチブックを取り出した。ペンを持った。何かを描き始めた。


ニコラスは窓の外を見ていた。


「外を見るのが好きなんですか」と女性が言った。描きながらだった。


「特に好きというわけじゃない」とニコラスは言った。「見るものがないとき、外を見る」


「スマートフォンは」


「見る気にならなかった」


女性は少し笑った。描く手は止まらなかった。「わかります。ここに来ると、なんかスマートフォンを見る気にならないんですよね。静かすぎて」


「静かすぎるのが嫌いか」


「嫌いじゃないです」女性は言った。「静かな場所の方が、色々考えられる気がして。だから来るたびにここでスケッチしています。待ち時間が長いので」


ニコラスは女性のスケッチブックをちらりと見た。窓の外の駐車場が描かれていた。木が一本。葉が半分落ちた木だった。


「さっき俺が見ていたものだ」とニコラスは言った。


女性が少し驚いた顔をした。スケッチブックをニコラスの方に向けた。「本当だ。同じもの見てたんですね」


「そうだ」


女性は少し笑った。「面白いですね」


---


しばらくして、女性が言った。


「仕事は何をされてるんですか」


「サッカーをしている」


「へえ」女性は言った。特に驚いた様子はなかった。「プロですか」


「そうだ」


「どこで」


「バーミンガムのクラブだ」


「アストン・ヴィラですか」


「そうだ」


女性は少し考えた。「すみません、サッカーに詳しくなくて。アストン・ヴィラって強いんですか」


ニコラスは少し間を置いた。「今季は強くしている途中だ」


「途中」女性は言った。「さっきのお母さんの話みたいですね。まだだ、って感じの」


ニコラスは少し驚いた。「聞こえていたか」


「すみません、待合室なので」女性は少し笑った。「でも面白いお母さんですね。あなたはいつも『まだだ』って言う、って」


ニコラスは何も言わなかった。


「私はエラといいます」と女性は言った。「エラ・ホワイト」


「ニコラスだ」


「ニコラス」エラは繰り返した。「どこ出身ですか」


「チェスターフィールドだ」


「ここですね」エラは言った。「私もです。生まれはロンドンですが、祖母がここにいるので、子供のころからよく来ていました」


---


グレースが診察室から出てきた。


ニコラスは立ち上がった。


エラが顔を上げた。グレースを見た。「こんにちは」と言った。


グレースが笑った。「こんにちは。息子と話してくれていたんですか」


「はい」エラは言った。「楽しかったです」


グレースはニコラスを見た。それからエラを見た。「仲良くなれたみたいで良かった。私はグレースといいます」


「エラです」エラは言った。「エラ・ホワイト」


グレースがニコラスを見た。「あなたもあいさつしなさい」


「ニコラスだ」とニコラスはエラに言った。


エラは笑った。「さっきそう言ってましたよ」


グレースが少し首を傾けた。「もう話してたの」


「待合室で」とニコラスは言った。


グレースはエラに向かって言った。「息子が失礼なことを言っていたら申し訳ありません」


エラは笑った。「いいえ、楽しかったです。同じものを見ていたので」


グレースが少し首を傾けた。ニコラスに聞いた。「同じものって」


「窓の外だ」


グレースはニコラスとエラを交互に見た。それからまた少し笑った。何も言わなかった。


---


病院を出て、駐車場へ向かいながら、グレースが言った。


「感じのいい人ね」


「そうか」


「エラっていうの」グレースは言った。「いい子だったわね」


ニコラスは何も言わなかった。


車に乗った。エンジンをかけた。


窓の外に、あの木が見えた。葉が半分落ちていた。


来月もグレースの通院がある。そのとき、あの木の葉は全部落ちているかもしれなかった。


ニコラスは車を出した。


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