エラ
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十一月の初めだった。
グレースの通院の日だった。
ニコラスは朝からバーミンガムを出た。チェスターフィールドまで車で二時間かかった。グレースを乗せて、病院へ向かった。
「体の調子はどうだ」とニコラスは運転しながら言った。
「悪くないわ」とグレースは言った。「最近は疲れにくくなった気がする」
「薬が合ってきたか」
「そうかもしれない。先生に聞いてみる」
グレースは助手席で外を見ていた。十一月のチェスターフィールドは曇っていた。
「ヴィラはどう」とグレースは言った。
「CLで一勝した。リーグは五位だ」
「上がってきてるじゃない」
「まだだ」
グレースは少し笑った。「あなたはいつも『まだだ』って言う」
「足りないときはそう言う」
「十分なときは何て言うの」
ニコラスは少し間を置いた。「まだそうなったことがない」
グレースはまた笑った。
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病院の待合室は静かだった。
白い壁。並んだ椅子。受付の向こうで看護師が動いていた。テレビが小さな音で流れていた。
グレースが診察に呼ばれた。ニコラスは待合室に残った。
椅子に座った。スマートフォンを取り出した。でも見る気にならなかった。置いた。
窓の外を見た。駐車場があった。木が一本立っていた。葉が半分落ちていた。
「ここ、座っていいですか」
声がした。
隣の椅子を指していた。女性だった。二十代に見えた。茶色い髪を後ろでまとめていた。大きめのトートバッグを持っていた。バッグからスケッチブックが少し見えていた。
「どうぞ」
女性は座った。バッグを膝の上に置いた。
待合室にはまだ空いている椅子があった。でもニコラスはそれを気にしなかった。
しばらく二人とも黙っていた。
テレビが天気予報を流していた。今週は雨が続くらしかった。
「付き添いですか」と女性が言った。
「そうだ。母親が」
「私もです。祖母が」女性は言った。「毎月来ています」
ニコラスは頷いた。
また沈黙があった。
女性はバッグからスケッチブックを取り出した。ペンを持った。何かを描き始めた。
ニコラスは窓の外を見ていた。
「外を見るのが好きなんですか」と女性が言った。描きながらだった。
「特に好きというわけじゃない」とニコラスは言った。「見るものがないとき、外を見る」
「スマートフォンは」
「見る気にならなかった」
女性は少し笑った。描く手は止まらなかった。「わかります。ここに来ると、なんかスマートフォンを見る気にならないんですよね。静かすぎて」
「静かすぎるのが嫌いか」
「嫌いじゃないです」女性は言った。「静かな場所の方が、色々考えられる気がして。だから来るたびにここでスケッチしています。待ち時間が長いので」
ニコラスは女性のスケッチブックをちらりと見た。窓の外の駐車場が描かれていた。木が一本。葉が半分落ちた木だった。
「さっき俺が見ていたものだ」とニコラスは言った。
女性が少し驚いた顔をした。スケッチブックをニコラスの方に向けた。「本当だ。同じもの見てたんですね」
「そうだ」
女性は少し笑った。「面白いですね」
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しばらくして、女性が言った。
「仕事は何をされてるんですか」
「サッカーをしている」
「へえ」女性は言った。特に驚いた様子はなかった。「プロですか」
「そうだ」
「どこで」
「バーミンガムのクラブだ」
「アストン・ヴィラですか」
「そうだ」
女性は少し考えた。「すみません、サッカーに詳しくなくて。アストン・ヴィラって強いんですか」
ニコラスは少し間を置いた。「今季は強くしている途中だ」
「途中」女性は言った。「さっきのお母さんの話みたいですね。まだだ、って感じの」
ニコラスは少し驚いた。「聞こえていたか」
「すみません、待合室なので」女性は少し笑った。「でも面白いお母さんですね。あなたはいつも『まだだ』って言う、って」
ニコラスは何も言わなかった。
「私はエラといいます」と女性は言った。「エラ・ホワイト」
「ニコラスだ」
「ニコラス」エラは繰り返した。「どこ出身ですか」
「チェスターフィールドだ」
「ここですね」エラは言った。「私もです。生まれはロンドンですが、祖母がここにいるので、子供のころからよく来ていました」
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グレースが診察室から出てきた。
ニコラスは立ち上がった。
エラが顔を上げた。グレースを見た。「こんにちは」と言った。
グレースが笑った。「こんにちは。息子と話してくれていたんですか」
「はい」エラは言った。「楽しかったです」
グレースはニコラスを見た。それからエラを見た。「仲良くなれたみたいで良かった。私はグレースといいます」
「エラです」エラは言った。「エラ・ホワイト」
グレースがニコラスを見た。「あなたもあいさつしなさい」
「ニコラスだ」とニコラスはエラに言った。
エラは笑った。「さっきそう言ってましたよ」
グレースが少し首を傾けた。「もう話してたの」
「待合室で」とニコラスは言った。
グレースはエラに向かって言った。「息子が失礼なことを言っていたら申し訳ありません」
エラは笑った。「いいえ、楽しかったです。同じものを見ていたので」
グレースが少し首を傾けた。ニコラスに聞いた。「同じものって」
「窓の外だ」
グレースはニコラスとエラを交互に見た。それからまた少し笑った。何も言わなかった。
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病院を出て、駐車場へ向かいながら、グレースが言った。
「感じのいい人ね」
「そうか」
「エラっていうの」グレースは言った。「いい子だったわね」
ニコラスは何も言わなかった。
車に乗った。エンジンをかけた。
窓の外に、あの木が見えた。葉が半分落ちていた。
来月もグレースの通院がある。そのとき、あの木の葉は全部落ちているかもしれなかった。
ニコラスは車を出した。
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