9番
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トゥリュチ・デミルという男は、自分が上手いと思っていた。
二十六歳、背番号9番、右サイドハーフ。コンヤスポルで三シーズン目で、チームの中では古株だった。技術はそれなりにあった。スピードもあった。ただ判断が遅く、パスの精度が低く、プレッシャーがかかると視野が狭くなった。
そしてプライドだけは、技術の三倍あった。
ニコラスがチームに来てから、二人の関係はずっと微妙だった。ニコラスはトゥリュチのパスミスに表情を変えた。それだけだった。何も言わなかった。でもその無言が、トゥリュチには言葉より重く刺さったのだろう。
練習中、トゥリュチがニコラスにパスを出さなくなった。
出せる場面でも、出さなかった。
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一月のある練習で、それが頂点に達した。
カウンターの場面だった。ニコラスがゴール前でフリーになっていた。トゥリュチがボールを持っていた。二人の目が合った。
トゥリュチは横にパスを出した。
受けた選手がすぐにカットされた。カウンターが終わった。
ニコラスは何も言わなかった。でも足を止めて、トゥリュチを見た。三秒だけ見た。それから背を向けて、守備の位置に戻った。
その三秒が、コーチの目にも、チームメイトの目にも、見えていた。
練習後、コーチがニコラスを呼んだ。
「何かあったか」
「ありません」
「話してみろ」
「ありません」
コーチはしばらくニコラスを見た。
「お前は感情を顔に出さないが、目に出る。自覚してるか?」
ニコラスは答えなかった。
「チームのことを考えろ」とコーチは言った。「個人の感情は後回しにしろ」
ニコラスは頷いた。でも内側では、別のことを考えていた。チームのことを考えているのは自分だ。だからこそ、苛立っている。
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その夜、ゾーイに電話した。
珍しく、メッセージではなく電話だった。
「どうしました」とゾーイが出た。背景に街の音がした。ロンドンはまだ夕方のようだった。
「右サイドの話をしていいですか」
「トゥリュチのことですね。聞いています」
「パスを出してもらえない」
「知っています。映像で見ました」
ニコラスは少し間を置いた。
「なぜ見てるんですか」
「あなたの代理人だからです」ゾーイはきっぱり言った。「全試合見ています」
「全試合」
「全試合です。その上で言いますが、あなたにも問題があります」
ニコラスは黙った。
「トゥリュチがミスをするたびに、あなたは彼を見る。言葉は出していない。でも目で殺している」
「殺してない」
「殺しています。私から見ても怖いです」
ニコラスはしばらく答えなかった。
「向こうが悪い」
「そうです。でも」ゾーイは一呼吸置いた。「あなたが正しくても、チームが壊れたら意味がない。あなたのキャリアには三十八ゴールより、リーグ優勝の方が価値があります」
「わかってる」
「わかっているなら、少しだけ変えてください。目を。三秒見るのを、一秒にする。それだけでいいんです」
ニコラスはしばらく黙っていた。
「一秒か」
「一秒です。今すぐ全部は無理でも、一秒なら減らせるはずです」
窓の外でアザーンが聞こえた。コンヤの夜が深まっていた。
「わかった」とニコラスは言った。
「ありがとうございます」ゾーイはそう言って、少し間を置いた。「……目で殺すのは試合中だけにしてください。それもGKを」
ニコラスは少し間を置いた。
「それはする」
「知ってます」
電話が切れた。
ニコラスはスマホを置いて、天井を見た。
一秒。
それだけでいいなら、やってみる。
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二月、ニコラスは少しずつ変えた。
トゥリュチを見る時間を減らした。パスが来なくても、すぐに次の動きに切り替えた。苛立ちは消えなかった。ただ、顔に出す時間を短くした。
その分、別のことに集中した。
中盤まで下がる場面が増えた。ボールを自分で奪いに行く場面も増えた。チェスターフィールドではフォワードとしての仕事だけをすればよかった。ここでは、自分がやらなければ誰もやらない場面が多すぎた。
コーチがそれに気づいた。
「お前はずっとFWだ」と練習後に言った。「でもそのカバーリングはどこで覚えた」
「覚えてません。必要だからやっています」
コーチはしばらくニコラスを見た。
「怖い十八歳だな」と言った。
ニコラスは答えなかった。
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二月の終わり、チームメイトのひとりが話しかけてきた。
エムレという二十四歳のボランチで、英語が少し話せた。練習後の食堂で、隣に座ってきた。
「お前、いつも一人だな」とエムレは言った。
「そうだ」
「なんで一人でいるんだ?」
「言葉がわからないから」
「俺と話せるだろ。俺は英語わかるぞ」
ニコラスは少し間を置いた。
「そうだな」
「じゃあ話せ」エムレは笑った。「お前のトルコ語、少し上手くなったな」
「アプリでやってる」
「アプリで勉強してるのか」エムレは笑った。「真面目だな」
「言葉がわからないと困るから」
「困るだけじゃないだろ」エムレは食事を口に入れながら言った。「孤独だろ」
ニコラスは答えなかった。
「俺も最初は孤独だった。別のクラブから来たとき」エムレはトレーを置いた。「でもここの飯は旨いから、続けられた」
「飯は旨い」
「だろ」エムレは笑った。
それだけの会話だった。深くも長くもなかった。でもニコラスは、その日の練習後に初めて、一人以外で食堂を出た。
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三月、トゥリュチとの確執が練習中に爆発した。
カウンターの場面だった。ニコラスがまたフリーだった。トゥリュチがまたパスを出さなかった。ボールを失った。そのまま相手に得点を許した。
トゥリュチが何か言った。トルコ語だった。
全部はわからなかった。でも「お前のせい」という意味の言葉は、最近覚えていた。
ニコラスは足を止めた。
トゥリュチを見た。一秒、ではなかった。
「俺のせいじゃない」と英語で言った。「お前が出さなかった」
トゥリュチが何か返した。トルコ語で、早口で、ニコラスにはわからなかった。
「英語で言え」
トゥリュチは鼻で笑った。それだけだった。
チームメイトが間に入った。エムレが来て、トゥリュチを引っ張っていった。コーチが笛を吹いた。練習が再開した。
ニコラスは守備の位置に戻りながら、息を吐いた。
怒りは残っていた。でも、もう引きずらないと決めていた。ゾーイの言葉を思い出した。チームが勝つ方が大事だ。正しいかどうかより、勝つかどうかだ。
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三月の終わり、エムレと食堂で話した。
「トゥリュチのことは気にするな」とエムレは言った。
「気にしてない」
「してるだろ」
「……してる」
エムレは笑った。
「あいつはプライドが高い。去年まではチームのエースだったから」
「今もそう思ってるのか」
「思ってる」エムレは肩をすくめた。「お前が来て、全部持っていったからな」
ニコラスは黙っていた。
「俺はそんなつもりじゃない」
「わかってる」エムレは言った。「あいつが分かってないだけだ。でもそういうもんだ。どこのチームにも一人はいる」
ニコラスはトレーを見た。
「チェスターフィールドにはいなかった」
「運がよかったんだ」エムレは笑った。「ここでそれを学べ。プレミアに行ったらもっといる」
ニコラスは少し間を置いた。
「プレミアに行きたいって言ったか?」
「お前の目を見ればわかる」エムレは立ち上がった。「その目はここで満足してる目じゃない」
エムレはトレーを持って行ってしまった。
ニコラスはしばらとその背中を見ていた。
この男は、思ったより目が利く。そう思った。
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四月、チームは五位だった。
ニコラスは二十七ゴールを挙げていた。個人としての数字は申し分なかった。でもチームとしては、まだ何かが噛み合っていなかった。
トゥリュチとの確執は表面上は収まっていた。ただ、パスは相変わらず来なかった。
ニコラスは割り切ることにした。
来ないなら、自分で取りに行く。自分で運ぶ。自分で決める。それだけだ。
ゾーイに「割り切った」とメッセージを送った。
「どういう意味ですか」と返ってきた。
「来ないパスを待つのをやめた。自分で取りに行く」
しばらく間があった。
「それは正しいようで、少し違います」
「どこが」
「割り切るというのは、諦めることじゃなく、どうすれば最大限機能するかを考えることです。自分で全部やろうとすると、いつか壊れます」
ニコラスは少し間を置いた。
「じゃあどうする」
「エムレを使ってください。彼はいいボランチです。トゥリュチを経由しなくても、エムレ経由で前を向ける場面は作れます」
ニコラスはしばらく考えた。
「試してみる」
「ありがとうございます」
ニコラスはスマホを置いた。
窓の外はもう春だった。コンヤの空が、少しだけ明るくなっていた。




