第一章 始まりの日常
父親が娘に読み聞かせていた絵本の世界に迷い込み、自らが“魔王”として登場する話。
「パパ。絵本読んで!」
「どれどれ。何のお話にしようか?」
「魔王と白馬の勇者!」
午後9時。俺は娘にねだられ、いつものように絵本を読み聞かせていた。
「おやすみ。逢理沙。」
いつの間にかぐっすりと寝息を立て眠りこけっていた娘のベットをそっと離れ、誰もいないベットの端に腰掛ける。
「はぁ〜。」
親権問題で妻と揉めてから早数ヶ月、今は別居状態で娘の健康状態を気遣いながら暮らしている。
事の発端は、妻が浮気をしていたことが発覚してからからだった。
どうやら家計のほぼ全ての財産を使い果たし、ホストと豪遊していたらしい。
そのことを妻に問い詰めたら、私たちこれっきりにしましょうとか訳のわからないことを言う始末。おかげで、俺達の将来に重たい暗雲がのしかかっている。
「はぁ〜、これからどうすんだよ、ローンだってまだ支払い終えてないってのに……」
あ〜。気が重い…ストレスで胃に穴が開いてしまうかもしれん。
布団の中に一人静かに潜り込むと速攻で睡魔が降りてきた。
「ねぇ〜遊ぼうよ〜。ねぇ〜え〜〜ってばぁ〜!!!」
うっ…誰だ…こんな夜更けに娘以外の子供がなんで家に?
……もしかして、あいつとホストの間にできた子供かっ!?
目蓋を開けて見るとそこには、異様な光景が広がっていた。
なっ…!?な、なんじゃこりゃあ!!?
豪華絢爛なシャンデリア。黒光りする全長30メートル程ありそうな細長いテーブル。
そのテーブルを挟んでお互い向かい合うようにして椅子に座る異形の生物達。
なんだ?こいつら!?………でも、なんとなく見覚えがあるぞ。
確か娘に読み聞かせていた絵本の中にも、こんななりをした生物達がたくさん出てくる物語があったはずだ。確か名前は……。
「でんれい!でんれいっ!!」
30メートルほど離れた入り口の扉から鶏頭の生物が慌ただしい様子で室内に入ってきた。
「騒々しいぞ、ヴェロニオン!一体、どうしたと言うのだ?」
「はっ!申し訳ありません!そ、それが、城の正門より、ゆ、ゆ、勇者が現れました!!!!」
「なん…だと?」
「なにぃっ?」
「それは本当か!」
「そんな……ばかな…!」
「あ、ありえんっ!!」
「貴様!正気かっ!」
「…。」
「ゆ、ゆう…しゃ……??」
次の瞬間、鶏頭の後方の扉が派手に吹き飛ばされ、土煙が室内を覆った。
「魔王っ!今ここで貴様を倒すっ!!覚悟っ!!!」
扉の向こうから軽快な動きで中へと侵入してくる若い男の姿が目に映った。
「ふんっ!」
「行くよっ。まりぞう!!」
「分かったよ。カーチャン!!!」
侵入者の動きを阻止するため大きな甲羅を持つ亀のような生き物とヒグマような親子が真っ先に行動を始めた。
体長6メートル程の亀の甲羅を背に持つ生き物は、甲羅を高速に回転させ、侵入者の左脇から攻め上がる。同時に母熊と子熊の親子は、右側面から襲いかかった。
「雑魚に用はない。」
侵入者は、言葉を吐き捨てると人間離れした高い跳躍力を見せ、三匹の攻撃を華麗に躱す。
「覚悟っ!!!!!!」
侵入者が背中の大剣を抜刀すると俺の頭上目掛けて振り下ろしてきた。
「は?」
「魔王様ぁぁぁぁっっっ!!!!!!!」
『ズドンッ!!!』
男が振り下ろした大剣は、反射的に動いた俺の指先にすっぽりと収まっていた。
「なっ!?」
「えっ!?」
「くっ。」
後方へ慌てて退く侵入者。
その隙を逃すまいと忍装束の女魔族が背後から忍び寄る。
「ハァーーーッ!!」
「うぐっ!!」
女の鋭い蹴りによって壁に激突させられた侵入者。
次の瞬間には、この好機を逃すまいと生物たちが一斉に襲いかかろうと迫っていた。
「ヒャッホー!!」
「ギェーーーイ!!!」
『待てっ!!』
騒然とする室内に重たい沈黙の時が訪れる。
普段とは違う自分の声が趣ある重厚感で部屋中に振動し、魔物たちの視線が魔王に釘付けとなった。
「貴様、勇者だな?」
「魔王っ!今、ここで。俺が貴様を倒す!痛っ…!」
やはり…俺が魔王か。なんとなく状況は掴めてきた。
しかしそれだと、なぜ俺が娘のために読んで聞かせていた絵本の世界に迷い込んでいるんだ?
それに、俺の知っているこの世界の話なら勇者が悪名高い魔王を倒し、街に平穏を取り戻し、王女と結婚するとか確かそんな感じのありふれた物語だったはず。
それがどうしてこの勇者は、単身城に乗り込み、あまつさえ獰猛な魔物達の餌食になろうとしているんだ?………さっぱり分からん。
だが、このままこいつを放置しておくわけにもいかんだろう。何せこの男は、この世界における重要人物の一人なのだからな。
魔王は、荘厳な足取りで勇者の元に近づいていくと言葉を発しようと口を開きかけた。
そういえば以前、この世界の絵本を逢理沙に読み聞かせていた際に何か言っていたような気が…ええと、確かあれは、、、
「パパ!私ね。将来、大人になったら、この絵本の中の勇者様みたいな人と結婚するのっ!!!それでね、勇者様と子供をいっ〜ぱい作って野球チームを作るの!!!!!」
魔王は、額に青筋を刻み込むと勇者の襟首を鷲掴みにし、扉の前に乱暴に放り投げた。
「去れぃ!!!この人間風情がぁっ!!!!!!次、会うことがあったら、お前の最後だと思えっ!!!」
勇者は、唇を苦々しく噛みしめながらも魔王を睨みつけるとボロボロに朽ちた扉の前から去っていった。
その光景をジッと眺めていた大鷲の魔族が魔王に語りかけてきた。
「よいのですか?あのような輩、逃がしておいて。またいつ魔王様のお命を狙ってくるとも限りませぬぞ。」
「……よい。」
魔王は、それだけ言うと荘厳な足音を響かせ豪華絢爛な部屋から去って行った。




