遠景
設定は緩いです。
よろしくお願い致します。
ここは辺境伯領。
麦畑が広がるのを丘の上から見下ろす。
射し込む夕陽が麦穂を黄金色に輝かせる。
明日から始まる収穫に農民達も期待しているだろう。
それだけ今年は期待できる出来だった。
その麦畑の向こうに小さく馬に乗った一団が見える。
辺境伯令息……私の婚約者とその配下の騎士達だ。
手を振るのを見て、こちらも大きく腕を振り返す。
隣国と接する上に豊かな土地を持つこの地は狙われやすい。
隣国もそうだし、盗賊の類いも出るし、野獣もいる。
この地に住む民を護り、豊かにする事は辺境伯としての義務だ。
ただ、そうした営みを私は好ましく思うし、婚約者もそうだと信じられる程にマメな見回りをこなしていた。
そう、もう間近に見えるその表情は溢れんばかりの笑顔で。
「いつも待っていてくれてありがとう」
「当然です。あなたが行ったときは必ず私はここで待っていますから」
いつもの会話を交わして、彼の笑顔に愛おしさを感じながら駆け寄ると怪我は無いかと問い掛ける。
部下が小傷を負ったがそれだけだと返しつつ、少しだけ困った表情を見せた。
それは何か良からぬものを見つけた時の表情だと気付いて見ぬ振りをした。
何故ならそれは私には知らせたくないという、そういう心理だとわかっていたから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それが隣国の侵攻である事はすぐに理解する事となった。
兆候とはいえ、明らかな動きに辺境伯ほ迅速に対応した。
王都に急報を送ると共に近隣の貴族領への援軍要請。
そして敵の先手を挫くための進軍。
精強を誇る辺境伯軍もそれを理解した上で侵攻を始めた隣国を押し返す事は出来なかった。
長期化する戦いの中、彼が行方不明になったと聞く。
敵の兵站を挫くために敵中深く侵入するその任務自体は達成したが、帰還しないのだ、と。
指揮を執っている辺境伯は安全な王都へ戻るようにと私を気遣ってくれたが、戻ってくるかも知れないあの人の事を思えば離れる事など出来なかった。
そして、数ヶ月も続いた戦は終わった。
我が国は敵の侵攻を食い止めた上に逆に攻め返し、敵の要塞を陥落。
その要塞があれば護りは堅くなり、辺境伯領を軍事的に攻略するのは難しくなる。
大勝利と言っても良かった。
だけど、あの人は帰ってこない。
高位貴族である父は戻るようにと言ったし、辺境伯も死体すら見つかっていないが、状況は絶望的だからと口添えをした。
理屈ではそうだろうとわかっても、割り切れるものではない。
兵站が崩れた軍は士気が落ちる。
そして継戦能力を喪失するため、作戦は限られる上に時間が来れば撤退しかない。
その任務にはあの人と周りの騎士達も参加していた。
誰も帰ってこない。
何の慰めにもならないが、悲しいのは切ないのは私だけでは無い。
判ってはいても、私は今日もあの丘に立つ。
眼下の麦畑は今年も豊かに実り、夕陽を受けた黄金色の穂がその恵みを伝えてくる。
そう、この麦畑も守られたのだ。
風が吹き、微かに舞った埃が目に入る図らずも涙が出てしまう。
それが呼び水になった様に悲しみが溢れてくる。
何故、どうして。
そう、そういう風に思った時。
視線の先に小さな黒い粒が見えた。
目を見開いて見続けると、それは粒々になり、次第に一団になっていく。
涙を流すのは許して欲しい。
先頭に彼を見つけ、その後ろに彼らを見つけた時点でもう無理だった。
後ろで私の侍女も息を飲むのがわかった。
彼女は冷静に辺境伯の館に伝令を送ったみたいだけれど。
私はこの光景を忘れることは無いだろう。
夕陽に輝く麦穂、そしてあの人の笑顔。
そして、泣き顔がどれだけクシャクシャでもこれだけは言うのだ。
「約束通りお待ちしていました、愛しています」