どこにでもない恋 ~ヴィジュアル系バンドのボーカルで謎のセミナー主催者とそのセミナー参加者のアラサーOLの話~
ずっと昔に夢でこの謎シチュエーションに出会い、いつか書き上げたいなと思っていたものです。夢の雰囲気で書いてるのでプロローグみたいな内容です。
それでも良ければお読みください。
もし仮に。人生に転機があったとしたら。
私にとっての転機は、あのいかにもなセミナーのチラシを手に取った時だったのだと思う。
大学を卒業して就職したのはどこにでもあるような中小企業で、今どきこんな典型的なパターンがあるのかと思うくらいの嫌味なお局様と、セクハラ発言ばかりのバーコードに禿げた課長、仕事は結婚するまでの腰掛と豪語している後輩に囲まれて私は仕事をしていた。
誰も彼も深く関わらなければどうということもなくて。こんな一昔前のドラマのモブみたいなキャラ設定であろうとこの現代に生きる人たちなんだなあとぼんやり思うだけだった。
朝起きて支度をして会社に行く。それだけの毎日。満員電車に押しつぶされながら、夜の街をまっすぐ家に帰るだけの日々。彩りや楽しみも掠れて消えていく。学生時代には確かにあったはずの趣味や好きなことは味気ない日常にすべて塗り替えられて今や見る影もない。
変化を望む心すら乾燥してしまった。
帰り道で購入したコンビニ弁当をビールで流し込みながら惰性でドラマを見る。画面の中で繰り広げられる恋模様や、殺人事件に医療現場。どれもこれもが「リアリティのあるフィクション」でしかなくどんな心の琴線にも引っかからない。今の自分の心を形で表現したとしたら丸いボールみたいになっているのかもしれなかった。何もかもツルツルとすり抜けていく。
「これどーぞ、オネーサン」
ゆるくてチャラい話し方をするお兄さんに渡されたぺらぺらの一枚の紙。初回参加費無料、あなたも舞台に立ってみませんか。人見知りを直したい、人前で表現がしたい、歌がうまくなりたい、そんな方におすすめです!
そんなことがレインボーカラーのポップ体で書かれたチラシだった。
「明日やるんで気になったら参加してみてよ」
「はあ」
「あはははァ、オネーサンそんな死んだみたいな顔して生きるのやめたほーがいんじゃね?」
男は言いたいことだけ言ってふらふらと路地裏に消えて行った。
「……ヤク中?」
私の疑問は誰にも聞かれないまま。
「なんでこんなとこに来たんだろ……」
潰れた映画館を再利用したみたいなボロボロの建物に『あかつきセミナー』と手書きで書かれた看板が傾いて付いている。どう見てもまともな施設では無いのは一目瞭然だった。
けっして賢い選択頭ではないと分かっていたけれど、そんな頭の痛くなるような世界に飛び込んでみたらどうなるのだろうという、猫をも殺すような好奇心が私を中へと進ませた。
玄関ホールを抜け、両開きのドアをくぐるとガランとした場所にパイプ椅子が列になって並んでいる。とはいえ並びはガタガタだしまともに座れそうなのは数える程。
スクリーンがあったような形跡の場所には長い教壇のようなものと瓦礫が散乱していて、思っていたより廃墟めいていた。というかたぶんここは廃墟だ。
席にはもうまばらに人が座っていて、どの人も目に生気がない。そりゃそうだろう、まともな人間はこんなところには死んでも来ない。きっと自分も彼らのような目をしている。
最前列(と言っても三列しかない)の一番左端に座る。座ってから気がついたのだが、何故かこの席がステージに対して正面ど真ん中だった。この場所には秩序立ったものがまるでないらしいとこの辺りで気がついた。
しばらく座って待っていると、ブゥンと言う機械音がしてガサガサの声が「マイクテス、マイクテス」と低い音で言った。
「あー、あー、……はい、聞こえますね」
ステージの奥から白衣を来たヒョロい人物がマイクを片手にやってくる。カチッとスイッチを切り、男は教壇にマイクを置いた。
(いや、使わないんかい)
そう思ったのは自分だけだったらしい。周りは無反応だ。
「どぉも、皆さん。ようこそ私のセミナーへ」
ぱちぱちぱち、と疎らに拍手が起きる。右ならえが染み付いた私もつられて拍手した。
全体的にゆるくて締りがない。まあ無気力そうな人々の集まりに、やる気のなさそうな主催じゃどうしたってこうなるだろう。
私は教壇に立つセミナー主という人物の真っ黒で光の見えない瞳をじっと見つめていた。なんていうか、雰囲気のある人だ。黒い天パかオシャレなのかわからないヘアスタイルに、なまっ白い肌り唇は目立つほど赤く、鼻筋は通っている。パーツだけ見れば普通にイケメンだ。キツい猫目のアイラインがやけに似合っていて艶っぽい。
身なりはどこか胡散臭いのに声はとても澄んでいてよく通る。それが言葉に不思議な説得力を与えていた。人前で声を出すことに抵抗がなく、むしろ慣れ親しんだ人のもののように聞こえる。
「……え〜、という訳で、本日の講演は終わり」
唐突にしめくられた男の話に思わず時計を覗く。まだ始まって三十分も経っていない。男が出てくるまでの時間も含んでいるので十分も話していないのではないだろうか。
私は疑問に思って横を振り向くけど、私以外は誰も疑問に思っていないようでみな虚ろな表情で半端な拍手をしていた。デジャブ。
「では会員の方はこちらへ〜」
封筒を抱えたセミナー主がダルそうに言った。
そしてその場にいた私以外の全員がふらふらと男の元に行ったかと思うとドサドサと、何か音を立てて袋に入れていく。
――あれは、まさか……お金?
私だけが何もわからないまま呆然としていると男が一人ひとりに飴玉を渡して「またどうぞ〜」と見送っている。
あの飴玉、ヤバい薬でも入ってんのかな、と内心ビビりながら私はその光景をじっと見守っていた。
そしていつの間にか私ひとりになる。そりゃそうだ。
「あれ、おじょーさんまだいたの?」
お嬢さんと呼ばれる歳でもないと思いながらも帰るタイミングを失って、私は椅子に釘付けされたみたいに動けない。
帰りたい気持ちはあった。けどそれと同じくらい男に興味がわいていた。
「あんたさんも会員になるん?」
「……会費はおいくらなんですか」
「あー、“お気持ち”、かな?」
なるほど。明確な金額は提示してないのか。寄付、とでも言うのだろうか。これは法の抜け穴なんだろうかと思いながら、私は千円をその封筒に入れた。
「どうも〜」
男は私がしょぼい額を入れても驚きもせず飴玉を渡してきた。本当に気持ちなのか?
よくわからないけど、大玉の飴はザラメが付いていて駄菓子屋で売っていそうなものだった。普通に美味しそう。
「あの、これって、宗教なんですか?」
あ、直球過ぎた。でもどう見ても新興宗教にしか見えない。ちらりと見えた封筒の中には札束も見えた。あんな十分足らずの講演に札束なんてまともじゃない。
男は一瞬目を開いて、だがすぐにクスッと笑い出した。
「そんなんじゃないよ。あの人たちは俺のファンなだけ。俺これでもそこそこ有名なバンドのボーカルだから。でもまあ確かに宗教チックかもね?」
魚の死んだ目をした、暁と名乗る男は、そう言って何故か流し目で私を見た。
はい、と手渡されたのは白衣を着た派手なメイクをした暁さんがジャケットの真ん中に写っているCDだった。その姿にどことなく見覚えがある。年末の恒例歌番組で見たことあるような。
ぐいんと首を上げて私は彼を見やる。
「それ、俺。もう十年前くらいのだけど」
ヴィジュアル系が全盛期だった当時彗星の如く現れたバンド、とかいう触れ込みだったはず。大きく宣伝広告が打たれ、話題になったのではなかったか。
が、その後の音沙汰は何にも思い出せないので、きっとこうなったのだろう。
ジャケットの中の暁さんはわかりにくいが、まだ目は死んでいなさそうに見える。
リアルの暁さんは、ニヒルな笑みを浮かべて咥えタバコをしている。煙は出てないので吸ってはないようだ。
「なるほど」
自分でもこれは何に対するなるほどなんだろうと思いつつ相槌をうった。
「ねぇあんた、俺のファンでもないのにどーしてここに来たの?」
「なんかだるくてチャラそうなお兄さんが配ってたチラシ見て、なんとなく」
「へぇ。あれ意味あったんだ。タカシがなんかやることくれって言うから適当に作ったチラシ配らせてたけど、でもあんなの見てここに来るなんてあんたも相当だね」
「そうですか、ね」
「自覚なし? やばくない〜?」
「いや、こんなところに来るなんて余程だなとは思ってましたけど」
「わーお、辛辣〜」
語尾に〈カッコ笑い〉がつきそうなやる気のない返答にこちらも薄ら笑いが出る。我ながらなんて非常にシュールな会話だ。
「じゃあ今日は初回ってことで教祖様がお嬢さんの話聞いてあげよう」
ニンマリとして笑む猫目は、アリスを誘い込むチェシャ猫のようで、少し怖くてでも抗えない魅力があった。
「コピペのような毎日が苦痛だと」
「はい。毎日毎日つまらないの更新に何もかも上書きされてる気分なんです」
「ふーん、君って詩人だね」
「そうですか……?」
「ようはそれが社会人の日常ってことだろ」
「はあ……、そう言われればそうですね」
教壇に座る教祖とさっきまで座っていた左端の椅子に座って〈面談〉が行われている。
教祖はタバコに火をつけてふかす。火気厳禁と書かれた看板はすでに茶色くヤニまみれになっていた。
「俺みたいに毎日が一本の蜘蛛の糸に救われるのを望むような毎日よりはマシだと思うけど、ま、君の人生は君にしかないわけだし比べても意味は無いのか」
「教祖は日常が鉄骨渡りなんですか?」
「ミュージシャンなんて大方がそんなもんじゃない?」
知らんけど。と無責任なことを言っているが、確かに一般的には芸能の世界は水物と言われるし、安定とは反対の位置にあるのかもしれない。知らんけど。
「でもさ、実際サイケデリックな毎日になったらそれはそれでどうなの?」
「いやそこまでの非日常は求めてないです……」
「そらそうだ。チカチカして眩しそ〜」
おどけるように話すこの人にいまいち話を聞く気があるのかないのか、わからないけど教祖と話すのは私の求めていた刺激のひとつには違いなかった。
「……あ、一個思いついた」
「何をです?」
これが私のこれまで全てを壊す一言になるなんて、この時は知る由もなかった。
「俺と、付き合ってみようよ」
は、という音は声に出ていたのかどうか、私にはわからなかったけど、チェシャ猫の目をした美貌の教祖はどこか毒気のない笑顔で私を見つめていた。
お読みくださりありがとうございました。
タイトルちょっと変えました。