旧道
この山にはカミが住む。
ヒトが山に立ち入る前には、登り口横の祠に握り飯を持って挨拶しなくてはならない。これを怠れば山のカミは容赦なくヒトを喰らうぞ。
ひげ面の男は何度も私たちに言い聞かせた。山に喰われるぞと。かつて仲間の猟師が挨拶を怠ったために山の中で遺体で発見された、とも。
男は祠に向いて手を合わせ、握り飯を一つ置いて山に入っていった。残された私たちは祠の前で立ち尽くしていた。遠足に来たわけではなかったため握り飯など持ち合わせていない。
私と先生は昨冬の豪雪の影響がないか旧街道の現況確認に来ていた。町では、枝ぶり立派な桜や松があちこちで折れたほどに昨冬は豪雪であった。旧街道は現在はただの山道であるが、過去の名残からか、使われていないにしても市道であるために、地主ではなく道路管理者である役人の私が通行者の安全を担保せねばならない。
何もしないで山に入るのはためらわれた。神を語り、騙るのはヒトだのに。知っているのに。私には山の奥にカミがいるような、そんな気がしていたから。背負っていた鞄を探ると、いつ入れたのかも忘れた飴を一つ見つけたので、祠の前に置き、手を合わせ、目を閉じた。
山を登り始めてすぐの川沿いで、杉の木が根元から倒れていた。3本もだ。大木が折れるのではなく根元から倒れるとは、土壌が弱っているのだと先生は言う。
登り始めてしばらく、馬頭塔の傍の山桜の木が折れて道を塞いでいた。鮮やかな桃色の花を咲かせる木であったので、残念に思いながら道を塞ぐ部分を鋸で刻んで道の端に寄せた。
旧道の中腹より少し先、何本もの杉の皮が剥がれて垂れ下がっていた。折れるのではなく、剥がれるとはどういうことか。私の問いに先生は答えなかった。そのまま登っていくと、山肌のあちこちでも杉が倒れていることが確認できた。
旧道の終わり、すなわち山道の終わりでは設置していた木製の標柱が折れていた。断面には虫の抜け殻と糞が波打つように付いていた。
メモ書きした記録を確認しながら歩いて来た道を戻る。杉が倒れた付近には日光が差し込んで、湿った土を輝かせる。
ブナやクリは折れていないなあと私は口にする。
人が植えた木を山のカミが殺しているのかもなあと先生は口にする。
登り口まで戻ると、私は振り返った。やはりカミがいたような、そんな気がしていたから。
祠に置いた握り飯と飴は無くなっていた。