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あの時、一番好きだった君に。  作者: 三嶋トウカ
大学4年_春

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第71話:不穏な空気_4


 慣れた手つきで航河君は機械の該当ページを開く。そしてすぐに転送ボタンを押した。


「……これで良いの?」

「そんな気分なの」

「……そっか。わかった」

「よろしく千景ちゃん」


 私はマイクを手に取り、チラリと航河君を横目で見てから、今日最後の歌を歌う。


「――君を見たあの日 世界が変わったんだ その声とその笑顔が 私の心を揺すったから こんなに近くにいるのに 思いは届かなくて 今日もまたいつものように その背中を追った」


(うう……これ高音域きついかも……)


 既に限界が来そうだったが、ジッと画面の歌詞を目で追っている航河君を見て、頑張らなきゃいけない、そう思った。


「見てるだけで良い 触れられなくても 傍にいなくても 好きだから そう思っていたのに 思いは募るばかりで その優しさに溺れる私を アナタはどう思っているの」


(航河君、大丈夫かな……)


「聞きたい 聞きたくない 知りたい 知りたくない 聞いたらそう 壊れてしまいそうで 知ってるの私 アナタ本当は……」


(……航河君?)


「わかっていても 離れられないの アナタから 何度背を向けようとしても 優しくて残酷な感情は 見えない鎖で 私を繋いだまま 優しくしないで 甘やかさないで 好きじゃないなら そんなの要らない」


 一番を歌い終わったとき、航河君は両手で顔を覆い俯いていた。私の歌でかき消されていた声が聞こえる。すすり泣くようなその声を聞きながら、私は曲の間奏を待った。


「……航河君」

「……っ……そのまま、歌って」

「そう……」


 今までで一番、感情を込めたかもしれない。航河君が望むなら、今日はこの歌を君に捧げよう。死ぬほどアナタが大好きなのに、思いが実らない、片思いのこの歌を。


 私が一曲歌い終えると、航河君はもう正面を向いていた。暗くてハッキリとは見えないが、きっとその目は赤く充血していただろう。


 ――パチパチパチパチ。


 思いがけず、航河君から拍手をもらった。


「千景ちゃんありがとう。あー、なんだ、まだ声出るじゃん」

「頑張ったんだよ。……君のためにね」

「……うん。俺のために、ね。……ありがとう」

「いいえ。どういたしまして」

「はぁ」

「大丈夫?」

「俺さ。美織ちゃんが思ってるよりも、ずっとずっと美織ちゃんのこと好きだったんだよ」

「知ってるよ。航河君が美織ちゃんのこと、大好きだったのは」

「大学卒業して就職したら、結婚するつもりでいたの」

「……うん」

「ぼんやり……とだけど、そんな話、美織ちゃんにもしてたんだけどな」

「……うん」

「話を聞いてくれてたから。勝手に美織ちゃんも、俺と同じ気持ちなんだと思ってた」

「……うん」

「まださ、行きたいところもいっぱいあったの。食べたいものも、渡したいものも」

「……うん」

「誕生日にね。旅行の話もしたんだけどね」

「……うん」

「でも、全部なくなっちゃった。『兄弟にしか思えなくなった』んだって」

「……っ」

「このあいだの美織ちゃんの誕生日は、普通に過ごしてたのに。……もしかして、あのときもう考えてたのかな。美織ちゃん、俺と別れる未来のこと」

「……」


 私はぎゅっと唇を噛む。自分が言われたわけではないのに、酷く悲しくなった。


 ――だって、本当につい先日のことなのだ。美織ちゃんの誕生日は。私の目には鮮明に焼き付いている。腕を組んで歩いていて、カラオケにご飯を食べに行って。私も摩央も見ていたその姿。あの姿を見て、誰が別れると思うだろうか。……いや、思わない。――絶対に。思わない。


「一応言っておくけど、千景ちゃんと仲良くし過ぎたとか、そういう理由じゃないから」

「気遣わなくて良いよ」

「そこはハッキリさせておかなきゃ。もっと、俺たちの根本の問題だったわけ」

「……そう。わかったよ」

「俺が兄弟に見えることに、千景ちゃんは全然関係ないでしょ? ね?」

「それは! ……そう、だけど……」

「呆気なかったなぁ。こんなふうに終わっちゃうんだって。今になってわかるよね。自分の中で考えていたよりも、ずっとずっと心の中を美織ちゃんが占めてたんだなってさ」

「だって、好きだったんだもん……そりゃそうだよ……」

「いやー、兄弟ってキツイよなぁ。異性として見られてないってことでしょ? 原因俺じゃん」


 気を遣われたと、聞いた瞬間は本当にそう思った。私が原因のひとつである可能性は、ゼロではないのかもしれない。航河君は優しいから黙っているのかもしれないと、美織ちゃんが気を遣ってなにも言わなかったのではと、私は疑ってしまうのだ。……しかし、航河君の力強い否定に、私はそれを信じることにした。このまま疑い続けたら、きっと私達の友人としての関係もギクシャクしてしまうだろう。私が原因ではないことが嘘だったとしても、本当だったとしても、このことをいつまでも疑問として持っていることは、きっと航河君も望んではいない気がしている。

 そして、別れたのは航河君のはずなのに、自分の好きな人のはずなのに、私は唇を嚙み締め続けてそのうち溢れそうな涙をグッと堪えていた。どうしてこんなに、泣きそうになってしまうのか。考えようにも涙を堪えるのに必死で上手く頭が回らない。声も震えそうになるのを、必死に隠しながら航河君の言葉を待った。


 ――きっと、ここで『大丈夫だよ』と言って航河君の手を取ったり、抱き締めることは容易くできてしまうだろう。航河君も、それ自体はきっと否定しない。今航河君が感じている気持ちは痛いほどわかるつもりだった。だからこそ、そんなことはしない。ただ自分の自己満足な気持ちでそんなことをしても、航河君にとってはなんの意味もなさないから。


「はぁー、スッキリした! このあとは、またいつもの航河さんに戻るから」

「無理しない程度にね」

「あはは。りょーかい」


 航河君は大きく伸びをして、首を鳴らした。そこまで喋っても、航河君は優しい声で私を気にかけてくれている。余裕なんて全然ないはずなのに。これからの航河君に、今までいた美織ちゃんはいない。


 ――そう。カラオケを出たら数時間前の延長線、日常に戻るだけだ。


 航河君にとっては、残酷で悲しい日常に。


 私にとっては、苦しくて胸の締め付けられる日常に。

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