3,それでも心は濁りを失わない
結局、どうせ誰も話しかけてこないだろうと無理矢理に自分を納得させて教室でコンビニ弁当を平らげる。最近のコンビニ弁当は進化していて、栄養に一切気を遣わず、休日はカップラーメンぐらいしか食べていない俺が今日まで生きてこれているぐらいにはバランスの取れたご飯を提供してくれる。
今日は、やけに味が薄く感じたが。
満腹ゆえか、微かな眠気を感じながら現代社会の授業を流し聞く。
ぼんやりと窓の外を眺めるうちに、ふと頭の中に閃くものがあった。
趣味で書いている物語のネタに使えそうなそのアイデアを膨らませるのに夢中になるうちに、授業は刻々と進んでいくのだった。
チャイムの音に我に返り、時間を見て絶望し、手元のプリントが綺麗なのに絶望し、さらには日直が早くも黒板を消し始めていることに絶望する、踏んだり蹴ったり。
いや自業自得だが。
若干の自己嫌悪を胸の奥に押し込み、亮二と言葉を交わして帰路についた。
膨らませたアイデアを忘れないように。
だが。
「……また居るのか」
すっかり暗くなった冬の夜。
一人寂しく歩く帰り道の途中、小さな寂れた公園。
先日と同じように、ぼんやりと灯る街灯の下、壊れかけのベンチに、相も変わらず、少女が座っていた。
無言で俯くその姿を、何故か見ていられなくて俺は顔をそむけた。
ふと、昼の転校生の表情を思い出す。拒絶するような、凍えた――――人付き合いに、疲れたような表情。
……胸が痛みを訴えていることに気づいて、俺は足を止めた。
いや、胸が痛いんじゃない。
記憶が。
もう、とっくに飲み込んだはずの記憶が、俺に何かを訴えかけていた。
頭の中の、小説用のアイデアが、目の前の彼女と重なる。重なって、しまった。
――。
それは、きっと同情だった。
それは、きっと自責だった。
そして、それはきっと決別だったのだ。
俺は、無意識のうちに、公園への一歩を踏み出していた。
――それが、全ての始まり、決定的な間違いで奇跡だった。
かじかんだ指で、公衆トイレ横の自販機で温かいコーヒーを買い、しばし迷ったのちに温かいミルクティーを買う。
そして、出てきた二つの缶を持つと、寂れたベンチへと歩いた。
頭の中で、会話のシュミレーションを行う。
コミュ障の上気を使って話すのが嫌いな俺だが、仮面をかぶって赤の他人と話すことができない訳じゃない。後で物凄く疲れるが。
「……どうぞ」
「え?」
鈴を転がすような、清涼感のあるボイスに、驚いて上げた顔。
やはり、蓮水だった。
「えっと……?」
不味いところを見られた、と言わんばかりの表情と、差し出されたミルクティーへの困惑と、そんな感情が入り混じった複雑な表情で俺を見つめる彼女をあえて無視して、ミルクティーを彼女の座るベンチに置くと、俺は立ったままコーヒーのプルタブを引いた。
「……ありが、とう?」
暫くの逡巡ののち、か細くお礼を言った彼女は、ミルクティーを手に持った。
「ぁ……あったかい…………」
やはり寒かったのか、顔を綻ばせて缶を包み込んだ。
缶の温かさに目を細める彼女に、自然と目が行ってしまう。
だが、無理やり視線を引きはがした。
「えっと……確か、同じクラスの人ですよね?――神影さん、でしたっけ?」
「……よく覚えてるな。影が薄いことには自信があったんだが」
純粋に驚きが声に出てしまった。
自信なさげにしながらも、まさか本当に俺の名前を、クラス内でも影の薄い俺の名前を当てられるとは全く思っていなかった。
「できるだけ、覚えるようにしていますから」
当たり前だと言わんばかりの声色で、そう告げた彼女は、一口ミルクティーを飲む。
「神影さんは、此処へ何をしに?」
若干の警戒を声に滲ませながらそう尋ねる蓮水。
「帰り」
「え?ああ、家がこちらなのですね」
帰り道なのだと端的に告げれば、得心が言ったかのように顔の強張りが若干取れた。
「って、そうではなくて!なんでわざわざ私のところに来たのですか?」
残念ながら、騙されてはくれなかったようだ。まあそりゃそうか。
といっても、特に理由などなかったので、正直に口を開く。
「特に。なんとなく、また居るなと思って」
「……そう、ですか」
会話が完全に途切れた。
といっても元々特に会話をしに来たわけでもないので、こちらから会話を振ることもなく。
静かな時間が過ぎる。コーヒーの苦みが心地よく体に沁みた。
「――御影さんは、確か久藤さんと親しそうでしたよね」
「……よく見てるな、本当に」
「できるだけ見るようにしていますし、それに……」
そこで少し言いよどんだ彼女を、目線で促す。
「私に、その、興味のなさそうな目をする男性が、少し珍しくて」
「……ああ」
確かに、そうかもしれない。
これだけの美人となると、大抵の男は振り向くだろう。今日の告白男子みたいな。
実際、クラスメイトのほとんどが、蓮水の周りに四六時中集まっていた。
まあ、転校生が珍しいというのもあるだろうが。
「……気を許せる奴は、誰かできたのか?」
彼女が話を出してくれたのに何も話を振らないのも悪いかと思い、無難な会話を差し向けたつもりだった。
「……いえ」
「そうか」
まあ、まだ転校したてだ。
そんな早くできることもないだろう。
「随分人気だったが」
「……パンダみたいなものでしょう」
突然の冗談に戸惑うが、そう告げる彼女の眼は本気の色が混じっていた。
「いくら囲まれても、実際に友達と呼べるのかは別問題ですから」
「……」
「沢山の薄いつながりしかない友達より、少しの気を使わなくていい友達が欲しい―――って、すみません、いきなり。こんなこと話されても迷惑ですよね」
「……いや、別に」
他人に興味はない分、他人の愚痴を聞くことに苦痛は感じない。基本聞き流すから。酷いと言われようと構わない。
それに。
「心の底から同意する」
「……」
風を受けてかすかに軋む、古ぼけたブランコを見るともなしに見る。
沈黙。
それを破るのは、再び彼女だった。
「御影さんは、友達は?」
「…………碌に居ない。亮二ぐらいか」
若干声が固くなってしまったのは、俺の弱い心ゆえか。
ふと、亮二の「俺のことを玲一が友達と認めた!」等という幻聴が聞こえ、胸の中で舌を出した。
あいつ、あの美形のくせして煽るときの顔マジでイラっとするからな。
「そう、ですか。……ハッキリと友達といえる人がいるのは、素敵ですね」
「……そうだな」
俺の声から何を読み取ったのかはわからないが、そう告げる蓮水の顔は、やはりどこか寂しそうだった。
学校で纏っていた、何処か超然としたような雰囲気もすっかりと霧散し、昼とはずいぶんと違う印象を抱く。
俺は、残っていたコーヒーを勢いよく飲み干すと、缶をゴミ箱に投げた。
「気を許せる奴が、出来るといいな」
そんな、無責任な声を残して、俺はその場を立ち去った。
友達がまだ少ないとはいえ、カースト制度があるとするなら明らかに天辺に君臨するであろう、美貌の転入生と、影が薄く、友達もただ一人という、底辺の俺。
二度とその道が、交わることはないだろう、と。
そんな予感を胸に。
……結局、温めていた小説のアイデアを忘れ、俺は目を逸らすように借りてきた本を読み耽る。
読み終わってしまったときの充足感と寂寥感をかみしめながら、温かいお風呂に浸かった。