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星月夜の魔女

作者: 天やん


 夜はまだ明けていない。秋の月が僕を照らしている。

 僕は山と呼ぶには低い山の山頂へ続く遊歩道を歩いている。

 僕は過去のことを思い出す。遥か遠く、脳の片隅に行ってしまった記憶をたどる。

 四年。短いようで長い時間。その間、僕の時間は止まり続けている。

 僕はまだ十六歳だった。あの頃はまだ、たまに誰かがここを掃除していたのか足元のブロックが見えていたが、今はもう見えない。年を追うごとに落ち葉と埃が足元を埋め尽くしていく。

 道はほとんど見えなくなってはいたが、僕の体が山頂への道を覚えている。

 自然と体が歩んでいく。僕の心はそれに先立って走る。

 歩きながら周りを見る。あの頃と変わらない風景が僕を囲んでいる。

 ザッザッと足元から落ち葉を踏む音だけが聞こえる。静かな夜だ。

 空を眺める。雲ひとつない。月と星と空が満遍なく見える。


 ここに彼女がいれば…


 ふと、彼女のことが頭に浮かぶ。長く白い髪、優しげな顔、凛々しい瞳。彼女のことは忘れたくない。

 彼女は今、何処にいるのか、なによりも生きているのか…四年。こんなに長い時間が流れたんだ、何が起きていてもおかしくはない。

 ―生きているのか…―少し笑ってしまう。

 僕も変わったものだと思う。あの頃は生きる事を考えてもいなかった。

 目の前の風景が変わった。ひらけた場所に出る。山頂に着いたようだ。

 展望台である。

 三角屋根の小屋と百円で稼動する双眼鏡が設置されている。

 もちろん人は誰もいない。虫の声だけがする。

 少し残念だ、と肩を落とす。

 それでもすぐに気を取り直す。

 僕は小屋のほうへ向った。ベンチと四角い机だけがある。そういえばここは休憩小屋だった。そんなことを思い出す。

 一歩小屋の中へ踏み出そうとした時、足に何か当たった。僕が蹴った“それ”は軽い音を立てて床をすべり、机の脚に当たって止まる。

 なんだろう。と僕はそれを床から拾い上げた。

 カセットテープのようだ。裏には―魔女へ―と書かれた紙が貼り付けられている。

 そうか、これは僕が残したものだ。これがまだ誰にも盗られずに残っていたのか、少しばかり神さまに感謝する。

 僕はそれを拾い上げ、今度は双眼鏡のあるところまで歩き出す。

 少し歩いて、そこに着く。

 景色はあの頃から随分と変わっていた。僕の目に映る町は高層ビルが建てられ、電灯の灯りが夜を昼のように明るく照らしている。

 僕は手元の機械に百円玉を入れる。起動音はしない。もう壊れているようだ。

 ふう、と柵に身を任せる。さびが浮いた鉄の軋む音がする。

 柵の先には防護ネットも何もない。冷たい地面が闇に包まれている。

 このまま落ちるのもいいと思った。

 もう誰もいないんだ。

 闇が僕を包み始める。

 今ここにいるのは僕ひとりだ。体を乗り出そうとした。

 いや、それではあの日の約束が守れない。と落ちることを諦める。

 そして過去を思い出す。あの日も僕は死のうとしていた


 ――そう、あの日も…


 十六歳の秋の夜中。僕は月明かりを頼りに山頂を目指して歩いていた。足元にはそこに繋がるブロックが群れを成している。ブロックのでこぼこが足に引っかかりこけそうになる。

『魔女の住む山』

 ここはそう呼ばれている。真夜中に山頂へ行くと“出る”らしいのだ。そして…何が起きるかわからない。魂を抜かれるやら、殺されるやら、魔法を見るやら…色々と。

 結局は噂である。でも何かが起きるらしいという話だ。

 噂なのだが僕はその“何か”を求めに行くのだ。魔女に殺されに行くのだ。このつまらない命を捨てるのだ。

僕は左手首を見る。最近出来た傷がミミズ状にいくつも出来ている。その中には数箇所、乾ききってないものもある。

 顔にくもの巣がついた。木々の間を縫うようにくもの巣が垂れ下がっている。

 いったん足を止め、僕は左手を上着の闇色のジャンバーに突っ込む。硬いものが指先に触れる。僕はそれを引き抜く。黄色いカッターナイフ。刃先は伸びて鉛の鈍色と赤黒い光を放っている。

 僕はそれを振るう。

 くもの巣は簡単に切れる。縋るものの無くなったくもが落ちる。

 僕は踏み潰す。形のあるものがつぶれる。それが何故だか気味がいい。

 そしてまた歩き出す。

 歩きながら今度は右手の甲を見る。タバコの火が落ちた痕を見る。二度と治らない、治ることのない傷跡。僕がこの世から要らないと言われた証。そんな証が体中に刻み付けられている。

 死ぬ努力はしている。しかし勇気が伴わない。死ねない。だから殺してもらう。単純な話だ。

 だから僕はここまで歩いてきている。

 歩きながら前を見る。木が消え、開けた場所が見える。あと少しで登りきれる。

 僕は一息つき、立ち止まった。いつの間にか額から流れていた汗を一気に拭い取る。

 僕は目の前に広がる場所へ駆け出した。


 登りきる。


 僕は何があるのかと思い、辺りを見回した。

 三角の屋根がある小屋。デパートの屋上にでも置かれているような双眼鏡。展望台なら何処にでもあるようなものばかり。

 僕は展望台の真ん中へ歩き出す。頭の真上を月が照らしている。時刻は一時といったところか。

 体を横たえる。背から鉄の冷たさがしみこんできた。

 風が吹き抜けた。いやに冷たい風だ。

 月が僕を照らす。明るい。

 少しそのままの状態で魔女を待った。

 しかし、月が傾いていくだけで何も起こらなかった。誰かが来る気配もない。やはり噂はただの噂だったのだ。僕は落胆した。

「―――――――」

 誰かに呼ばれた気がした。今、ここにいるのは僕しかいない。勘違いかもしれない。いや、多分勘違いだと思う。それでも、僕は呼び主が気になった。

 体を起こす。声のしたほうを見る。

 双眼鏡だけがあった。

 そこに誰かいる気がする。気のせいか、おいでおいでをしているようだ。

 僕はそこまで歩く。しかし誰もいない。やはり気のせいか。

 僕は柵にもたれかかる。溜息が口から漏れる。

 ふと、柵の向こう側が気になった。

 そして僕は柵の下を覗いた。真っ暗な闇がぽっかりと口を開けて待っている。僕がそこに飛び込めば、そのまま存在が何も無かったように消えてしまいそうだ。身震いをする。

 落ちたくなった。柵を乗り越えるだけで僕という存在は消える。

 堕ちたい。心の中からそれを欲している。

“死”

 それが僕を呼んだんだ。ここに来たのは間違いではなかった。

 僕は目をつぶり消えようとした。

 柵を乗り越える瞬間。

「ちょっと待てぃ」

 背後から叫ぶ声がした。リンと響く鈴のような声。女性らしかった。

 気にはなったが、それでも僕は落ちようとした。

「だから、ちょっと待てぃって」と襟首を掴まれた。誰か後ろにいるらしいが姿は見えない。

 僕は首の皮を掴まれる猫のようになった。

 それでも、僕は暴れて落ちようとした。しかし、女性はそのまま僕の襟を掴んだまま話そうとしなかった。

「こらっ、猫みたいに暴れるな。手が痛いじゃないか」女性は怒ったような口調で言う。

 本当に痛そうな声だったから、僕は一度暴れるのをやめた。

 静かになった。

 誰も何も言わない。風が吹く音だけが聞こえる。

 それでも女性は僕を放さない。

 このままにしていると、本当に猫みたいだ。

 僕は、もう、降参。と言うように両手を挙げ、小さく

「うー、にゃー」と呟いた。

 すると、いきなり

「猫か!!」と僕は頭をはたかれた。

 何だと僕は驚く。

 そして、展望台に引っ張り倒される。

「ったく。近頃の若もんは…」とぶつぶつ言っている。

「まぁ、私もその若者だけどね」クスクスと女性は笑った。

 僕は女性の顔を見ようとした。

 しかし、月の淡い光が彼女に重なり、顔が翳っている。顔を覗こうともほとんど見えない。ただ彼女の髪は月の光を纏い綺麗な光沢を帯びている。

「魔…女…魔女か」僕は彼女に言った。いや、呟いたぐらいの声だった。

 それでも聞こえたのか彼女は自分を指差す動作をした。

 僕は首を縦に振る。

 彼女は困った様子だったと思う。顔を見なくてもわかった。

「はは…そうである。我輩が魔女である。ってことでいいかしら?」彼女は答えた。というより聞かれた。

「……………」僕は唖然としながら首を縦に振る。

「あはは、なら魔女でいいや」彼女は笑って言った。

「ところで“猫”さん」魔女は言った。

 猫?誰だ?僕は辺りを見回す。僕と魔女以外はいない。

 僕は自分自身を指差す。

「そうだよ“猫”さん」と魔女は言った。少し腹を抱えている。

「鳴いてたでしょう?『にゃー』って」魔女はそう言って大声を出して笑った

 僕もつられて大声をあげて笑う。あっはっは。そういえば言った気が…いや、言ったよな。

「にゃー☆」もう一度小さく言った。「☆」つきで。何だか、もういいや。

「あぁ、やっぱりだ。猫だ猫」魔女は笑う。

 風が吹いた。ジャンバーを着ているが寒い。少し体を震わせる。

 こほん。と魔女は一息おく。

「ところで猫さん。貴方はここで何をしようとしてたの?」魔女の持つ雰囲気が変わった。辺りが一層寒くなった。風も吹かないのに体が震える。

 魔女の眼光に鋭さが宿る。その視線に僕の体はすくむ。

「…………ン」声が上手いこと出せない。深呼吸をする。口だけが金魚のようにパクパクと動く。

「何、してたの」魔女はもう一度言った。

「……死のうとしてた」ようやく言葉が出せた。

「それは見たらわかったわ」

 わかってるなら聞くなよ。僕は心の中で呟いた。

「何でそうしようとしてたの」魔女は僕をじっと見る。

「何ででもいいだろ。魔女には関係ないだろ」

「だめ。何で?何で?何で?………」獲物の価値を確かめるようにずっと僕を見る。僕がその視線から逃れようとしても。彼女はずっと僕を見ている。

「理由なんて、どうでもいいだろ。関係ない」僕は呟いていた。

「よくない。いいなさい」魔女は答える。

 僕は右肩から手を夜の外気にさらしだした。右腕のいたるところには火傷や切り傷がある。

 魔女は興味深そうにそれを見る。ふーん、と小さく呟いた

「ここだけじゃない。腹にも左手にもな。こんなのがある。ご丁寧に顔にはしていないけどな。ぜ~んぶ、ちょっとした知り合いにな。」 

 僕は自嘲する。

「やってられるか。これの一つ一つに僕がこの世にいらないって云う意味があるんだぜ。こんなとこで生きてられるか。つまらない」

 僕は吐き捨てるように言った。

「それで?」

「『それで』ってな!おい」僕は魔女の胸倉に掴みかかった。

「そんな事で死んでいいの?って聞いてるの」魔女は焦る様子も無く、僕のことを全てつまらない戯事のようだと言い放った。

 静かになった。僕は掴んでいた手を放す。舌打ちだけする。

「そんなんじゃあ、仲のいい人もいないんでしょうね。自分のつまらない境遇にばかり泣いている、ただの馬鹿にあんなご大層なものできるはずもないしね」魔女は笑った。僕は返す言葉もない。

 月が僕らを照らしている。全てが馬鹿馬鹿しい。

「あ、そうだ。貴方、死にたいのよね」けらけらと笑いながら魔女は不意に言った。

「ああ」僕は答える。

「なら、殺してあげましょうか?」

 僕はその言葉に戸惑った。

「貴方は殺されたいのよね。自分で死ぬんじゃなくて」くすくす、と魔女は妖しげな笑みを浮かべている。

 さっきまで自分が死ぬことを嘲っていた女。それがいきなり殺すと…ふざけるなと叫びたかったがそれをおさえる。

 自分がここに来た目的を思い出す。何のためだ。

 殺されるためだ。

 ―誰に―

 ―魔女に…―

 そして首を静かに縦に振る。

「それじゃあね。条件を出しましょう。いい?」

 僕は頷く。

「どうせ出来ないでしょうけど、自分で命を絶たない。それと毎晩ここに来ること。暇そうだしできるでしょう?」

 僕は頷いた。

「それじゃヨロシ」魔女は微笑んだ……ように見えた。

 張り詰めていた空気は糸が途切れたように緩む。

「じゃあ、今日はこれまで。猫さん、さっさと帰りな」魔女は言った。

 と背中を押される。僕はバランスを崩しこける。笑い声が起こる。

 じゃあね、と彼女は手を大きく振っていた。

 僕はそれに答えることなく。麓へ歩いていった。

 山を下りきった時には夜はもう白んでいた。

 家に帰るつもりはない。

 学校に行くつもりもない。悔しいことだが、学校では誰とも話をしない。馴れ合いなんてクソくらえだ、と思う。魔女の言うとおりだ。

 くそっ、と舌打ちをする。

 すると、不意に眠気が襲ってきた。

 財布を取り出し、中身を確かめる。

 お札が……三、四、五。これなら、どこかで一休みできる。

 どこか休める場所を探そうと歩き回る。

 ふと、自分の家が見えた。戻るか。冗談じゃない。

 もう少し歩こう……

 少し歩く僕の背をただただ、太陽が照らしていた。


 結局、家には戻っていない。僕は家から少し離れたカプセルホテルで少し眠った。

 硬いベッドの上で体を起こし、少し痛む体を伸ばした。

 外に出ると日が傾きかけていた。僕はそのままの足で山へ歩いていった。

 別に魔女の言うことは無視してもよかったのだが何故か足は自然と山を登っていた。

 朱に染まった太陽が僕を照らす。

 闇が近づいてくるのが分かった。それでも歩みを止めず、歩き続ける。

 そして、展望台につく。日は落ち、赤と黒のコントラストが周りの景色を色づけた。

 辺りを見回してみる。誰もいない。少し探し歩く。

「魔女、いるのか」大声を出してみるが反応もない。

 ふわぁ、と欠伸が出てきた。

 少し寝たりないようだ。

 探すのを諦め、横になる。まだ残る、太陽の残り日が目にしみる。

 そっと、目を閉じた。暗闇の中に行く。

 そして、少し深い眠りへと僕は落ちた。


 ふと、目が覚めた。

 頭の上から視線を感じる。目に淡い光を感じる。月が昇っているようだった。

 僕はゆっくりと目を開ける。近くに魔女の顔があった。寝ぼけ眼でよく見えない。

「なんだよ」僕は魔女を避けてゆっくりと起きる。

「よっ、猫さん。おはよ」魔女は小さく手を上げた。

 魔女は僕の隣にゆっくりと座る。

 うー、と僕は背伸びをした。魔女は楽しそうに僕を見ている。

 何となく溜息をつく。まだ、頭がぼやけている。

 僕は魔女を見た。彼女は静かに星を眺めていた。

「なぁ…」僕は魔女に話しかけようとした。いつ殺してくれるんだ。そう、言おうとした。

 しかし、魔女は僕が言葉を言い切る前に空に輝く星を指さし、静かに話しだした。

「あれ、北極星だよね」魔女は僕に聞く。

 僕は彼女の指の先を見て、頷く。

「私たちから見て、宇宙の中心なのに一番輝いているわけじゃないんだ」魔女は一言一言丁寧に言う。

「むなしいよね。中心なのに他の星が動いてなかったら、いや、動いててもそこで光ってなかったら、誰も『そこにある。真ん中にある』って気づかないかもしれないんだよ。やるせないよねぇ」

 はぁと肩で溜息をつきながら魔女は言った。

「北極星はきっと寂しいんだよ」魔女は呟く。

「なんでだ?」僕は尋ねた。

「ただ、何となくそう思うだけだよ」魔女はあいまいに笑い、そう答えた。

寂しそうだね……もう一度だけ、呟いた。

 その横顔が昨日と違い儚げで、僕は何故だか魔女の存在が淡いものだと一瞬、思った。

 そして、魔女は何も言わず、ずっと星を見続けている。

 僕が何を話しかけようしても無視を続ける。

 ただ、ずっと星を見ている。

 僕は立ち上がった。魔女はそれにも気づいていないようだった。

 帰ろう。もう、ここに来ることはない。ただ、帰ろう。何処かへ。遠くへ。

「猫さん、ちょっと待って」魔女が立ち上がり僕を呼び止めた。

「何だ?」僕は振り返る。

「継続は力なり、だよ。だから明日も来てね。そしたら楽にしたげる」魔女は明るく笑って言った。

 僕は溜息をついて頷いた。何故だか笑いがこみ上げる。はぁ、仕方ない。明日も来るか。そう思い、「わかった」と自分にも言い聞かすように呟いた。

 そしてまた歩き出そうとした時、また呼び止められた。

「早く家に帰るんだよ、きちんとね」

 さっきの調子とはうって変わって、冷たい声でつぶやいた。

「冗談だけどね」彼女は軽い調子で言う。

 しかし、僕は心を読まれたようで何もいえず、ただ、走り出すしかできなかった。


 今日もホテルに行こうと思った。財布の中身を見る。空っぽである。

 仕方なく、家に戻る。

 玄関を開けた。酒の匂いが、むっ、と広がる。

「叔父さん。また飲んでるのかい」僕は酒の匂いがするほうへ話しかけた。返事はない。

 金食い虫が。

 僕はこの叔父さんと二人暮しである。本当の両親はもう死んでいる。殺されたのと同じだ。金食い虫が借金を作って、親父たちが連帯保証人で借金を背負わされて…こっちが必死で働いている間、叔父さんはどこかに消えた。血反吐を吐くほど親父たちが働いて、金を返し終わった時にひょこっと彼は帰ってきた。そして、過労で親父たちは死に、彼がいつの間にかこの家に居座っている。それどころかいつの間にかこの家の主は叔父になっていた。

 憎い。殺したいと思う。理性がそれをとどめる。腕の傷がちくりと痛む。

 モウココニハイタクナイ。そう思っている。

 それでも、何故か出て行くという気は起きなかった。それをして何が変わるんだ。ということばかり考えていた。

「遅かったな」ポツリと叔父が呟いた。彼は僕を哀れむような目で見ている。

「何時だと思う、何をしていた」叔父が言った。

 関係ないだろうと僕は何も言わず憎しみを込めた目で睨んだ。

 そしてそのまま、自室に入り眠りに落ちた。


 次の日も、その次の日も、雨の日にも展望台へ向った。

いつの日も魔女は僕より遅く来て、星を見る。晴れの日は星と月を、風の吹く日は流れていく雲を、雨の日は空を覆い尽くす雲を、降り注ぐ雨を見た。

「僕をいつ殺してくれるんだ」と聞いても「まぁ、そのうち」「気は長くね」と笑いながら流された。

 ただ、短くなり行く生がこの場所であることで気が楽になり始めた気がした。

 死ぬのはいつでもいい。そう、思うようになった。しかし、それが小さい泡のように頭の中に浮かび上がるたびに僕は最初の目的を思い出す。けれど、頑固に死にたいと思い込もうとしてもそれもすぐに消える。

 ただ、この時間をすごしていたい。

 ただ、二人で。

 例え、いつ殺されることになろうとも。

 このことを思い始めるようになってから、僕の傷は増えなくなっていった。

 

 ある月が雲に小さく虹の輪を作っている夜、僕は言った。

「家を出たいと思う」何故言ったかはわからない。

 魔女はあいまいに笑い

「どうしたもんだか」とやはり笑う。

 それでも彼女は低く唸って、鼻に手を当てている。

「君は……家を出たいんだよね?」

 僕はこくりと頷く。

「なら……」

「自分のしたようにやりなよ」そう言いながら笑った。


 その翌日、僕は叔父さんに家を出ると伝えた。もう帰らない。そうとも言った。彼は僕の顔を見つめ、「そうか」と小さく悲しそうな声で呟いた。

 僕は身近な物だけを持って、町を彷徨おうとした。

 さて、どうしよう。まぁ、いいか気楽に。そう考えていた。

 玄関を出ようか。と言う時に僕を叔父さんは呼びとめた。通帳と印鑑とカードを僕に渡した。彼のものらしい。

「俺は何もできなかったが、これだけは渡しておく」

 そして、僕の手に握りこませる。

そして、一息つき、ただ僕を見て、ふと言った。

「すまなかった。兄貴たちのことは俺のせいだ。本当にすまない。」叔父さんは僕に頭を下げた。


 僕の手を握る。そして、今、気づいたように僕の手の消えない傷を見る。

 それを愛しい赤子のように撫でる。

「すまなかった」

 ただ、一言呟いた。

 そして、もう一度、撫でる。

「これも、これもお前を苦しめていたんだな。罪滅ぼしも何もできなかった。何もできないが、この家は お前を待っている。」叔父はいつの間にか涙を流している。

 僕はその手を振り払う。

「本当に……」

 叔父は何度も呟いている。


「すまない」

 

 僕はそれを聞かない振りして外に出た。玄関のドアをきつく閉める。叔父の涙で傷口が濡れていた。何故だか急に心が虚しくなった。

 傷を見る。叔父につけられたはずの痕。はずの……

 思い出す。いや、知っている。全ての傷は自分でつけたものだと。

 家族が消えて、残された僕。体に残された傷は自分が自分を要らないと、消したいと考えた証。この世から消えたいとつけた証。

 叔父を恨んで、殺そうとも思って、自分で傷つけて……

自分が傷つくのを叔父のせいだと思い、しまいには、傷をつけていたのを叔父だと理不尽に思い込んでいた傷。

今日まで僕の面倒を見続けていたのは誰だ。叔父だ。何も言わず、ずっと。


 叔父はずっとこの家で待ち続けるだろう。僕を。帰らない人々を。

 家の中から声が聞こえる。僕も小さくドア越しに呟く。

「さようなら」と。新しい一歩を踏み出す。

 家からもリビングへ向う足音が聞こえる。叔父も一歩を歩き出した。

 彼も僕と同じ、消えない傷を持って歩き出す。

 そう、思うと彼を少し許せる気がした。

 太陽が僕を照らしている。確かな一歩を踏み出し続ける。僕を。

「さて、どうしよう」ぼそっと呟く。

 借家でも探そうか。

 ふっと、笑みをこぼす。

 とりあえず、歩こう。


 その日からも僕らは展望台で会った。幾夜も幾夜も過ぎた。何度も月は出て、消えた。

 ある夜、月の消えている夜。

 魔女は僕の手を掴んで、双眼鏡の方へ歩いていった。

 僕は抵抗するまもなく、双眼鏡のところへ連れて行かれた。

「見て」魔女はまだ明かりに灯されるこの山の麓の病院を指さした。

 僕はそれを見る。

「あそこにね一人の女の子がいました。とても重い病気を持っている子。その病気は医者には『今の技術では治らない』と言われていました。

 彼女は最初、七歳まで生きられないと医者に言われていました。しかしその子は七歳を過ぎ、八歳になっても生きています。十二歳、十五歳とそのこの寿命はだんだんと延びていきます。医者はできる限りの努力を尽くします。しかし、治すことは未だにできず、寿命を延ばすという生と死の綱渡りをさせています。彼女の家族は心配をしながらも彼女が長く生き続けていることに喜びを感じています。彼女は彼らに上辺だけは礼を見せています。

 しかし、彼女は寿命が延びるたびに生きるのがおっくうになってきました。いつまでも、生と死の間で揺れるのが嫌でした。

 医者は彼女を治そうと頑張っています。家族も手伝います。しかし、そこには彼女の意思はありませんでした。『早く死にたい』彼女はそう考えていました。

 彼女の存在は北極星のようでした。全ては彼女中心に回っているけれども、それは病気にかかっているからであって、彼女自身の本当の輝きは気づかれない。それどころか周りがいるからこそ自分がいる。消えることも許されない。そんな日々にだんだんと嫌気が差してきているのです」魔女は一呼吸を置く。

 

「ついに彼女の心の器は“死”という黒一色になりました。中心でいるのが嫌になりました。

 そして彼女は病院から抜け出して山を目指しました。さっさと身を投げようと。山頂に着くと彼女の前に死のうとしている少年がいるじゃありませんか。彼女はついつい彼を助けてしまいます。

 そして、自分は死のうとしていたのに少年に対しては『生きろ』というじゃないですか。それに対し少年は素直に死ぬことを止めました。

 そこで彼女はあることを思いつきます。『自分が殺してやる、だからここに来い』そう言ったのです」ふぅ、と魔女は溜息をついた。

 僕は何にも言わずにその話を聞いていた。

 そして魔女は続ける「彼女はただ、少年と友達になりたかっただけなのでした。そして翌日に会う約束をします。だけど彼女は本当に少年が来てくれるとは思いませんでした。だから、来なかったら死のうと。それがいいのだと考えていました。

 しかし、彼女の言った通りに少年は来てしまいます。どんなに嬉しかったか筆舌に尽くせないほどです。彼女はこれからも少年に会いたいと思いました。少年と二人、静かにずっと一緒にいたいと思いました。

そして、少女は自分の望むままに、自分勝手に、また明日も、その次もと会う約束をしていきました。友達が出来たと喜んでいました。嘘の形ではありましたが…

しかしそれでも、だんだんと病気は彼女の体を蝕んでいきます。病院を抜け出し、少年に会うことで彼女の体は限界を迎えていたのです」


 魔女は僕を見た。悲しそうな瞳で。いつもの力強さがない瞳で。

「その…話は…」僕は口の中を粘つかせながら言った。

 彼女は頷いた。

「ごめんね。嘘言って。私魔女じゃないや。今までありがとう。楽しかったよ。ごめんね。……ありがとう」

 魔女の振りをした、ただの少女は山の下を目指して歩き出した。

 僕は何もすることもできず。立ち止まっていた。

 彼女は遊歩道へ歩いていく。

 しかし、激しく咳き込んでその場にしゃがみこむ。

 僕は、はっ、と彼女に慌てて駆け寄った。彼女の手は液体で濡れている。それが血だと気づくのに数秒もかからなかった。

「大丈夫か」大丈夫ではないそれはわかっている。しかし聞かずにはいられない。

 彼女はそれに答えず咳き込むばかりだ。血なまぐさい香りがあたりに漂い始めている。

 すでに血だまりができ始めていた。

 僕はとっさに、彼女を背負い麓の病院へ走り出した。

 背中を生暖かい雫が濡らす。


 闇が僕らを包んだ。

 何も話さずに走り続けている。

 くもの巣が顔に引っかかるのも無視して走り続ける。

 久しぶりに走ったからか、息が荒くなる。頭が痛くなる。体がふらつく。こけかける。

 足が鉛のように重い。

 それでも走り続ける。

 何もかもを捨てた僕だけど、彼女は助ける。

 この思いだけが僕の足を動かし続ける。

 彼女を死なせない。死なせてたまるものか。久しぶりに人の温かみを、懐かしみを教えてくれた少女。

 僕を友人と呼んでくれたんだ。

 絶対に、絶対に助けてやる。

――死なせやしない――

 僕は走り続ける。変わらない風景を横目に走り続ける。

「ねぇ」ふと彼女が口を開いた。

「なんだ。おとなしくしとけ」僕はきつく言った。

「星が綺麗だよ。ゆっくり一緒に見ようよ」それでも彼女は続ける。死期を悟った人間のように重く、それでも滑らかに口を動かしていた。

「そんなことしてる場合じゃないだろ。お前が治ったらゆっくり見てやるから黙っとけ」僕は関係無しに走る。

 それきり彼女は黙り込んだ。

 彼女のか細い息と、僕の荒い息の音だけが静かな遊歩道に音色をもたらしている。

 

 足がでこぼこのタイルの引っかかった、前のめりにこける。

 足を少しくじいたようだ。ズキズキと痛む。

 腕もすりむいたようだ。痛む。

 彼女は僕がクッションになったようで、何とか僕の背中に乗ったままだった。

 僕は彼女をもう一度きちんと背負いなおし、起きる。そして、走り出す。

「痛いでしょ。君がそんないたい思いをしなくていいのよ」彼女は子供をなだめるような口ぶりで言う。

 僕は何も言わない。

 あと、どれぐらいの距離があるのだろうか。僕は間に合うのだろうか。気持ちが揺らぎ、枯れ枝のように折れそうになった。

 少し、足が止まってしまう。

「大丈夫よ。もう、ありがとう」彼女が苦しそうに呟く。

 背中から苦しそうな吐息だけが聞こえてきた。

「痛くなんか……ない」僕は呟いた。

 そして、歩く。

「痛くない。助ける。走れ。走れ。走れ」僕は自分に言い聞かすように言った。

 そして、再び走り出した。

 それでも、呼吸は荒くなってしまう。頭が朦朧とするが走り続ける。

「ねぇ、言ったでしょ。私はもう死にたいの。」突然、彼女が僕の背中でポツリと呟いた。

「もう降ろしてよ。しんどいでしょ。それなら私が死ぬまで一緒に星を見てよ。お願いだからさ……」彼女が言う。もうそんなことは聞きたくない。

「ふざけるな……よ」僕は彼女に憤りを感じた。しかし、言葉がきちんと続けられない。僕は一度言いなおす。

「ふざけるなよ、僕を助けたのは誰だよ。お前だろ。魔女、あんたのおかげで僕は今、走ってるんだ。

例え僕を助けたのが気まぐれあろうと、確かに僕は助けられた。なら僕は全てが嘘でも、何があっても君を助ける」

 僕は一気に言い放つ。そして彼女は口を閉ざした。

 僕は黙々と走り続けた。

 目の前に街灯の明かりが見えてきた。僕は胸を撫で下ろす。

 あと少しだ。

「私たちってさぁ…」

 山の麓まで来た時、ふと彼女が口を開いた。首に生暖かいものが当たる。

 僕は何も言わない。

「私たちってさぁ、友達になれたかなぁ」彼女は力のない声で言う。

「当たり前だ」僕もしゃべるのに力が入らない。しかし、この言葉だけは力強く言い切った。

 彼女の頭が僕の肩にかかる。

 はっ、と思ったが彼女からは小さな呼吸音が聞こえていた。そのことに安堵感を覚える。

 目の前に病院が見えた。

「おい、ついたぞ。早く起きろ」彼女に話しかけたが返事は返ってこない。

「おい」僕は彼女を揺さぶる。しかし反応はない。

 

 僕は病院に入った。医者たちが焦った顔をする。彼らは僕を見る。

 僕もその顔を見る。「助けてやってくれ」と言おうとするが言葉にならない。

 医者たちは早くその子を下ろせと言う。僕は言われるがままに下ろす。

 目の前の風景がめまぐるしく変わる。僕は床にへたりこんだ。

 時間が経つと彼女の両親という人たちが現れて僕の頬をぶった。何かけなされた気がする。彼らの言葉は確実に僕の耳に入り出て行く。

 彼らの声はただ通過していくだけなのに、その一つ一つが僕の頭に心に不透明なしこりを残していく。

 僕は聞いているだけで何も言わなかった。言えなかった。

 頭の中が白い。何も考えてはいなかった。

 僕は病人のようにふらふらとした足取りで一歩一歩、歩き出した。

 そしてそのまま外に出る。何故だか無性に叫びたくなった。


 気がついたら僕は展望台にいた。僕のそばを風が流れる。頬が熱い。そこに冷たいものが流れる。

 僕の横が寂しい。僕一人だけの影がある。いつもは二人が並ぶ影があるはずなのに……

 絶え間なく風が流れる。冷たく明るく。

 夢だと思いたい。悪い夢だと。

「なぁ、魔女…星が綺麗だぞ。月も光ってる。綺麗だよな?」

 僕の言葉が静かに響く。

 僕の問いに誰も答えない。魔女も答えない。

 夢じゃない。

 薄暗い展望台には僕しかいない。

 そう、それでも…

 そうだ、これは何かの間違いだ。悪い夢か何かだ。と思い続ける。そのうちに日が昇る。それは僕を眩しく照らす。それを合図に僕は病院へ走った。

 インターホンを鳴らす。少し間が空き、当直だったのか一人の看護婦が出てくる。

「どうなさいましたか」彼女は尋ねる。

「髪が白くて長い子はいますか?」そう聞いた。

 看護婦は「患者様のお名前は?」と聞く。

 僕は横に首を振る。医者は首をひねる。しかし、あぁと思い出したような顔をする。

「あの、ご親族ではないですよね。どのようなご関係で」いぶかしむ様な調子で看護婦は言う。

「友達だ!」僕は迷うことなく強く言い切った。

 怪しむような目で看護婦は僕を見る。僕は泣きすがるような声で「友達なんです」と言った。

 看護婦は仕方ないと言うようなそぶりを見せ「分かりました。しかし、今彼女はまだ緊急治療室に入っていまして……また、後ほど来て頂けますか?手術結果をお話しまいすから」と彼女は静かに礼をし、ドアを閉めた。

 しかし、僕は行かなかった。いや、行くことができなかった。

 怖かった。彼女が死んだ。もしそうなら、彼女を助けるという約束は破ってしまったことになる。そんな事実は知りたくなかった。

 だから僕は逃げた。


 僕は山を登った。何日も登った。彼女は生きているのだと信じ、彼女が来るまで待とう決めた。それはただ、現実を知ることから逃げているということを僕は知っている。それでも……

 僕は彼女が魔女でないことを告白される前から気づいていた。彼女はただの人だと。僕はいつの間にか彼女に会いたくなっていた事に気づいた。だからここに来ていたんだ。

 しかし、彼女は来ない。今までのことは夢だった、そう思った。生きる意味も無くなった。でも、今はまだ死にたくなかった。

 あるとき僕は三角屋根の小屋に行った。小さいカセットテープを持って。そこに僕の声が入っている。

 中には一つ机があった。その上に石を重りにした紙が置いてあった。僕はそれを取り上げる。

 ―猫さんへ―それで始まっていた。僕は続きを読む

 ――猫さん、まず最初に謝っておきます。私は魔女でありません。ただの病人です。すいません。私は貴方と友達になりたかっただけなのです。嘘ばっかりですいません。でも、これだけは本当です貴方といた日々は楽しかったです。全てがきらめいていました。ありがとうございます。これを貴方が見るころには私は死んでいるかもしれません。もし、私が生きていたら、またいつか私たちが出会った日に出会った場所で会いませんか。勝手ですね。それでも、いつかまた会える日を楽しみにしてますよ。

 ねこさん。ありがとう。

          

                   魔女――

                                                    

 気がつけば涙を流していた。そして、それをクシャクシャに丸めポケットに突っ込む。そしてその代わりに僕が持ってきたものを机に置いた。

 小屋から出て、僕はいつも彼女と話していたところへ歩いた。

「毎年来ます。魔女と出会った日に出会った場所へ毎年行きます。だから、来い」涙声で僕は言った。



 そして四年目。気がつけば二十になっている。

 今年も僕は独りでいる。

 毎年、僕は登った。

 毎年、彼女はもう来ないかもしれない。そんな考えを脳裏から振り払い、光り続ける星空を見て待った。

 彼女の本当の名前はなんだったんだろう。そういや、聞いてないや。それだけで、苦しくなる。

 魔女……

 あぁ、はぁ。ため息が出る。

 四年もこれをこの日に繰り返している。

 それでも彼女を信じ登り続けた。

 僕は何も知らない、魔女のことを今でも引き摺っている。


 いつの間にか僕は展望台にたどり着いた。

 声のなくなったこの景色。

 今年も月は雲に虹のわっかを作っている。

 展望台の真ん中で座り込む。風が僕を包む。

「―――――――」

 誰かが僕を呼んだ気がした。

 彼女か。と思い、声のするほうへ歩き出す。

 しかし、街灯の増えた町の光が見えるだけで誰もいない。肩を落とす。

 一度、増えた灯でさえ届かない、真下の大地を覗き込む。

 そこには闇が広がっているだけだ。

 やはり、僕は“死”に憑かれているのだと笑った。笑いが止まらない。

 彼女はもう来ない。きっと、そうなんだ。

 信じたくはない。けど……

 信じ待ち続けるのに疲れた。

 もう、僕を止める人はいない。

 約束は破るが、あっちで彼女に謝ろうか。許してくれるかな?

 そして、僕は柵を乗り越えようとした。

 そして、闇に包まれるまま落ちようとしたとき、ふと首に何か引っかかった。

 僕は首を動かす。

 誰かの指が当たる。

 僕は笑った。

 そして僕は自ら柵を降りる。

 それでも指はまだ襟を掴んだままだった。

「にゃー☆」と僕は言った。あの日のように。

 すると、あの日と同じように「猫かよ!!」と頭を叩かれた。

 僕はその声の主を見る。

 白髪の長い髪。それがそこにある。

 魔女がいる。「ごめんね、今まで会えなくて。ありがとう。来てくれて」彼女は涙を隠すように笑う。それでもこぼれる大きな粒を手の甲でぬぐう。

「あれれ」と彼女は言う。そして手で顔を覆い続ける。

 僕は彼女の手を握る。引き寄せる。

 彼女は逃げ続けた僕を抱きしめてくれた。

 許してくれた。

 涙で何も見えない。顔中が濡れている。

 そして一度、離れ笑いあった。今までにないくらい大きな声で。

 僕らの声は天に響く。

 星がそれを聞く。

 月が僕らを見守る。

 北極星が今日も中心で寂しそうに輝く。

 それでも僕らは笑いあう。

 魔女は、僕はもう一人じゃない。互いに照らしあっていける。

 そう思うと、北極星が笑ったような気がした。

 そして、いっそう光が強くなったと思う。


 月はあの日のように僕らを照らす。

 宇宙は北極星を中心に動き続ける。

 星たちは照らしあう。

 そして、猫と魔女は互いを中心に動き始めた。今、少しずつ…


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