第8話 お尋ね者
宿場町
一番街道の先にある丘裾に宿場町が見えてきたが、出発から半日も経たずに辿り着けたことになる。
やはり話に聞いていた通り、塩の道は牛の移動スピードに合わせて街道が整備・発展しているようだ。
古くからある酪農村だけど、この村でも塩の道を守るために宿泊所の維持や飼い葉の確保に村の予算を割いているそうだ。
検問
ウルルと二人で丘の裾野に向かって歩いているところだが、町に入る前に思い出したことがあった。
「そういえば隊長さんが『町の方が物々しい様子だった』と言ってたけど、何があったんだろうね?」
ウルルが会話に乗ってこない。
「なんでも王都の憲兵隊が人捜しをしているという話だけど」
「ううっ……」
ウルルの様子がおかしい。
そこで何やら思いついた表情を見せるのだった。
「そういえば用事を思い出した」
そう言って、くるっと後ろを向いて、元来た道へ引き返すのである。
「ちょっと待って」
そこで思わず手首を掴んだけど、痛がったので、すぐに手を放した。
「ごめん」
こういうのに慣れていない僕が悪かった。
「でも、用事なんかないでしょう?」
「ううっ……」
明らかに挙動不審なのである。
「どうしたの?」
「捕まるかもしれない」
「捕まるようなことをしたの?」
「してない」
コケそうになったけど、ウルルが本当に怖がっている様子なので冗談で茶化すこともできなかった。
「何もしてなければ大丈夫だよ?」
「ううっ……」
これは軽度の加害恐怖症なのかもしれない。何もしていないのに何かしたと思い込んでしまう強迫性の一種だ。
「よしっ、いいことを思いついた」
予行練習
一番街道といっても交通量の多い道ではないので、誰もいない草原の路上で職務質問を受けた時の練習をしようと思った。
「こういうのは慣れるのが大事だからさ、僕が憲兵さんの役をやるから、ウルルは本物だと思って質問に答えてよ」
コクリと頷いたので、練習を嫌う子ではないようだ。
「じゃあ、歩いてみて」
緊張のせいなのか、なぜか不自然に視線を避けながら歩くのだった。
「あの、ちょっとお話を伺いたいのですが、お時間よろしいですか?」
初めてなので怖がらせないように現代のお巡りさん風の演技をした。
「あっ、はい?」
視線が定まらないので、もう既に挙動不審だ。
「今朝、あそこの町で殺人事件が起きまして、それで目撃者を捜しているのですが、この辺で不審な人物は見掛けませんでしたか?」
現代的な優しい刑事さんになり切った。
「ううっ……」
思い出しているという感じではなかった。
「今朝は、どこで何をしていましたか?」
「ううっ、わたしがやりました」
あっさりと完落ちしてしまった。
「いや、それ絶対に認めたらダメなヤツだから」
「楽になりたくて」
普通の取り調べでも虚偽の自白があるから警察の仕事は大変だ。
「僕はウルルが捕まるようなことをしていないって信じてるから」
「ありがとう」
出会ったばかりだけど、チョビの話をしてから信頼を得た気がする。
「検問や職務質問は僕に任せておいて」
「うん、任せる」
「僕のそばから離れたらダメだよ?」
「うん、わかった」
ウルルは信頼すれば信頼に応えてくれるタイプの人なのだと思う。義理人情に厚い、総じて日本人が一番好きなタイプの人柄だ。
そういえばムキンバさんも「情けは人の為ならず」を地で行く人だったし、魔物が跋扈する異世界は日本人好みの世の中なのかもしれない。
雑学
ちなみに「情けは人の為ならず」だけど、意味を取り違えやすい言葉として、わざわざ文化庁が注意喚起をしている。
情けは掛けない方がいい、ではなく、情けを掛ければ巡り巡って自分に良い報いが返ってくる、というのが正しい意味だ。
馬産地村
広大な牧草地に積みわらが散見されることから分かるように、馬の飼育に適しているということで馬産地村と呼ばれている。
酪農村なので広範囲に家屋や厩舎が点在しているけど、一番街道沿いには広場村があり、そこが宿場町としての役割を果たしているのだった。
この地で飼育された馬が官馬車や軍馬として買い取られるので、ここも国策事業を任されている村という位置づけになる。
軍備の盗難は殺人よりも重たい罪らしく、馬を見学してもいいけど絶対に近づいてはいけないと、宿屋の主人に釘を差された。
酒場宿
村の人に案内してもらった酒場宿が前日までムキンバ隊商が泊まっていたということで、隊長から貰った財布を取り出すと、カウンターで不愛想に追い返そうとしていた宿屋のご主人が瞬時に笑顔を見せるのだった。
「隊長さんのお知り合いなら安心だ」
旅行自体が珍しく、大抵は土地に留まることができない流れ者と決まっており、犯罪者も珍しくないわけで、しかも子供の二人旅なので不安になるのも当然というわけだ。
「今回もたっぷりと稼がせてもらったしな、隊長さんの顔を立ててサービスしてやるから待っときな」
転移して初めて中年太りしている男性を見たが、それは畑仕事ではなく、酒の相手をするのが仕事だからなのかもしれない。
カウンター席の他に立ち飲みテーブルや大人数のテーブル席があるが、この日は僕たち二人しか客がいなかったので、広場を見渡せる窓際の特等席に座った。
雑談
大きな牛の肉塊を煮込んだシチューに匂いのキツいチーズをのせたパンと一緒にモリモリ食べるウルルを見ていると、それだけで幸せな気持ちになった。
大食い動画配信者になれば人気が出そうだけど、この世界だと大食いパフォーマンスで稼ぐのは難しそうだ。
そんなことよりも、暇そうなご主人が僕たちの席から離れずに穀物酒を立ち飲みするものだから話し相手を務めなければならなかった。
「兵隊さんがあちこちの村を家捜ししているんだが、それはいいんだよ、パトロールも兼ねているから却って大助かりだ」
人を捜しているという話だ。
「何が不満かって、どういう問題が起きて、なぜ青髪の小娘を捜しているのかって、そういうのを一切教えてくれないことなんだな」
ウルルは銀髪なので、お尋ね者は別人で間違いない。
「憲兵隊の御出座しってことは、よっぽどの悪事を働いたんだろうぜ」
やはり異世界でも凶悪事件はあるようだ。
情報収集
旅人が羽を休める宿屋のご主人ということで、気になる王女のことについて尋ねてみることにした。
「湖で静養されている王女ですが、いつから健康を害しているのですか?」
「ありゃ病気じゃねぇよ」
王女の話題はタブーではないようだ。
「呪われて十年になるな」
「十年も」
もう少し踏み込んでみることにした。
「呪いというのは魔人化のことですよね?」
「魔人化ねぇ、この村では魔獣化と言ってるが」
そこでウルルがスプーンを床に落としたが、すぐに謝って拾い上げたので、ご主人が何事もなく話を続けた。
「お国も王女が呪われてからやっと本気で対策しようって気になったわけだ。それまでは知らんぷりだったもんな」
あくまで想像だが、僕は魔法世界の草創期に転移してきたのかもしれない。だとしたら勇者や魔王など存在しない世界で、僕に何ができるだろう。
「その王女の呪いですが、解くことはできるんですか?」
そこでご主人がご陽気な表情で酒を呷る。
「俺に答えられると思うかい?」
「では、誰に尋ねればよいのでしょう?」
「そうだな、郵便村に国から称号をもらった学者さんがいるよ」
それは是非とも会って話をしてみたい。
「僕が行っても会ってくれますかね?」
「いや、それ以前に会えるかどうか」
「どういうことですか?」
「都にある学校に呼ばれたって聞いている」
あまり期待しない方が良さそうだ。
「都には魔獣医学の学校があるみたいですね」
「それが王女の治療目的だといわれているな」
だとしたら比較的新しい学校のようだ。
「僕も入学できますか?」
「基本的に読み書きができる貴族の坊ちゃん嬢ちゃんしかいないって話だぜ?」
郵便村の学者に称号が授けられたのは入学の許可を与えるための特例措置なのかもしれない。
「言葉は問題ないようだが、外国人だとどうだかね」
「軍学校でもあるわけですね」
「そういうことだ」
それでも僕はどうしても学びたいと思った。