第5話 赤ずきんちゃん
村の食事
食事はサーニャのお家で頂いているが、回数は日に二回で、パン食は多くても一日に一回までと決めているそうだ。
野菜だけではなく、野鳥や野生動物からしっかりと動物性たんぱく質を摂取しているので健康的に暮らしている人が多い印象だ。
動物と一緒に暮らしてきた村だから、そこで命に関する知見を得て、結果的に自分たちの健康維持に役立たせることが出来ているのかもしれない。
村の生活
村では仕切りのない部屋に大所帯で暮らすのが普通らしいけど、母方の祖父母は別の村で暮らしているため、牧場長の一家は乳飲み子を含めて六人で生活している。
蝋燭や油は貴重品ということで早寝早起きが当たり前なのだが、そういった太陽に合わせて暮らす生活も結果的に健康維持に役立っていると思われるので、異世界転移後の生活も悪くないと思った。
これからのこと
この村で暮らすのも悪くはないが、それでも僕はどうしても活字で書かれた読み物のない生活に耐えられないので、早々に村を出る決意を固めた。
そこでお世話になっている牧場長に断りを入れるために、訓練を行っている犬舎に行って相談することにした。
「そうか、それは残念だ」
放牧中の犬を監視しながらではあるが、心から惜しんでくれた。
「サーニャと結婚させて後を継がせようと思ったが、迷子になったということは、どこかにお前さんのことを捜している人たちがいるかもしれないってことだもんな。だったら会えるように努力だけはしておいた方がいい、後悔しないためにな」
相手が優しいので、ついた嘘が重たく感じる。
「ユタカのように俺たちの田舎言葉を難なく喋れるってことは、親兄弟が近い場所で生まれ育っているはずなんだ。だから見つけるのは難しくないと思うぞ」
僕には日本語にしか聞こえないが、どうやら自動翻訳されているようだ。(理由は分からないけど)
「都まで出なくても郵便町に行けば何か分かるかもしれないな。一番街道を真っ直ぐ行った先にあるから迷うことはないはずだ」
ということで、十日ほどアルバイトをさせてもらってから、ナップサックと生活必需品を譲ってもらった。
旅立ちの朝
村を出る僕のために二百人以上が街道に出る主要路のゲートまで見送りにきてくれた。
「簡単なお手伝いしかできなかったのに高価な品々を頂いて、今はお返しすることはできませんが、この御恩はいつか必ずお返しに上がりたいと思います」
牧場長がひと際大きな声を出す。
「無理はするな! 旅は危険だからな!」
目の前に立っているのに大声で喋るのは、ここに集まった大勢の子供たちに言い聞かせるためなのだろう。
「ユタカには帰る場所があるから無理に引き止めないだけであって、お前さんが村の人間なら首輪を付けてでも縛りつけておくからな!」
現代の地球では問題発言だが、おそらく一人旅をする僕の方が間違っているのだと思う。
「ユタカの気持ちは有り難いが、お返しするために戻ってくることはない。じゃあ何をして欲しいかというと、お前さんに余裕ができた時に、困っている人がいたら助けてやってもらいたい。それが巡り巡って俺たちの助けになるかもしれないからな」
牧場長の「余裕ができた時に」の部分に涙が出そうになった。現代の地球では街頭で貧乏人にまで募金を呼び掛ける無神経な人が大勢いるからだ。
他人を助けることが出来ずに罪悪感に苛まれて苦しむ人がいることを知っている牧場長さんは、未来の村長に相応しい人物だと思った。
一番街道
山間の集落にとって一番大事なのが塩で、そのために交易路の維持は不可欠だと言っていた。
幸いなことに、王政下の領内にある濃度の高い塩水湖から湖塩が供給されるので食塩不足に見舞われたことはないそうである。
魔物が跋扈する世界では山賊ですら野良では生きていけないので、旅の途中で襲われる心配はないが、魔獣には気を付けろと怖い顔でキツく注意を受けた。
見た目が可愛らしい野ウサギでも魔獣化すると跳躍力が増して襲い掛かってくるそうだ。
人間の肉は食べないけど、殺すことで虫のエサになり、それが植物の環境にも好影響を与えると知っているんじゃないかと、村の爺様が本気で信じているように語っていたのが印象的だった。
気配
そんなことを考えながら注意深く田舎道、といっても山間部とは思えないほど丁寧に舗装された馬車道なのだが、その道を歩いていると妙な気配を感じた。
林道を歩いていた時は振り返っても確認できなかったが、平原に出た時に振り返ると、やっとその正体を知ることができた。
赤ずきん
童話の世界から飛び出してきたかのような、まんま赤ずきんちゃんが僕の後を尾行するように歩いてくるのである。
道の途中で森へ続く脇道があって、そこを通過してから感じるようになったので、その深い森からやって来たのだろう。
僕は危害を加えるつもりはないので、さっさと追い越してもらいたいと思ったが、僕が足を止めると、なぜか赤ずきんちゃんも足を止めるので一向に距離が詰まらなかった。
スニーカーの靴ひもを結び直しつつ、屈みながら後方を盗み見たが、赤ずきんちゃんも僕と同じように意味もなく革の長靴を手で磨き始めるのだった。
異世界童話
見た目は銀色の髪をした犬みたいな顔の可愛らしい子だ。胸の部分に膨らみがあるので女の子だと思う。
背は僕よりも低いけど、クラスの女子と同じくらいなので、小学生ということはないだろう。
暖かい気候なので頭巾は暑そうに見えるけど、日除けだと考えると自然なのかもしれない。
丈の長いチュニックを腰ひもでウエストを細く見せているのは犬里村にはなかった着こなしだ。
そんなことよりも気になったのが、少女が手ぶらで出歩いていることである。(一人歩きだけでも考えられないのに)
地球では狼に狙われる存在だが、こちらの世界では赤ずきんちゃんに狙われる世界線が存在しているみたいだ。
案内板
一番街道の林道に、なぜか日本語で書かれた立て看板があり、馬を休ませる馬車蔵があるということで、水筒の水を補充するために立ち寄ることにした。
苔むした岩から染み出た石清水は美味しくて、それまでの疲労感が嘘みたいに抜けて行く感覚を得ることができた。
座るのに丁度いい岩場があって、そこで休んでいると、赤ずきんちゃんも湧水を飲みにくるのだった。
絶対に先に声を掛けてはいけないゲームをしているかのように話し掛けてこないので、僕も意地でも自分から声を掛けないようにした。
昼食
お腹が空いたので、清流がサラサラと流れている岩場で早めの昼食を摂ることにした。
何を食べるかというと、牧場長の奥さんが早起きして作ってくれたパンである。傷みにくいように、いつもより硬めに焼いてくれたそうだ。
ジィィィィィィ
見られているのは分かっていた。荷物袋からパンを取り出した時から、赤ずきんちゃんが僕から目を離さなくなったからだ。
ジィィィィィィ
問題は僕のことを見ているだけではなく、先程から「ジィィィィィィ」と唸り声を上げていることだ。
「キュルルルル」
お腹が空いているけど音が鳴らないので、それもわざわざ声に出して空腹を伝えるのだった。
そこまでされたら僕の負けだ。
「あの、よかったら一緒に食べませんか?」
そこで赤ずきんちゃんがキョロキョロする。
「え? わたし?」
ここには僕たち二人しかいない。
「はい、もしよかったらパンを一緒にどうかなって」
「あっ、じゃあ」
そこでお腹の前にあるポケットから巾着袋を取り出すが、ぺったんこなのでお金を持っていないことはすぐに分かった。
「あの、このパンは貰いものなので、お代は結構です」
「本当に?」
「はい、どうぞ、召し上がってください」
「ううっ、ありがとう」
なぜ日本語が通じるのか分からないが、僕は感謝を言葉にできる人に悪い人はいないと思っている。
それがウルルとの出会いであった。