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第36話 ヒロイズム

 獣害


 玄関ホールに来客があり、それが凶報をもたらしたものだから、アポロス邸に招かれた客が全員集合する事態となった。


 中庭で気持ち良く酔っ払っていた人たちも駆けつけて、階段を椅子にしたりカーペットに座り込んだりして、来訪者の話に耳を傾けるのだった。


 子供からお年寄りまで百人以上の聴衆がいたけど、話を受けていたのは家主のグラシス先生だった。


「──とうとう一番街道の村で大規模な魔物被害が出てしまいましたか」


 魔物化したシカにオリーブの新芽を食われて畑が全滅したそうだが、過去に類をみないほどの被害状況だったようである。


 陽気に冗談を言っていた人たちも一気に酔いが醒めた顔をして、気休めの言葉を掛ける人が一人もいないくらい、場の雰囲気が重たくなっていた。


「どうして私たちの村が……」

「村の人たちは何をしていたの!」


 ウルルに意地悪をしていた二人組が、やり場のない怒りを理不尽にも村人にぶつけるのだった。


「肥えたシカを狙いにクマが里まで下りてきたから、どうすることもできなかった。避難できただけでも幸運だったのさ」


 それに対して立派な髭を蓄えた村長の父親が弱弱しくも冷静に娘たちを諭すのだった。


「他の方がご無事で何よりでした」


 気遣うグラシス先生に髭の村長が力なく説明する。


「近隣の村に避難民を受け入れてもらいましたが、村は立ち入り禁止区域になってしまったので帰る目途が立っておりません。こうなっては預けたままにしておくわけには参りませんし、ですからこうして、娘たちを迎えに上がったというわけでございます」


 その言葉に反応したのが二人の娘たちだった。


「どういうこと?」

「私たちはどうなるの?」

「帰る場所がないって」

「じゃあ、どうしたらいいの?」


 髭の村長さんが答えないので、代わりに村長夫人が口を開いた。


「平和に暮らせるまで、避難先で出来ることを見つけましょう」


 魔物被害というのは一夜にして全てを失ってしまうわけだ。


「学校は?」

「辞めろというの?」

「あんまりだわ」

「せっかく頑張ってきたのに」


 その時だった。


「わがままは止さないか!」


 それまで黙っていた、もう一組の父親が一喝するのだった。


「もう、余裕がないんだ」


 そう言って悔しさから歯を食いしばるのだった。


「どうして私たちがこんな目に……」

「ひどいわ」


 そこで二人とも泣き崩れてしまうのだった。


「グラシス先生!」


 そこで輪の中心に歩み出て、訴えかける者がいた。


「お願いがあります!」


 ウルルだった。


「ううっ、この二人に勉強を続けさせてくれないでしょうか?」


 緊張しながらも、勇気を振り絞っている感じであった。


「必要なお金は、わたしが頂いているお給料から使ってもらっても構いません!」


 二人には小ばかにされたばかりだというのに支援を申し出るのだった。


「勉強がしたい人には、勉強をさせてあげたいんです! これまで勉強を教えた人の仕事が無駄にならないためにも、そしてその勉強が未来に役立つためにも、わたしのお金を使ってください!」


 そこで群衆から拍手が起こるのだった。


「足りない分は私が援助しようではないか」

「ああ、我々に任せてくれ」


 方々から次々と支援の声が飛ぶが、それを両手で宥めるように鎮めたのは髭の村長さんだった。


「お待ちください。この子はウルルといって、家で使用人として雇っておりましたが、私は非情にも追い出してしまったのです。そんな私たちに彼女の温情を受け取る資格はございません」


 泣き崩れて絨毯に這いつくばっている二人の娘たちが悔しそうにしているが、反省しているかは分からなかった。


「ちょいと待ちなよ」


 そこで杖をついた魔女みたいな白髪の老婦人が声を上げた。


「伯母さま」


 どうやらグラシス先生の親戚のようだ。


「ウルルだっけね、この子は『非情な仕打ち』とか、そんな下世話な話をしてるんじゃないんだよ。純粋に学問を大切に思っているのさ。そんなことも解らないのかね」


 周りを囲む酔っ払い連中も背筋をピンと伸ばして話を聞いているのだった。


「わしはこの子が気に入ったよ。だからウルルの望み通りにしてあげるんだ。この子が自分の給料から二人の学費を出すって言うんだから、他の者は余計な真似はしなくていいのさ」


 さっきまで威勢よくしていた人たちが大人しくなってしまった。


「わしがウルルに給料を払ってやれば、それだけで賄えるんだからね。そうすればそこの二人の娘っ子たちも、少しは感謝できるようになるだろうさ。ほんとは、わしにこんなことを言わせてほしくはなかったんだけどね」


 そこで意地悪をしていた二人組が立ち上がって、罰が悪そうに「ありがとう」とウルルに感謝を述べるのだった。



 責任


 パーティー客が返った後、夕方になってもウルルの姿が見つからなかったので、コツブと一緒に捜しまわったところ、国定公園のベンチに座って黄昏ている姿を発見した。


「どうした!」


 コツブが正面から見上げると、ウルルはニコッと微笑むも、明らかに元気がないことが見て取れた。


「隣に座ってもいいかい?」


 頷いたので話を聞くことにした。


「おらっちも」


 と言いつつ、ウルルの太ももの上にぴょこんと腰掛けるのだった。


「ごめんね、僕が『勉強が大事だ』って言ったものだから、ウルルに無理をさせちゃったよ」


 それには首を横に振るのだった。


「あの二人には腹が立ってたから僕には真似ができないけど、ウルルのことは立派だと思ってる」


 それにも首を振るが、どうも謙遜している感じでもない様子だった。


「ううっ、わたしのせいだから」

「どういうことだ?」


 意味が解らないのはコツブも同じで、首を捻ってウルルの顔を見上げているのだった。


「わたしが村を出なければ、油畑村が魔物被害に遭うことはなかったと思うから」


 確かに僕もウルルと出会ってから魔物と遭遇していないので、彼女自身が魔除けになっていると考えられる。


 しかしだからといって、それで村の魔物被害の責任を一人で背負うというのは無理がある。


「それも僕がいけなかったのかもしれない。ウルルの持つ能力があまりにも凄いから率直に褒めたんだけど、そこで一人の人間には抱えきれないほどの重たい責任感を抱かせてしまうことまでは想像できなかった」


 真面目な人ほど悩んでしまうということを思いやることができなかった。


「ウルルが村に残っていれば被害は出なかったかもしれない。しかし、村を出なければ落とした財布を拾ってあげることもなかったし、グラシス先生の研究を手伝う未来もなかったんだ」


「おらっちとも会えなかったんだぞ!」


 ウルルが頭をナデナデする。


「僕と違ってウルルやコツブには村を救う力が確実に存在する。それは、もう、間違いない。だけど、救えなかった被害に対しては、心を痛めることはあっても、責任を感じてはいけないんだ。そんなことしたら、心がはち切れてしまうからね」


 知ったような口を利いているのは百も承知である。それでも僕には伝えなければならないことがあるのだ。


「この世界では、この瞬間にも、どこかで凄惨な事件が起きているんだ。お腹を空かせている人もいる。だけど僕たちは笑い合って生きてもいいんだ。すべてを忘れて美味しい物を頬張ってもいい」


 二人の才能を潰さないのが僕の存在意義だ。


「ウルルは目の前で困っている人に手を差し伸べることができたのだから、それだけでも充分なんだよ。だから明日の朝は、またいつものように美味しい物を食べて笑っていいんだ」


 誰もウルルから笑顔を奪わせたりさせない。


「もしも笑っているウルルを見て批判する人がいるなら、僕が一瞬で論破してやるんだ」


 ヒーローにも日常を生きる権利があるのだから。

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