第32話 小さな勇気
菓子パン作り
この日、コツブの職場でもあるパン屋さんの調理場をお借りして、きな粉をまぶした揚げパン作りにチャレンジすることにした。
きなこ揚げパンは給食に出たことがないので僕は一度も食べたことがないけど、お母さんがコンビニで買ってきたものを一口だけ食べたことがあり、それで再現してみようと思いついたわけだ。
それも気に入ったわけじゃなく、たまたま市場で大豆粉を見つけたからであって、小豆があったら普通にあんこを作っていたと思う。(きな粉は年に一回しか食べなかったし)
「お待たせしました」
試食会はいつものテラス席ではなく、朝の営業が終わった店内のテーブル席で行われた。
ウルルとコツブの他にも、別のテーブルでは店のご主人と従業員二人が味見に付き合ってくれた。
「できましたよ」
「おおおぉ!」
歓声を上げたのはコツブ一人だけであった。他の四人は怪訝な表情でテーブルの上に置かれた揚げパンを覗き込むように見ているのだった。
パン屋のご主人が顔を上げてギロリと睨む。
「名前は?」
「きなこ揚げパンです」
今回は新商品のテストでもあるので、ご主人の表情が職人の顔になっていた。
「食べるぞ!」
「ううっ、とりあえず、いただいてみましょう」
「ま、そうだな、食べてみないとな」
コツブ以外、乗り気じゃないのが気になった。
「なんだ、コレ?」
「ううっ、甘いだけですね」
「ベタベタで美味しくないぞ」
「お砂糖だけなら良かったのですが」
身内二人の感想だが、どうやら初めての料理が惨敗に終わったようである。続けてプロ三人の感想が続く。
「売り物にはならないな」
「そもそも大豆粉というのが……」
「牛や豚の肥料ですからね」
「栄養はあるんだが」
「肥料に砂糖は合いませんよ」
「お客様に怒られますね」
異世界でも大豆は主食の一つだけど、粉にして肥料の感じを出すと途端に受け付けなくなるというのが消費者心理を理解する上で面白いと思った。
これは日本でもトウモロコシなどで同様の感想を抱くと思われる。普通に食べるけど、肥料用は口にしないのと一緒だ。
「コツブちゃん、お顔が粉だらけ」
「ウルルもだぞ!」
そこで全員が顔を見合わせて笑い合ったのが、それがこの日のハイライトであった。
教訓
現代の地球人が美味しく感じるからといって、必ずしも異世界人が同じ感想を持つとは限らないということだ。
それと、たかが大豆粉と思ってはいけなかった。きめの細かい粉にするのが大変だということを思い知ったからだ。
そして、現代の地球にいるパン職人は全員が天才的な仕事をしていると痛感した。もっと、その美味しさにひれ伏すべきであった。
帰り道
試食会が終わる時間が分からなかったので、この日はアポロス邸まで徒歩で帰宅するということで、送迎車のおじさんには前もって断りを入れていた。
コツブはお腹がいっぱいになると眠くなるので、最初は自分の足で歩いていたけど、途中から僕の背中を寝床にしてお昼寝するのだった。
手を繋ぎながら中園中学校の校歌を陽気にハミングしていたウルルに異変が起こったのは、王立学校の前にある公園に入った時だった。
「どうしたの?」
「ううっ……」
周囲を警戒している様子だったので、園内を見渡してみたけど、ちょうど昼時で多くの学生が芝生やベンチで休んでいるということもあって、例の二人組を見つけることができなかった。
「回り道しようか?」
「大丈夫」
「無理に顔を合わせる必要はないんだよ?」
「わたしのせいで二人に遠回りさせたくないから」
そう言ってずんずんと歩いて行くが、本当は怖がっていることを僕は知っていた。
いやがらせ
僕は目視できなかったのだが、例の二人組が並木道のベンチに座ってサンドイッチを食べていたのだが、それをウルルは公園に入った瞬間に認識できたみたいで、今さらながら驚いてしまった。
「ウルルじゃないか」
「ちょっと待って」
案の定、例の意地悪そうなピンクとブルーのワンピース・コンビが話し掛けてきた。
「なに無視してんの?」
「そのまま素通りしようとしたよね?」
「挨拶は?」
「ちゃんと目を見て挨拶しなさいよ」
挨拶を礼儀作法としてではなく上下関係を示す道具として利用する人は、他人を道具としか見ていない人たちだ。
「こんにちは」
それでもウルルは礼儀正しい子なのでしっかりと挨拶するのだった。コツブなら「シャー」と威嚇して追い払うところだが、生憎と夢の中であった。
「わざわざ注意させないで」
「次からは気をつけなさいよね」
そこで疑問を感じた。
「あなたたち二人はウルルに挨拶を返さないのですか?」
そう言うと、顔を見合わせて笑い転げるのだった。
「どうして私たちが挨拶しないといけないの?」
「使用人にねぇ」
その言葉にも疑問を感じた。
「ウルルはもう使用人じゃないと思うけど」
すると表情を一変させてキッと睨むのである。
「働かせてやってたんだから一生恩に着るべきでしょう?」
「バカなのに雇ってあげてたんだよ?」
「それなのに無視するなんて非常識にもほどがある」
「だからバカのウルルって呼ばれるの」
悪口に心を痛めることができない人を改心させるのは難しい。
「使用人は死ぬまで使用人なの」
「これ、捨てときなさいよ」
と言って、サンドイッチを包んでいた紙を丸めてウルルの足元に投げ捨てるのだった。
「待ってください──」
ベンチから立ち去る二人を呼び止めたのはウルルだった。
「ここは二人のお家ではなく、みんなの公園ですので、ゴミは持ち帰って、ご自分で捨ててください」
それを震えながら、勇気を振り絞って口にするのである。そんな彼女を僕は心から誇りに思った。
「自分で?」
「捨てろ?」
「そう聞こえたけど?」
「聞き間違いじゃなよね?」
シンデレラをいびる姉妹のイメージそのものだった。
「使用人の分際で!」
「許さないんだから!」
「お前は言うことを聞いてればいいの!」
「ほら、拾いなさいよ!」
そう言って、銅貨を地面に叩きつけて立ち去るのだった。こんな意味のないお金の使い方をするということは、家の資産を食い潰すタイプの子供だ。
「……ううっ、怖かったです」
と言いつつゴミを拾ってあげるところが、ウルルの人柄の良さである。それでも銅貨の扱いには困っていたけど。
「頑張ったね」
「もう、一人じゃないから」
そして彼女は仲間思いでもあるわけだ。




