第3話 はじまりの村
はじまりの森
森から魔物のウンチが消えたのは僕のせいだと正直に言わなければ、多くの人に迷惑が及ぶ事態になってしまった。
木こりの二人組を見失ってしまうと村を見つけることができなくなると思ったので急いで追い掛けた。
何事も起こらないかもしれないけど、僕は最悪の事態を想像できる人間なので、そういう場合は良心に従うしかないのである。
はじめての村
木こりの二人組が走って村に帰ったため追い掛けるのが大変だったけど、森を抜けると一筋道しかなかったので迷うことはなかった。
扇状地の扇端に塊村があり、河川の上流から下流に至るまでしっかりと管理しながら共同体を営んでいるように見受けられた。
よく整備された馬車道が通っていることから、寒村ではなく、母都市と直結した交易が盛んな村だというのが分かった。
畑もあるけど作付面積は小さく、それよりも土地の多くは牧場として活用されていた。
「お兄ちゃんも犬が好きなの?」
牧場で猟犬の訓練をしていたので寄り道して策の外から見学していたところ、ぶかぶかのチュニックを着た五歳くらいの女の子に隣から声を掛けられた。
見ず知らずの外国人に自分から声を掛けることができるということは、よっぽど治安が良いのだろう。
「お兄ちゃんも犬を飼ってたんだ」
「どんな犬?」
「僕よりも優しくて賢い」
「サーニャの犬と一緒だね」
サーニャというのがピンク色の髪を腰まで伸ばした女の子の名前らしい。
「お兄ちゃんの犬の名前は?」
「チョビ」
「ヘンな名前」
こっちでは変わった名前のようだ。
「サーニャの犬の名前は?」
「チョモ」
いや、違いが分からなかった。
「チョモはどこにいるの?」
尋ねても、木柵を両手で掴んで、体重を預けて身体をゆらゆらさせるだけであった。こういう時は、無理に答えを求めてはいけない。
「チョモに会いたいな」
「わたしも」
表情に元気がなかったので、やはり会いたくても会えない事情があるようだ。
「どうやったら会えるかな?」
「無理だよ、お兄ちゃんも怒られるよ?」
「誰に?」
「トトとカカ、あとジジとババも」
要するに家族全員だ。
「なんて怒られるの?」
「村の迷惑になるって」
ここの農村が平和なのは偶々ではなく、村人全員が力を合わせて自衛集団として防衛力を高めているからだ。
現代の地球は一人でも何不自由なく平和に暮らしていけるけど、それを己の力だと勘違いして過信するのだけは気を付けようと思った。(といっても、帰る当てはないけど)
「そっか、会えないのはつらいね」
「うん、だけど約束を破ると王女さまみたいに呪われるって」
湖に幽閉されている灼熱の王女のことだろうか? 村人の間では病気ではなく呪いに掛けられたと認識しているようだ。
「でも、どうしてチョモが村の迷惑になるんだろう?」
「いつか人間を襲うって」
そこで木柵を激しく揺らした。
「そんなことないのに!」
そこで猟犬を訓練していた農夫が異変を察して駆けて来た。
「サーニャ、どうした?」
薄ピンク色の髭を生やしているので父親かもしれない。
「お兄ちゃんとお話をしているだけだよ」
そこで怖い顔で睨まれたので自己紹介することにした。
「日本から来た中嶋優孝です。お二人とも日本語がお上手ですね」
「ニッポン? よく知らないが、村へは何しに?」
そんな簡単に日本語の謎は解けなかった。
「村長さんに大事な話があります」
「大事な話とは?」
「村の安全に関わる問題です」
そう言うと、目の色が変わり、サーニャを持ち上げて牧場の中に入れて、入れ替わるように木柵を乗り越えるのだった。
「みんなに『後は頼んだ』と伝えてくれ。トトは村長のところに行ってくる」
こうして案内してもらうことになったが、お父さんのような危機意識を持っていることの方が普通なのかもしれない。
警察に守られている地球人の価値観で、この村の人たちを臆病者と決めつけてはいけないと思った。
村長の家
案内された場所には穀物倉庫が建ち並んでいたけど、高床式にはなっていないので、台風による河川の増水や氾濫はないということが分かった。
林業が村の基幹産業の一つになっているということもあり、木材加工に高い技術力を感じた。すべての家屋は土壁だけど、腕のいい左官職人がいることも分かった。
山間の山村まで技術の継承が受け継がれているということは、かなりの年月、比較的平和に暮らしていたということが分かる。
屋内は仕切りのない広間があるだけだ。寝台や長持ちがあり、台所仕事や内職など、すべて一つの部屋で行われる。
紹介された長老夫婦は木組みの椅子を使っているが、同席者は藁束を椅子代わりにしていた。当然、僕も勧められたのはその藁束だ。
「牧場長、いいところに来てくれた」
サーニャのお父さんの到着を喜んだ村長も薄ピンク色の髭を生やしているので、とてもファンキーなおじいちゃんに見えた。
「森で異変が起こったそうだ、なぁ?」
問い掛けられたのは、森で見掛けた二人組の木こりだ。茶色髪なので村の出身者ではなく期間工なのかもしれない。
「はい。魔物の排泄物がキレイサッパリ消えちまってる」
「それは本当か?」
案内してくれた牧場長が深刻に受け止めたので、ここは話に割って入らなければいけないと思った。
「あの、そのことなんですが、昨日から森の中にいて、あまりにもお腹が空いていたものですから、それで魔物のウンチと知らず、拾って食べてしまいました。このままだと大事になると思って、それで村長さんに正直に報告しなければいけないと思ったのです」
話を聞いた五人の顔は更に深刻なものになった。中でも一番に心配してくれたのは鮮やかなピンク髪のおばあちゃんだ。
「身体は大丈夫なのかい?」
「はい、この通りです」
「よっぽど困ってたんだね」
「自分の身に何が起きたのか分からなかったので」
「よかったら、このババに話してごらんよ」
そこで心苦しいけど、村の人たちを心配させないために異世界から転移したことは伏せて、「旅の仲間とはぐれた」と嘘をつくことにした。
「そいつは大変だ」
「まだ子供なのに」
話を聞いた牧場長と木こりの兄貴分が親身になってくれたけど、それで余計に胸が痛くなった。
「確かニッポンと言ってたな?」
「はい」
「聞いたこともない遠くの村から来て仲間とはぐれちまったわけか」
この村は千人もいないので、ニッポン村に一億二千万人以上が住んでいると言ったら腰を抜かすかもしれない。
「どうして森にいたのかもよく憶えていないんです」
「旅の人間なら街道を通ったのは間違いないと思うがな」
そこで木こりの兄貴が首を捻る。
「さぁ、どうでしょう? 俺は見たことないですけど、都の遊び仲間が『この世には空を翔ける天馬がいる』って言ってましたよ? まぁ、昼間っから酔っ払ってる奴なんで本当かどうか分かりませんけど」
おそらくペガサスのことだが、こちらの異世界でも空想上の動物という扱いのようだ。
「空から落ちて頭を打ったってことか?」
「そう考えると辻褄が合いますからね」
そこで村長の奥さんが身を乗り出して尋ねる。
「そんなことより、お腹が空いてないかい?」
「はい、昨日から何も食べていないので」
そういえば僕のおばあちゃんも会うといつもお腹の減り具合を心配してくれた。
「お爺さんや、この子にご馳走してあげたらどうだい?」
「ああ、そうしよう」
決定権は村長にあるけど、決めているのはおばあちゃんのようだ。
歓迎会
日が高いうちに村人全員が集まって、といっても家畜の仕事で手が離せない人は除くけど、それ以外の人たちで僕の歓迎会を行ってくれた。
村長の家の前が広場になっていて、神具を身に着けた村長が供物を捧げた祭壇に向かってお祈りを始めた。
火や水や土や木などの精霊に呼び掛けていることから、信仰の対象が土着性の高い自然崇拝だというのが分かる。
つまり特定の信仰を持つ異教徒による侵略や征服がなかったということだ。しかも原始的な自然崇拝が残っていることから、奇跡のような平和を維持してきたということが分かる。
「さぁ、腹いっぱい食べてくれ」
サーニャのお父さんが乾杯の音頭を取った。広場に集まった五百人以上いる村人たちが真剣に耳を傾けていることから、実質的なリーダーを任されている感じだ。
藁のゴザの上にはご馳走がいっぱいで、異国から来た見ず知らずの僕に売り物の豚をわざわざ振る舞ってくれたということで、お返しできないくらいの恩義を感じた。
「このピンクの果物は何ですか?」
牧場長に尋ねたが、一緒のゴザで食事をしているサーニャが答える。
「イチゴだよ、知らないの?」
「苺?」
「うん、おいしいよ」
見た目は似ているけど拳ほど大きいので信じられなかった。驚く僕に牧場長が解説を加える。
「それは一か月ほど前に収穫したイチゴだ。他の果物と違って、そのイチゴは腐らないんだよ」
植物にまで魔力が浸透している証拠だ。それを食料として摂取することで人体の色素にも影響が出てピンク色の髪を持つ人が多い村になったのだろう。
「どうだ? 食ってるか?」
酔っ払った木こりの兄貴が絡んできた。
「はい、いただいています」
「魔物のウンコより美味いだろう?」
そこで広場がどっとウケた。
「笑わないで!」
たった一人だけ、サーニャが立ち上がって怒ってくれた。
「困ってる人を笑ったらダメだよ!」
泣きそうになった。
「よし、そうだな」
父親の牧場長が立ち上がった。
「二度と客人を笑わないと、みんなで誓い合おう。秘密を守れると約束できる者は手を上げてくれ」
すると全員が誓いを立ててくれるのだった。みんな話せば解ってくれる人たちばかりなのである。