第25話 ウルルの受難
予科
役場通りの貴族街に学校があって、そこに研究の助手を求める広告を出した先生がいると聞いた。
ただし学校で教えているわけではなく、研究室を兼ねた自宅が学校の敷地内にあるだけのようだ。
他にも図書館や美術館、研究所や競技場などがあるので、規模は小さいけれど学園都市みたいな感じだ。
「お城かな?」
「違うけど、大きな建物だね」
門壁の向こうに学校の校舎みたいな建物が建っているけど、ウルルは実物を見たことがないので城だと思ったのだろう。
「若い兵隊さんが走ってる」
「そういえば軍の幼年学校があるって言ってたよ」
「寄宿学校?」
「そう、よく知ってるね」
コツブが大人しいのは僕の背中を寝床にして眠っているからだ。
「ここに色んな村からエリートが集まってきて共同生活を送るんだ」
「うん、知ってる」
ウルルは本を読んだことがないのに難しい言葉を知っているので、いつも驚かされる。
僕は文字を読んで言葉を覚えたけど、会話だけで知識を習得したのなら、とんでもない知力の持ち主といえるだろう。
「女の子はいないのかな?」
「軍学校だからね」
現代の地球に存在する軍隊と違って、この世界では生身で戦わなければならないので負傷兵を担いで運ぶだけの体力が必須というわけだ。
「でも知ってる子が郵便村の学校に行くって言ってた」
「そういえば王立学校の予科があるって聞いたな」
予科というのは大学の付属高校みたいな教育課程のことである。
「ただし予科といっても全員が本科に進学するわけじゃないって聞いたよ。同門の徒として顔を繋ぐことが大事なんだってさ。もちろん純粋に学問を修める人の方が多いんだろうけど」
同郷の知り合い
門構えのしっかりした高級住宅街に緑地公園があって、そこを抜けたところに学校があると教えてもらった。
「あれ? ウルルじゃない?」
「ほんとだ、バカのウルルだ」
公園の並木道を歩いていたところ、対面から歩いてくる二人組の女の子が声を上げた。本を抱えているから学校帰りの女学生だと思われる。
淡いピンクと薄いブルーの洗練されたデザインのワンピースドレスを着ているが、二人とも意地悪そうな顔をしているので似合ってはいなかった。
「どうしてバカのウルルがこんなところにいるの?」
「あれ? 言ってなかった?」
「聞いてないけど」
「寄宿学校に行くと用済みになるからクビにしたんだよ」
クビになったことは知らなかったけど、言い方が酷すぎる。
「クビにしたのに、どうして郵便村にいるの?」
「知らない」
「呼んだんじゃないんだ?」
「呼ぶわけないでしょう」
隣にいるウルルは犬耳を髪の中に隠して、顔を上げようともしなかった。
「お父様から伝言は?」
「聞いてないけど」
「じゃあ、勝手に来たっていうこと?」
「さあね」
立ち去りたかったが、ウルルが完全に固まった状態なので動けなかった。
「どうしてこの場所が分かったんだろう?」
「バカだけど鼻は利くから」
「会いに来た目的は?」
「エサが欲しくなったのかもね」
嫌なヤツ同士で気が合うらしい。
「何しに来たのか聞いてみたら?」
「イヤよ」
「おかしな人とは関わっちゃダメっていうもんね」
「そうだよ」
シャー
「なんか、怖い」
「見ない方がいいよ」
「帰りましょう」
「そうしましょう」
そう言って小走りで去って行った。二人が逃げ帰ったのは、目を覚ましたコツブが二人に向かって「シャー」と威嚇したからであった。
前の村で飼われていた猫と遊んでいたので、その時に威嚇するスキルを覚えたのだろう。
ウルルの過去
コツブが嫌な二人組を撃退してくれたけど、ウルルはすっかり元気をなくしてしまった様子だ。
「大丈夫かい?」
「……ううっ、ごめんなさい」
謝るべきはアイツら二人だ。
「ウルルのことを悪く言ってたぞ? おらっち許せないんだ。今度会ったらゲンコツをお見舞いするんだ」
仲間がされたことを自分がされたと思えるのがコツブである。
「ううっ、コツブちゃん」
「おらっちは人の悪口が許せないんだ」
気持ちは分かるが、
「しかしゲンコツじゃ、あの腐った性根は直せないよ」
かといって、どうしたらいいのか分からないけど。
「次に会ったとしても、おらっちが追っ払ってやるからな」
そう言って僕の背中から下りて、ウルルの足に抱きつくのだった。コツブは悲しみに寄り添ってくれる優しい子なのである。
「ううっ、ありがとう」
ウルルもしゃがみ込んで、包み込むように抱きしめることで悲しみを共有するのだった。
「座って少し休もうか」
並木道にベンチがあったので座らせることにした。二人掛けだけど、コツブはウルルの膝の上でギュッと抱きしめているので何も問題はなかった。
「あれが大農園の娘たちなんだね」
「ピンクのドレスの子のお世話をしていたの」
「ブルーのドレスの方は?」
「彼女の幼なじみ」
油畑村はお金持ちの村なので、どちらも資産家令嬢というわけだ。
「本当のことを言えなくて、ごめんなさい」
「言えないことがあっても、隠し事をしているとは思わないよ」
ウルルが落ち込んでいる時は犬耳も元気がなく萎れていることが多い。
「ずっと嫌がらせに耐えてきたんだね」
「ううっ」
ウルルの場合は逃げ場がなかったので地獄だったと思う。
「しかし、どうして『バカ』呼ばわりされないといけないんだ」
「それはあの二人と違って文字を読むことができないから」
そこでウルルと出会ったばかりの頃を思い出した。
「そういえば、前に看板の文字を読まなかったことを注意したことがあったね。いま考えると悪いことをしたと思う。文字が読めて当たり前の国にいたから気が回らなかったんだ。無神経なことを言ってしまって、ごめんなさい」
ウルルが首を横に振る。
「わたしも恥ずかしくて、看板になんて書いてあるのか聞けなかったから、迷惑かけてしまって、ごめんなさい」
僕も分かりやすく首を振ることにした。
「文字が読めるのは本人の努力ではなく、生まれた国や時代に恵まれただけだと思っていた。思っていたけど、それは思っていただけだった。ウルルと出会うまで、相手を思いやることができていなかったんだ」
僕は異世界に来て真の学びを得た。
「努力だけではどうしても習得できない人もいるんだから、そういう人たちのためにも、文字を悪口の武器にするのではなく、助け合える道具にしなければいけないんだ、これは自分のためにもね」
そして僕の言葉よりも、コツブの温かい抱擁の方が支えになったりするのが人間だったりするわけである。
労働者街の大衆食堂
先生に会いに行くのは後日に延期して、気分転換するために、コツブの広告契約のお祝いを兼ねて、食堂でお腹いっぱいご飯を食べることにした。
来た道を戻って、大通りを挟んだ向こう側まで引き返したのだが、そこにあるのが労働者街である。
そこも細かく説明すると、裏通りには賭場や色街などもあるけど、僕たち三人が目指したのは表通りと呼ばれる繁華街にある大衆食堂だ。
「今日はコツブのおごりだ」
「いただきます」
「よしっ、食うぞぉ!」
八人掛けの長テーブルが三台あり、空いている席に適当に座って肩を寄せ合って食べるのが、この店のスタイルだ。
店には力仕事を終えたばかりの半裸のオジサンたちしかいないので、明らかに場違いであった。
子供三人での来店なので最初は冷やかしがあったのだが、しかしコツブとウルルがボイルした太い腸詰肉をオジサンたち以上に食うものだから、途中からみんな唖然とするのである。
「負けたぜ、チクショー!」
勝手に大食い勝負を挑んで勝手に自滅するのだが、その間もコツブだけは連勝を重ねるのだった。
噂話
「あの話、知ってるか?」
「なんの話だ?」
日も傾き始め、店内もまばらになり、大食い大会に飽きた同席のオジサンたちが無駄話を始めた。
「一番街道の遠くにある村で迷子の異人がいたそうだ」
「なんで一番街道に異人が?」
「どこから来たのか分からねぇから迷子なんだろ」
「ああ、なるほど、それで?」
たぶん、その異人とは僕のことだ。
「森に落ちてる魔物のクソを食ってたらしいぞ?」
「ほんとかよ」
「魔物のクソを見てもクソだと思わなかったんだってよ」
「ハハハハハッ」
誰にも言わないって約束してくれたのに……。
「誰にも言っちゃいけない話らしいから内緒だけどな」
「ああ、誰にも言わねぇよ」
無料で秘密が守られることがないのは地球と同じようである。
夕焼け空
早寝したコツブをおんぶしながら宿屋へと向かう帰り道、人通りが少なくなった表通りを歩きながら、ウルルがニコニコ顔を向けるのだった。
「なんか元気になったわ!」
「お腹いっぱいだもんね」
そう言うと、首を振るのだった。
「そうじゃなくて、この広い世界には、見ず知らずの人から大笑いされながらも生きてる人がいることを知って、わたしの悩みなんか大したことないって思ったの!」
それは僕のことだが、打ち明けることができなかった。
「みんなから笑われながら生きている人がいるんだから、わたしも気にせず生きて行くんだ!」
そう言って、別の誰かの希望の光となる夕陽を笑顔で見送るのだった。




