第13話 ウルルの才能
ガム作り
貸し小屋には表の軒先に調理場が備え付けられてあり、そこで人喰い花の粘液を煮詰めてガムを作ろうと思ったけど、どう見てもゴムにならないので早々に諦めた。
ガムにできない理由は、他の花や苞に見られる粘液と同じで多糖タンパク質だからなのだと思う。それはそれで食用に転化できるかもしれないけど無理をしてまで試すものではなかった。
「終わった?」
「うん、失敗だった」
ウルルも実験に立ち会っていたが、火を怖がるので、煙から逃げるように離れた所から見守っていたのだった。
「食べないの?」
「毒かもしれないから」
「ざんねん」
ウルルは恐怖を感じると耳をペタンとして髪の中に隠すようである。それを知ることができたのが唯一の収穫だ。
「朝食でも作ってたのかい?」
そこへ、お世話になっている見回り組のリーダーが話し掛けてきた。
「いえ、ガムを作ろうとしていたんです」
「ガム?」
「はい、僕の国では噛んでクチャクチャさせるだけの食べ物があるんです」
「それって噛み薬のことじゃないのか?」
「噛み薬?」
日本語だけど知らない名詞だ。
「ああ、悪い、俺も正しい名前は知らないんだ。ただ、都に行った時に『噛み薬を高値で売りつけてくる奴がいる。気をつけろ』と言われて、それで憶えていたんだ。田舎者は吹っ掛けられるからな」
どの世界、どの時代にも、そんなヤクザ稼業が存在しているみたいだ。
「僕の国では、ガムは安価で販売されています。しかも昔は歯を傷めやすいお菓子だったのですが、現在はお客さんの健康も考えた上で商品開発されているんです」
金持ち農家の跡取り息子が感心してみせる。
「ゾノ中ってのはスゴイ進んでるんだな」
「ところが中園中学校ではガムは禁止されているのです」
リーダーが混乱した様子だ。
「日本だっけ? 国ではガムを禁止していないのに、ゾノ中では禁止されてるのか? それは一体どういうことなんだ? どうも俺の頭では理解できないようだ」
ややこしい話である。
「ゾノ中ではルールのことを校則というのですが、訳の分からない厳しい校則も、突き詰めて考えると、すべては貧しい家庭の子供たちを基準に考えられているのだと思います」
オシャレできない家庭に生まれた子もいるわけで、規律を学ぶだけではなく、または健康や安全面への配慮だけではないと、僕は考える。
「いい国じゃないか」
「僕もそう思います」
読み書きを教えてくれる学校に通える環境下に生まれただけで幸せだったと思える生涯だった。
しかし同じ国に生まれても環境で苦しむ人がいることも忘れてはいけない。それはここ、異世界に転移しても同じだ。
「ゾノ中についてもっと教えてくれないか?」
ということで、厩舎でリーダーが乗ってきた馬のお守をしながら学校や地方自治体について話をした。
こちらの世界にある王政や領主や荘園地などと比較した政治の話になったので、小屋でお昼寝しているウルルを羨ましく感じたのは言うまでもない。(政治の話は一歩間違えると命の危険があるからだ)
王政化では民主主義を語っただけでも内乱罪や共謀罪が疑われることがあるので慎重に言葉を選んで話をした。(こういうのも地球にいた時に本やネットで得た知識のおかげである)
余談
リビングでの両親の会話だが、二人が小さい頃、社会全体が新聞や本を読むようにと訴える、そういった不思議な風潮があったそうだ。
しかし現代人がインターネットで活字を読むだけで依存症を危惧されて、勉強熱心だと思われないのはおかしいのではないかと疑問を呈していた。
幸いなことに、ウチでは同居している祖父母も含めてネットを禁止する人はいなかったので知識欲を邪魔されずに助かった。
ただし、集中したり夢中になったりすると、瞬きを忘れて眼球が乾いた状態になるので、祖父母は運動にもなる散歩も勧めていた。
そういう意味でも、チョビを散歩させる時間は、僕にとっても大事な時間だったというのが解る。
ということで、休み過ぎるのもよくないので、翌日から旅を再開することにした。
落とし物
酒畑村の穀物畑を過ぎてから、ふたたび牧草が生い茂る丘陵地帯を歩くことになったけど、ウルルが突然「なんかある」と言って、草むらに向かって走り出すのだった。
「なんか見つけた!」
駆け寄って確かめたところ、使い古した巾着袋であることが判った。
「よく見つけたね」
「うん」
「財布だね」
「軽いよ」
「誰が落としたんだろう?」
「少し前にすれ違った牛を引いてたオジサンだよ?」
え?
「そんなことが判るの?」
「うん、同じ匂いだから」
それを得意げな顔をするでもなく、当たり前のことのように言ってのけるのだった。
「それが本当ならスゴイんだけど?」
「ウルル、スゴイの?」
嗅覚を数値化できるなら、まさに桁違いの才能だ。
「人間離れしてるから神の領域だよ」
「ウルルが神!」
そう言って、口を緩く開けて、目を細めて、身体をクネクネさせるのだった。このボディランゲージは、喜んではいるけど恐れ多くて照れ隠ししていると読み解くことができる。
「まさか落とし主が判るとは」
「届けてあげよう!」
桁違いの特殊能力よりも、ウルルが正しい心を持っていることが何よりも嬉しく感じた。
感謝祭
巾着袋の落とし主は酒畑村に荷物を届ける御用商人だったらしく、見回り組のリーダーとも顔見知りだったということもあり、その日のうちに広場村で盛大な感謝祭が開かれた。
「正直者のウルルに乾杯!」
「乾杯!」
催事を行う村の中央広場では、特別に果実酒の酒樽が割られて、それを村人が花に群がるミツバチのようにダンスをしながら酔いしれるのだった。
「正直者に幸せあれ!」
「どうもどうもどうも」
ウルルが照れながら右手を上げていたけど、そのボディランゲージが日本人の仕草に似ているのは、僕に影響を受けたからなのかもしれない。
「正直者に一番の肉を食わせてやろう」
広場では仮設の調理場が設けられており、大きな鉄板で牛肉のステーキが焼かれて振る舞われていたのだが、僕たちには脂身の少ない赤身肉が差し出された。
噛むと生臭い血が口一杯に溢れ出すような硬い肉で、日本の格付けとは異なる価値で評価されているのだが、動物性のヘム鉄の含有量が多い赤身肉の方が優れていると思うので、本当に最上級のおもてなしを受けたように感じた。
雑学
牛肉は部位によって名称が異なるが、吸収率の高い良質なヘム鉄を効率よく摂取したい場合はヒレ、ランプ、モモを選ぶのが最善だ。また、リブロースやサーロインも鉄分含有量が多い部位である。
ただし牛肉はどこの世界でも高級食材なので、植物性の非ヘム鉄を効率よく摂取する工夫を知っておく必要がある。
食べ合わせによって吸収を助けたり阻害したりするのだが、それを知るのが料理の奥深さであり、神髄なのだと思う。
才能
結局、その日も貸し小屋で休ませてもらうことになった。ウルルはお腹いっぱいで御眠だったけど、完全に眠る前にどうしてもやっておきたいことがあった。
「ウルル、ちょっといいかい?」
寝台の縁に腰掛けてもらったが、月の時間なので眠そうだ。
「今日は能力を正しく使って、本当に偉かったね」
「どうも、どうも……」
そう言い残して、完全に眠りの世界に行ってしまった。
「おやすみ」
気持ち良さそうな顔をしているので、それ以上は話し掛けずに寝かせてあげることにした。
魔人化したウルルの嗅覚は、たとえ人間を改造できたとしても手に入れられる能力ではない。
それにはどんな意味があるかというと、人助けすることもできれば、兵器として利用される可能性もあるということだ。
胸騒ぎ
堪らなく嫌な予感がする。魔人化した能力者たちが争いに巻き込まれる、そんな許しがたい未来を想像してしまうのである。
僕にできることは、ウルルから笑顔を奪い取るような社会が存在するなら、戦うのではなく、守り抜くことだ。
生まれた場所で生きる意味を考えていたが、トラックに轢かれて転移したならば、ここで生きる意味を考えるだけである。




