第10話 ウルルの悩み
一期一会
日照時間を無駄にしてはいけないという意識が強いからか、カシラギ分隊長は会話を引き延ばしたりせずに、僕たちに気を遣って出発の準備を促してくれるのだった。
目指す方向が違うため、別れの挨拶は酒場宿の前にある広場で交わすことになった。
十二人の分隊だが、隊長さんだけが若くて、他は気のいいオジサンたちという感じだ。
「念のために通行手形を渡しておこう」
そう言って、小さな穴が暗号のように開いている銅板のプレートを差し出すのだった。
「今のところは必要ないが、何が起こるか分からない世の中だ、持っておいて損はなかろう」
遠慮せずに拝借することにした。
「ありがたく使わせていただきます」
そこで気持ちのいい笑顔を見せる。
「気が向いたら、また会おう!」
それがカシラギさんの別れの挨拶なのだろう、そう言い残して、ヒラリと馬に跨って、颯爽と駆け出すのだった。
出会う人たち全てが親切なのは偶然ではなく、危険な魔物世界で生き残るために協力し合うことが大事だと頭と体で理解しているからなのだと思う。
一期一会という言葉があって、意味も知っているけど、それを実感として理解していたかというと嘘になる。
転移前は社会があまりにも平和すぎて、言葉を国語のテスト問題としか捉えることができず、理解を深めるには至らなかった。
僕にとって異世界転移は、頭の中でしか理解できなかった言葉たちを体で実感させてくれる機会となったわけだ。
一番街道
なだらかな緑の丘陵地に、一本の真っ白い馬車道がどこまでも続いており、それがあまりにもキレイに整地されているものだから、機会があったら納税という形でしっかりと恩返ししようと思った。
川幅の狭い河川を渡らなければならない時があるけど、誰も住んでいないような場所でも石橋が掛けられているので、技術者や施行主に感謝しつつ、やはりその土地にお金を落とさなければいけないと考えた。
こういうのは小学生の時に習うけど、本当は中学生になってからも、高校生になってからも、大学生になってからも、社会人になってからも、それこそ定期的に学習し続けなければならないことなのだと思う。
橋はタダじゃないし、それは現地人だけに税が課されて、外国人である僕が特別に無料で渡れるというものでもないからである。
だから転移者である僕にも納税の義務は発生するわけだ。そのためには働かなければいけないのだけれど。
イヤイヤ期
今まで読んできた本の内容を語りながら次の村を目指していたけど、ウルルが突然、草原に伸びる道の真ん中でしゃがみ込んで、ついには体育座りして動かなくなるのだった。
「疲れちゃった?」
体感だけど一時間以上も休まずに歩き続けてきたので僕も休みたいところだったが、ウルルは首を振って否定するのだった。
「お腹が空いた?」
それにも首を振るのである。
「どうしたの?」
尋ねても答えてくれなかった。答えなかった質問に同じ質問を重ねるのは相手に失礼なので、内容を変えることにした。
「ひょっとして、帰りたくなった?」
帰ろうと思えば日没前に出会った場所まで戻れる距離だけど、里心がついてもおかしくない頃であった。
しかしウルルはその言葉にも反応せずに、何一つ意思表示をしてくれないのである。
だけど、そんなことで気をもむ僕ではない。彼女には答える義務はなく、答えない自由もあるからだ。
「一人になりたくなった?」
そこで頷かれたらショックだったけど、同じように反応を示さなかったので、ちょっとだけホッとすることができた。
「少し休もうか」
一番街道は等間隔で集落があると聞いているので無理して急ぐことはなかった。事実なら体感で三、四時間もあれば次の村に到着できる。
それでも夜に魔物と出くわすと本当に見えないと言っていたので、それで道中を急いでいるわけだ。
「あそこで休もう」
ちょうど草原に庇代わりになる大きな木が立っていたので、幹の根元まで連れて行って休ませることにした。
ウルルの悩み
元気がない様子だったので、何か出来ることはないかと思って、ちょうどシロツメクサのような白い花が咲いていたので、お母さんから教えてもらったことを思い出して、花冠を作ることにした。
「できた」
完成したのでプレゼントするために後ろ手に背中で隠しながら、木の下で休んでいるウルルの元にバレないように近づいた。
「はい、これをあげる」
「はぁぁ」
嬉しそうな顔をしてくれたので、それが喜んだ時に漏れ出る言葉だと知った。
「うれじいぃ」
すごく力のこもった、実感のある言い方だった。
「よかった」
これで安心して隣に腰を下ろすことができる。
「これは何ていうの?」
「花冠だよ」
「ハナカンムリ?」
異世界にもあるだろうけど、少なくともウルルは知らなかったようだ。
「これをどうするの?」
「頭にのっけるんだ」
そこで表情が暗くなり俯いてしまうのだった。
「ウルル?」
「ううっ……」
また悩み出してしまった。
「ユタカは会う人みんなに好かれて大事にされるから、やっぱりわたしなんかと一緒にいたらダメなんだ」
そんな劣等感を抱いているとは思わなかった。
「他の人のことは関係なく、僕はウルルと一緒にいたいよ」
「でも、ユタカには都で大事なお仕事があるから」
「まだ決めたわけじゃない」
「行商人のおじさんにも頼りにされている」
「それも具体的な話は何もないよ」
「わたしがユタカの未来を奪うことになるから」
意味が解らないので言葉を返すことができなかった。
「兵隊さんだけじゃなく、わたしにとってもユタカは大切な人だから正直に話すね」
そこで花冠を膝に置いて、赤頭巾を脱ぐのだった。
「え?」
見ると、銀色の髪の中から犬のような耳がぴょんと飛び出した。
「きっと、こんな狼みたいな耳をしてるから油畑村の大農園に捨てられちゃったんだと思う」
それがウルルの出生の秘密だったようだ。
「そこで何か酷い目に遭ったの?」
それは強く首を振って否定するのである。
「仲間はみんないい人たちばかりで、本当の家族のように接してくれた。だから迷惑を掛けちゃいけないと思って」
村を出たわけだ。
「ウルルのような優しい人が迷惑なんか掛けるものか」
「ありがとう。でも、違うの」
まだ秘密があるようだ。
「最近、本当に最近のことだけど、満月が近づいてくるのが怖いんだ」
地球だと、満月を見て狼男に変身するのは創作上の設定でしかないはずだ。
「意識が薄れる時があって、爪のあたりがウズウズして、強く何かを噛んでしまいたくなって、自分が魔物になってしまんじゃないかって、すごく怖いの」
それは、か弱き人間に耐えられる苦しみじゃない。
「イライラしたり、ムッとしたり、怒りたい時もあるのに、その気持ちを認めてしまうと魔獣になってしまうんじゃないかって、だからずっと我慢してきた」
当たり前の感情を我慢せねばならない苦しみは簡単に理解できるものではない。
「もうすぐ満月だから、それで魔獣になって村の人を襲わないように、それで村を出てきたんだ」
大切な人たちを守るために行動できる人だから誰よりも苦しんでしまうのだろう。
「だからユタカとも、ここで別れる」
固い決意のように見えた。
「ウルルが魔獣化するのか、僕に確かめさせてくれないか?」
自分に何ができるか分からないが、やれることをやるだけやってみたいと思うのが僕の性格だ。
「満月の夜を一緒に迎えてみよう」
ピンと立った犬耳が愛らしく感じた。
「僕が夜通し側にいてあげるから」
そう言うと、八重歯を見せて、はにかんだ笑顔を見せてくれるのだった。
「ありがとう」
そこで花冠を被せてあげたけど、すごく残念に思った。それは鏡がないから、彼女が自分自身の可愛らしさを知ることができずにいると思ったからである。




