第1話 はじめての異世界ぐらし
プロローグ
トラックに轢かれても異世界に行けるとは思わなかった。なぜなら、そんな特別なことが僕の人生で起こるとは思わなかったからだ。
遡ること数時間前
その日は中学校の卒業式だったけど、クラスメイトと別れの挨拶を交わすことなく、いつもと同じように帰宅を急いだ。
理由は僕の唯一の友達でもあるビーグル犬のチョビを散歩させるためである。北海道は日没が早いので散歩も早ければ早い方がいい。
本当なら卒業後に公園のベンチで感傷に浸ったという思い出を残したかったけど、ペットに人間の行事は関係がないので犬の気持ちを優先したわけである。
「チョビ」
リビングの中で一番暖かい窓辺でお昼寝をしていたのだが、声を掛けると尻尾をブンブンと振り回しながら喜んでくれた。
いつもより早く帰ってきたので、いつもより驚いて、いつもより激しく喜んで、自分はすごく嬉しんだということを解りやすく伝えてくれるのである。
「よし、よし、いい子だ」
その喜びの表現が嬉しい場合は、僕も褒めることで解りやすく肯定することにしている。しっかりと意志を伝えれば、ちゃんと応えてくれるのだ。
飼い犬を見れば飼い主が分かるというのはその通りで、今のチョビは僕の姿そのものだった。
散歩
ビーグルは狩猟犬なので筋肉を維持させるために運動を欠かすことができない犬種だ。
また、その狩猟スタイルはパック(集団)で行うことから、仲間を大事にする犬種でもある。その特性から犬を寂しくさせるタイプの人は絶対に飼ってはいけないといわれている。
だから知人が世話をすることができなくなって、それを見かねてウチで引き取ることになったわけである。それがチョビとの出会いとなった。
幸いにして僕が住んでいる田舎町には、裏山に広い森林地帯があるので好きなだけ運動させることができた。(それでもリードを放すのはマナー違反なので好き勝手に遊ばせているわけじゃないけど)
ビーグル犬は「森の声楽隊」とも呼ばれているので、迷惑にならないように民家のない森の中限定で歌わせてあげている。
事故
散歩の帰り道で事故に遭って死んでしまった。中嶋優孝、十五歳、短い人生だった。見た目は小さくないけど、中身は大人を経験せずに終わった。
子供が道路に飛び出して、チョビがその子供を助けようと走り出し、僕もリードに引っ張られる形で走り、子供は助けることができたけど、代わりに僕が犠牲になって死んじゃったわけだ。
そこで話は冒頭に戻るけど、トラックに轢かれた瞬間、別の世界に飛ばされたけど、そこがどこだか分からないのである。
異世界?
目を開けた瞬間、目の前に広がっていた景色は森の中で、一見すると森から森へ飛ばされたと思ったけど、見慣れた針葉樹ではなかったので、すぐに別の場所へやって来たことが解った。
そもそも気温が違っていた。すごく暖かかったので、すぐに着ていたハーフコートを脱いでしまったからだ。それでも汗ばむ陽気だったけど、学生服を脱ぐほどではなかった。(黒の学ラン)
それよりも、どうして西洋のおとぎ話に出てくるような森の中にいるのか、それが問題だ。
ここが異世界だとしたら、泉に女神様が現れて、第二の人生を用意してくれたり、特殊な能力をくれたり、生きる目的まで教えてくれたりする。
それが余計なお世話かどうかは別にして、少なくとも一人ぼっちで放置プレイされることはなかったはずだ。
しかし神様に見放されても仕方ないと思っている。これまでの人生で何かに選ばれたことは一度もないからだ。
学級委員も、リレー競走の代表も、絵画や合唱コンクールも、班長ですら一回も選ばれたことがない。
そんな誰からも必要とされていない僕が異世界行きのチケットを手に入れることなんて出来るわけがないのだ。
だからこの森は死後の世界だと思った。
「お腹が空いたな」
死んだ後も空腹を感じるとは思わなかった。これがずっと続くとしたら、文字通り無間地獄である。
木の実を捜して辺りを見回したけど、毒々しいキノコは生えていても、食べられそうな物は何も見つからなかった。
とりあえず喉が渇く前に水を捜しに行こうと思った。緑が生い茂っているので川だけじゃなく地下水もたっぷり流れているはずだ。
カサカサ
何か音がした気がするけど、周りを見ても鳥や小動物の姿を捉えることはできなかった。(虫は普通にいるけど)
そんなことよりも食糧と水だ。川魚は寄生虫が心配なので、火を持っていないから木の実がいい。
そんなことを考えながら森の中を歩いていると、地面にトリュフが落ちているのを発見した。
もちろん高級食材なので一度も食べたことがないけど、テレビで見たことがあるので間違いない。
ところが拾って手に取ってみると、それがキノコの方ではなく、チョコレートの方のトリュフに近いことが分かった。
だから口に放り込んだ。
「んまっ」
甘味は少ないけど、逆に苦味を消さないくらいが丁度よくて、いつまでも無くならない微糖チョコレートを食べているみたいだった。
あまりにも美味しいので片っ端から拾い集めて、倒木に腰掛けて立て続けに十個も二十個も食べてしまった。
毒が気になるのは生きているからで、死んでしまうと大胆になれるのだと思った。
それだけに他人を死ぬほど頑張らせようとする人は詐欺師なんだと思った。死んでいない時点で、その人も死ぬほど頑張ったわけではないからだ。
「……チョコレート」
死んだ今となっては、そんなことはどうでもよくて、後悔しているのは義理チョコのお返しができなかったことだ。
二月のバレンタインデーの日に女子バレー部のキャプテンをしていた小林さんがクラス全員に義理チョコを配ったのだが、その時に僕も生まれて初めて貰うことができたのである。
仲のいい女子はお返しができるだろうけど、僕は卒業したら会うこともないので、それでお返しがしたくても出来ないので悩んでいたのである。
小林さんの家に行くとストカー行為になるし、卒業前に学校で声を掛けるのは迷惑になると考えて、結局そのまま卒業を迎えてしまった。
思えば、僕の人生で一番嬉しかったのが、その小林さんからの義理チョコだったかもしれない。
今はクラスの人気者の男子も義理チョコを配る時代だけど、そこに乗れないのが僕の十五年間の人生だった。
「そうか、ここは異世界ではなく、天国なんだ」
そう思わずにはいられなかった。そうじゃないと、森の中にトリュフチョコが落ちている説明がつかない。
落ちているチョコも様々で、サクサクのパフが入っていたり、キャラメルのようなネリネリしたものが入っていたりと、どう考えても天国以外にはありえないからだ。
お菓子の世界
ひょっとしたら、この世界そのものがお菓子で出来ているのかもしれない。それが僕の死後の世界というわけだ。
常日頃から考えていたことがある、人間は死んだらどうなるのかと。やっぱり天国と地獄があるのだと思っていた。
いいことをすれば自分が望む想像した世界に行くことができて、悪いことをすると想像し得る最悪の世界に落とされる。
「にがっ」
試しに葉っぱを食べてみたけど、さすがに石や草木まではお菓子になっていなかった。
それよりも喉が渇いたので、美味しい水が湧き出る泉を捜しに森の奥へ歩を進めることにした。
バサッ
背後で音がしたので振り返ったけど、特に何も変わった様子がなかった。チョビだったら嬉しいけど、会えたら一緒に死んだということなので、この世界にいない方が嬉しく感じられた。
「どんぐりころころ」
「どんぐりころころ」
「どんぶりこ」
「どんぶりこ」
歩きながら「どんぐりころころ」を歌っていたら、なぜか勝手に輪唱になるのだった。
「どじょうが出て来て」
「どじょうが出て来て」
僕ではない違う声だ。
「……今日は」
「……今日は」
明らかに、背後に何かいる。
「ぼっちゃん一緒に」
「ぼっちゃん一緒に」
怖くて声が震えたのだが、それもそっくりそのまま真似るのである。
「遊びましょう」
「遊びましょう」
そこで勇気を出して振り返ったら、大きな怪鳥と目が合うのだった。
※「どんぐりころころ」は青木存義作詞ですが現在は著作権フリーとなっております。