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ミカディアの奇蹟  作者: micco
第1章
19/102

メル、牢から出てお風呂に入る

 細工街では、ある噂で持ち切りだった。


「おい、聞いたか? 明日あそこで仕事がもらえるんだそうだ」

「いや、でも報酬が水と果実だってらしいぜ」

「構いやしねえよ。明日のための銭もないんだ。食べ物がもらえるだけいいじゃねえか」

「なんでも病気の子どもがいるんだってなぁ」

「どっかのお嬢様らしいが、大分衰弱してるって」

「おいら、行ってみっかな。どうせ細工の仕事なんざ来ねえしな」


「病気のお嬢さんがこんなにたくさん果物をくれたんだよ!なんて美味しいんだろう!」

「へー! こんな世の中でもありがたいことがあるもんだ」

「でもそのお嬢さん、今にも死にそうなんだってさ。可哀想にねぇ。住んでるところが崩れて台所もないっていうじゃないか……」

「そりゃ、不憫な。……よし、じゃあオレも大工道具持って一緒に行ってみっか。暇な奴連れてたまには働くか」



 シモンは今日一日、どこに行っても『北の森』の話を耳にした。午前中のうちは「どうせ一時雇っていた大工からでも話がもれたのだろう」と軽く聞き流す程度のものだった。しかし、仕事を終えて夕食を取ろうと酒場に寄り、麦酒を頼んだ時、またしてもその話題がどこからか聞こえてきた。


 細工街はここのところ隣の加工街と共に、住民たちから自嘲を込めて「苔石街(こけいしがい)」と呼ばれていた。転ぶ石には苔は生えぬというが、どうだい我らはまるで転がる石のごとく日々貧しくなるのに、まるで仕事がなく苔むす石のようではないか!と。

 ミカディアに近い加工街よりはならず者は少ないが、治安が良いとはいえなくなっている。

 酒場は情報のるつぼというのはどの世界も同じであり、治安の良さが如実に表れるのもこの場所であった。


 しかし今日の雰囲気はどこか、熱気をはらんだように活気がある。その誰もが『北の森』の話題を話していたのだった。


 これは、かなり厄介なことになってるんじゃないか?


 シモンは財務所属であるがトマス本邸に仕え官吏に推し上げてもらった恩を多大に感じており、今でも侍従長のルドとは通じている。この離宮の改装もそれを知る陛下直々の指名があったということだ。

 それは何より、国としてもトマス家としても深い関わりのある人物を秘するためである、と、子どもが考えたって分かる。離宮とはそういう場所だからだ。だからこそシモンはできるだけ関わらず、さっさと終えて任務から離れたいと思っていた。


 国家機密の騎士団直轄地に民が押し寄せたら、状況によっては騎士団の弾圧もやむを得ない……


「よおし、おれっちも明日は北の森で働くぞー!そんで10日ぶりの風呂に入るんだー!!」

 酔った男たちがゲラゲラ笑い「くさいぞー!」「俺は風呂を持ってくぞー!」などと盛り上がっている。


 シモンは目立たぬように席を立ち、勘定を払うと店を出た。そして足早に宿に戻ると懐からジェモイを取り出し2度叩いた。



 ◆



 翌朝、私はグイドの「お嬢ちゃん起きてるー?」という声で目を覚ました。パチパチと目を瞬くと、窓からは薄っすら朝の光が差し込んでいて、すでに日が登っていることが分かった。

 体を起こしてうーんと伸びをする。頭もすっきり体も軽くて快調だ。

 昨夜、魔力放出したせいもあるのだろうが、外に出て森の空気を吸ったことも多大に関係している気がする。あの白い花を摘みにいきたいわ、などと不思議な光景を思い出していると、グイドさんが戸を開けて顔を出した。

 顔がちょっと引きつっているのはどうしたんだろう。しかも、また昨日よりやつれてる気がする……


「おはよーお嬢ちゃん。あのさぁ……

「ちょっとここかい? 病気のお嬢さんがいるってのは!」

「あんたこんな暗いとこに病人を寝かせてるなんて、ますます病気になっちまうよ」


「わわっ」とグイドさんが牢にガシャン!とぶつかって知らない女の人たちが中に入って来た。グイドさんがぶつかった拍子に格子の錠がはずれ、戸が開いた。


「ちょっとほんとになんだいこの部屋は。まるで牢屋じゃないか!」

「建物が全部崩れたっていうから、無事だったのがここだけだったんだろ。あらー、こんなに痩せて、病気ってのは本当だったんだねぇ」

「病気だってこんなところに置いておけないよ! 熱はないみたいだから、まず体を清潔にしてあげなきゃね!」

「ほら、そこのお付きの人! 突っ立ってないで、この子を外に運んでおくれ!」


 私は目の前で何が起きているのか分からず、目を白黒させた。「いや、あの」などと慌てているグイドさんに女の人たちは「早くしなよ!」と背中をばん!と叩いて牢を出て行った。グイドさんは「あぁぁぁぁ」と顔を両手で覆ってしゃがみ込むと「ごめーん、お嬢ちゃん」と声を震わせた。


「あ、あの、グイドさん……」

「いや俺のせいなんだけど、予想外っていうか何て言うか……ごめん」

「あの、……私外に出ていいんですか?」

「もうね、収拾つかないから、ごめん外に出てくれる? 具合悪くてしゃべれないってことにして……俺のせいだから、何かあったら俺がお嬢ちゃんを命がけで守る……しかない」


 グイドさんは紺色の目をさらに下げて、本当に困った顔をしたかと思うとがくっと首を下げてうなだれた。私はなんだかおかしくなって、「ふふ」っと笑った。あんなにすごい術を使う人が子どもみたいに小さくなっているのが、可笑しかったからだ。

 そっとベッドを降りて、しゃがんだままのグイドさんの頭をポンと撫でる。グイドさんがちょっと顔を上げて「へへ」っと笑ってくれた。

 私たちは数刻微笑み合うと、グイドさんが「よおし、腹くくったー!」と立ち上がって、ひょいっと私を抱えた。


「ちょっと人が多くてびっくりするかもしれないけど、皆いい人みたいだから。何か困ったらすぐ俺か騎士の名前を叫ぶんだよ」


 そう優しく言って、グイドさんは右手の人差し指で私の額に丸を書いて、ふっと息を吹きかけた。なんだかあったかい。ぼさぼさで頬のこけた魔術師さんは「お守りだよ」と小さく言って、私を抱えて外に出た。



 外は、数えきれないほどの人がいた。その誰もが、子どもたちでさえ、草を刈ったり火をおこしたり水を運んだりして忙しそうに働いていた。


「近くの細工街の人たちが、働きにきたんだ。中には、君が病気だって聞いて世話をしに来たって人もいるよ」

「じゃあさっきの人たちも……?」

「そうだね。せっかくだから、お世話になっておいで。俺、あーゆーおばさんたち苦手……」


「あー! やっと来たね! さぁお付きの人、さっさとこっちに運んでおくれ!」

「あんたが優しいお嬢さまかい? 昨日はたくさん果物をもらっちまって本当に助かったよ!」

「本当に痩せっぽちだね! こりゃあったかい食事も必要だ! よし、食材集めに行って来るよ!」

「ほら何してんだい、こっちだよ!」


 一斉に話しかけられ、私は誰に応えていいか分からず口をはくはく開け閉めした。そのうち、私はグイドさんから女の人に渡されて、牢の建物の東側に連れていかれた。そこには、板を張った床と、カーテンで仕切られた場所があって――昨日はなかったように思う――中に入ると、人が2・3人は入れるような大きな丸い樽に湯が沸いていた。

 わぁ、と目を見張っていると、いつの間にか夜着が脱がされて頭からお湯をかけられた。「わっぷ」と息を詰まらせている間にも、石鹸で体を洗われ、すすがれて、ぼちゃんとお湯に入れられた。

 あたたかさが足の先まで染み渡って、私は「はうぅ」と声をもらした。


「あんた、随分お湯に浸かってなかったろう。体を洗っていても冷え切ってるのが分かったよ」

「はい……ありがとうございます、おばさまたち」


 私がお礼を言うと、皆一瞬キョトンとして「あっはっは!」と笑い出した。今度は私がキョトンとする番だ。


「おばさま、だなんて生まれて初めて言われたよ!」

「本当にお嬢さまなんだねぇ。ほら、見てごらんよ、シミひとつない白い肌!」

「髪も洗ったらつるつるじゃないか。高貴な生まれなんだねぇ」


 おばさまたちは面白そうにひとしきり笑い合うと、中でも恰幅のいいおばさまが優しく言った。


「あんたのおかげで、うちの旦那は張り切って働いてるよ。すっかり仕事がなくなってからは毎日飲んだくれてたのに……。慣れない大工仕事も案外楽しそうにやってるじゃないか。

 病気のお嬢さんが貴重な水と食べ物を分け与えてくれたおかげで、みんな喜んでるんだ。

 ありがとうよ」


 他のおばさまたちも口々に感謝の言葉を私に投げかける。私は何と言っていいのか分からず、でも昨日の「あげればいいのに」が皆を喜ばせたと思い当たって、嬉しくなった。

 あたたかいお湯で、顔の筋肉もほぐれて、私は久しぶりに上手に笑えた気がした。



 湯をあがると、ほかほかのすっきりで、なんだか空も飛べそうなくらい体が軽くなった。おばさまが冷え切っていたというのは本当だったようだ。私の清潔な服がどこにあるか分からず、おばさまたちが用意してくれたちょっとだぶだぶな服を着た。

 髪の毛も丁寧に乾かしてもらったら、動くとサラサラ揺れて、くすぐったかった。


「なんて美人なんだろう。これはきれいにした甲斐があったね」と、おばさまたちが太鼓判を押してくれた。


 カーテンから出ると、風がお湯であったまった頬を撫でて、気持ちが良い。


 お風呂って最高だ……


 と独りごちていると、先程のおばさまが「今度は食事だよ!」と私の手を引いた。

 お風呂の間に草はすっかり刈られて、建物の残骸も片付いて更地になっていた。そこにいくつも火がたかれて、大きな鍋が石かまどに置かれて、スープか何かを作っていた。とてもいい匂いが漂っていて、朝食を食べていないことに気づいて「くるる」とお腹が鳴った。

 厚手の布が地面に敷かれて、そこに座るよう促された。大人しく座ると、案内してくれたおばさまが膝に掛布をかけてくれ、にっこり笑って言った。


「今、スープを持って来るよ。朝食がまだなんだろう?食べるともっと血色が良くなるさ!ちょっと待ってなね」


「はい」と返事をしてわくわく待っていると、何かの道具を持ってたくさんの男の人がどやどや話しながら集まって来た。


「この子が例のお嬢さんか?」

「へぇ、きれいなもんだ」

「確かに痩せてて折れちまいそうじゃないか」

「あんたのおかげだ。今日は気分よく眠れそうだ」


 男の人たちは皆立ったまま私を覗き込んで話しかけているので、私は首が痛くなるぐらい上を見上げなければいけなかった。すると、今度は子どもたちが一人二人、大人の足の間からこちらを見たかと思うと、私をぐるっと囲む程の人数が集まった。そして口々に「病気なんでしょ?」「あんた、いくつなの?」「そんなに生っちろくて働けるのー?」などと話しかけてきた。私はまたしても答えられず、はくはくしていると、おばさまが戻ってきて「散った散ったー!」と助けてくれた。私は本当にほっとして、感謝の眼差(まなざ)しを送ったほどだ。


「さぁ、お嬢さまは食事の時間だよ!病み上がりなんだから、邪魔する奴は容赦しないよ!」


 と、私を囲んでいた人たちを一蹴し、スープを手に持たせてくれる。


「口に合うか分からないけど、消化のいいスープだよ。ゆっくり食べておくれ」


 そう言ったおばさまの瞳が本当に優しくて、私はふとエイダに会いたくなった。それでちょっと泣きそうになったけれど、何とか「ありがとう、おばさま」と感謝を述べた。匙ですくったスープの味も優しくてあったかくて、私はゆっくりそれを味わった。


 落ち着いて涙が引っ込んだ頃、顔を上げると、周りにはおばさまたちや子どもたち、グイドさんもロズも草の上に直接座ってスープを食べていた。

 皆笑っていて、私は時々話しかけられることに相変わらず答えられないままだったけれど、また泣きそうになるくらい楽しくて嬉しい気持ちで食事を終えた。


お読みいただきありがとうございます。


やっとスローライフのフラグが……!?

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