エイダ、不在につき
食事はいつものパンとスープではなくて、硬い四角いパンと干し肉と果物だった。お皿ではなく盆に直接乗せられて、アーサー──水や砂糖を取ってくれた若い人がアーサー。おじさんの方がロズ、と名前だそうだ──が部屋に運んでくれた。
グイドさんは「じゃあ食事のあとでー食べ終わったらアーサーを呼んでー」と部屋から出て行った。
「エイダがいないと寂しいわ……」
体が軽くてすっきりした頭になったのに、エイダがいないなんて、と私はパンを噛んだ。エイダは事情があって何日か不在、とグイドさんが教えてくれた。エイダと離れるなんて初めてのことで、私はとても不安になった。
初めて食べる干し肉もパンも硬くてなかなか噛み切れなくて大変だった。でも果物は瑞々しくて甘くてとっても美味しかった。食べただけで何だか元気が出たみたいだ。
時間をかけて食べきり、アーサー──やっぱり大きな体格の若い人だった──を呼んで食器を下げてもらった。
そうして私はグイドさんに、私の魔力のことを教えてもらった。グイドさんはエイダから説明するように言われたらしい。
長い間術をかけられていたことによって、私の魔力が増えすぎたこと。そのせいで不調になったこと。寝ている間にグイドさんが魔力を放出するのを手伝ってくれたから、今は大丈夫だということ。毎日ちょっとだけ放出する必要があること……
そして放出した魔力のせいで、建物が壊れたり地形が変わったりしたから、エイダとルークが国王陛下に会いに行ったことも。
何が何だか分からなかった。突然魔力を持ってるって言われても、分からない。地形が変わるって何?
「私……」
グイドさんは、何も言えなくなった私の頭をポンと撫でた。
「そうだよなぁ、いきなり言われても分っかんないよな―。ごめんごめん。でも、お嬢ちゃんの体には今も魔力が溜まり続けて、増え続けてる。まぁ、ぶっちゃけ10日くらいは放出できなくても死にはしないと思うけど……ちょっと今から試してみない? 外にも出られるしさー」
「……外?」
「お、外に出たい? 本当はダメなんだろうけど、この部屋じゃ無理だからさー。お嬢ちゃん、逃げたりしないよね?」
「え……逃げる? それってどういう……」
「あー、ごめん! 俺も事情は全然知らないから分かんないよ! でも、放出の時以外はこの牢から出ちゃダメだからね!」
牢?
私は、この部屋が牢屋だってことに今気づいた。窓には格子がはめられて、出入り口は鉄格子に錠、その外側に鍵のついた戸。石の壁。ハンナに読んでもらった絵本に出てくる悪い人が入るところだ……。
私、病気でここに来たんじゃなかったんだ……何かいけないことをしてしまったの……? だから術? をかけられていたの?
グイドさんが「あ、地雷踏んだ?」と言ったのをぼんやりと聞いた。
元気になったらエイダに聞こう、と思っていたことがどんどん増えてしまい、私はじっと──記憶より大きな、自分の手を見つめた。
と、そこにわぁわぁと人が集まって何か言い合っている声が聞こえてきた。あまりの騒がしさに私は考えるのをやめ、不思議に思って顔を上げた。グイドさんも「あー、また来たのかなー」と立ち上がった。
「グイドさん、誰?どうしたの?」
「んー、近くの街の人たちがね、水をくれとか、果物くれとか集まってるんだよ。エイダ様も騎士団長もいないから判断できなくて困っててさー」
「え? なんで? 欲しいならあげたらいいのに」
「……」
グイドさんは私の言葉に眉を上げて数刻、ポンっと手を打った。
「そーだよねー! 欲しいならあげちゃっていいよね! お嬢ちゃんもそう思うよねー!」
「え、うん。余ってるなら、あげればいいのにって……」
「余ってる余ってる! オーケー! じゃあ、エイダ様にお嬢ちゃんからもそう言ってね! アーサーに伝えてくるから待っててねー」
そう捲し立てて、部屋から走って出て行った。
後に残された私は、しんとした牢の中でじっとグイドさんを待った。
◆
アーサーとグイドは、断っても集まってくる細工街の人たちの対応に朝から辟易していた。
「頼むよ、ちょっとでいいんだ、水をくれよ」
「果物、かごにもらってっていいかい? いいじゃないか、あんなに落ちてるんじゃ、明日には腐れちまうだろ!」
「ねぇ、あの果物食べていい?」
「草、刈ってってもいいか? 飼葉にしたいんだ」
とにかくどこからかこの離宮の様子を知ったらしい。籠を背負って何人かで連れ立って来る者、断っても居座って動かない者もいた。
「とにかく、判断しかねるので、帰ってくれー!」
と、アーサーが叫んだ時、グイドが外に出てきた。アーサー同様、グイドも見た目が酷い有様で、騎士や魔術師団長補佐官と名乗っても、まったく相手にされないくたびれ具合だ。
しかし、外に出てきたグイドは不敵な笑みを浮かべていて「ふっふっふ」などと低く笑っている。
グイド殿、何か良からぬことを……止めなければ!
とアーサーがグイドに寄ろうとしたとき、グイドが先手を打った。
「みんな、聞いてくれ! 水も果実も今日のところは好きなだけ持って行って構わないぞ! お嬢様が許可を下さった!」
一同は沸き立った。アーサーは「何を言い出すんですか!」と叫びだしそうになった。
「本当か!?」
「やった! 粘った甲斐があったな!」
「これで子どもに食べさせてやれるよ」
「ありがとうよ! お嬢様とやらに感謝を!」
細工街の住人はそう口々に喜び合った。中にはグイドに握手を求める程の感激ぶりだった。そして好きなだけ持って帰れる、と興奮する人々にグイドはこう続けた。
「今日のところは、だ! もし明日、またここから水や果物を持っていきたいのならば、ここで働いてもらいたい。明日からは報酬として好きなだけ持っていけばいいさ」
途端にしん、と静かになった人々はお互い顔を合わせて不安そうにつぶやいた。
「……働くって、何をさせられるんだ?」
「確かに今は街にいたって仕事はないが……」
「なにかまずいことさせられるんじゃ……」
その中の少し大柄な男が代表して声を上げた。
「何をすればいいんだ?」
「ここはうちのお嬢様の別荘があったんだが、先日の地鳴りで建物が壊れちまった。でもその折、お嬢様が体調を崩してしまって、この小さい建物の中で今も養生してるんだ。しかし、ここには台所もなければ便所もない。お嬢様はお困りだ。だから、皆の力でこの建物に最低限暮らせる設備を増築して欲しい。報酬は、さっき言ったが、水と果物だ。好きなだけ持ってっていい!」
グイドは目を見張る人々をぐるりと見回した。いかにも真面目そうに。
早い時間からずっとねばって居座った男が「そのお嬢様ってのは、昼にいた、キツそうな姉ちゃんのことか?」と気まずそうに聞いた。
「いや、10歳にならない小さなお嬢様だ」
とグイドはわざとらしく沈んだ声で言った。彼はメルの年を知らない。
母親らしき女性たちや、年老いた者たちが同情のため息と眼差しをグイドに向け始め「可哀想に」と誰かが呟くと、「何とかならないか」と皆がしゃべりだした。
「まぁ、いい。何度も言うが、今日のところは好きなだけ持って行ってくれ! 病床のお嬢様が、皆のことを心配して好きなだけとおっしゃったんだ! さぁ、行ってくれー」
グイドが「散った散ったー」と解散を促すと、まずは子どもたちが走りだし、次いで大人たちもそれぞれ離れて行った。なかには「お嬢様にお大事にと伝えておくれ」という人もいた。
アーサーは一瞬めまいがして、額に手を当てて天を仰いだ。
◆
「いやー、自分でもあんなにしゃべれるとは思わなかったよー。頑張って皆に話して、欲しいもの持ってってもらったからねー」
「皆、喜んでたの?」
「もー子どもたちなんて一目散で果物拾ってたよー」
私はグイドさんと牢を出て外にいた。もうすっかり夜だ。
ほんの少しの量を放出するから、そこまで周囲に影響はないってグイドさんは言うけれど、昼間だと人の目があるから……ということで、月の光の差さない森の中を私とグイドさんとロズで歩いている。
私のいる牢はほとんど森に囲まれている。建物があった場所の周りは今草で覆われているけれど、背の低い芝に整えられていたそうだ。そしてここは、街道や街から見えないように森から少し入ったところにあるらしい。
昨日ルークが──私が起きる前にエイダと出てしまったから会えなかったけれど──森に危険な動物や場所がないか探索してくれたそうだ。湧き出た水や果物を求めて、動物が寄ってくることはありそうだけれど、この森は特に危険はないらしい。そう、グイドさんは説明してくれて、私たちは新しくできた湖の周りを森の奥の方に向かって歩いた。
湖の中にも木がたくさんあって、不思議な感じがする。
「さて、このへんでいいかなー。ロズ、ちょっと離れてて」
グイドさんはそう言って、私の手を取った。
「お嬢ちゃん、さっき紙に書いた言葉覚えてる?」
「う、うん。たぶん大丈夫」
「そう、じゃあ、跪きながらあれ言ってね。俺が手離したら終わりにするから」
グイドさんは「よいしょ」と片膝で跪くと「ほら」と私にも跪くよう促した。グイドさんは私の準備ができたのを確かめると、右の人差し指を上に向けて何か書くようなしぐさをした。そして「せーの」と静かに言った。
リヴァス ヴノー リュネー ソーヤ
その御手から分け与えられし力を その御手に
溢れる余剰を その御手に 解き放たむ
私達は声をそろえて唱えた。
すると、私のお腹からあったかい熱のようなものが動いて、繋いでる右手の方に、そしてグイドさんの体から人差し指を通って外に出たのが見えた。それは白い光の塊で、外に出ると細い雨のように私たちの周囲に降り注いだ。
その光が地面にしみ込むと、むずむずとそこの土が揺れて草が伸びたり新しい芽が出たり、樹が果実を実らせたりした。特に目を引いたのは、湖の岸沿いに白い花が咲き乱れたこと。
私は、初めての魔力放出の周りの変化に驚き、ぼんやりして景色を見ることに夢中になってしまった。暗いので、魔力の光が消えた後は見えづらくなってしまったけれど、グイドさんに声をかけられるまで一人跪いたままだった。
「お嬢ちゃん、大丈夫? クラクラしない?」
「あ……大丈夫みたい」
「そう、じゃあ、帰ろうか。暗いから、また明日見に来ようね」
と、グイドさんは優しく手を差し出して立たせてくれた。
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