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父と息子  作者: 社聖都子
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父と息子5

そんな時期が3年くらいはあったかな。当時萩野さんは30くらいだったはずだ。私が35くらいだ。で、3年くらいして、萩野さんが結婚することになった。私ももちろん出席したし挨拶もした。ご主人と会ったが、あまり良い印象じゃないのは確かだった。しっかりと挨拶ができない人だった。萩野さんが、ほら!ちゃんとしてよ!私の上司だよ!と言ってご主人がぺこりと頭を下げたのが印象に残っている。」

齊藤さんはここまで喋るとお茶を啜った。おれは、母さんはおれの父親が齊藤さんであることに確信を持っていたということが分かった。

「私はバカだった。萩野さんが結婚して幸せな生活をしていると思い込んでいた。結婚後も、早く帰らなくていいの?とか言うようになっていた。もちろん気遣ってのことだが、彼女には無用だった。一緒に帰るときも今まで通り自分ののろけ話をしていた。

ある時、萩野さんから相談があると言われ、飲みに誘われた。仕事のことだろうと思って行ったが、彼女はなかなか相談を切り出さなくて、またいつものように私はのろけ話をしていた。そうしたら、彼女も「良いですね。」と言ったんだ。だから私は、「そうなんだよー。」と被せるように言った。だが彼女は「奥様、良いですね。齊藤さんのような方に愛されて、奥様良いですね。」と続けたんだ。私が異変に気付いた時、彼女は号泣していた。

それから幾度かの相談を受けた。ご主人が働かないのは以前からだが、改善しないこと。徐々に怒りっぽくなって時に暴力をふるうこと。よく酒を飲むようになったこと。ギャンブルに手を出し始めたこと。そして、帰ると愛情を感じられないSEXが待っていて、自分は性欲処理の道具なんじゃないかと思っていること。こんな男の遺伝子を残したくないと思い、こっそりピルを服用していると言っていた。そのせいで自分の体調も少しずつ崩れてきているとも、言っていた。」

齊藤さんの目には涙が溜まっていた。母さんはおれが泣くと男の子が涙を見せるもんじゃありませんと言っていた。きっと齊藤さんが涙を見せるというのはとても、とても特別な感情なのだと思ながら齊藤さんの話の続きを待った。

「一方、私は今の生活に満足していた。ただ一点、ほんの少しばかり子供が欲しかった。女性が子供を産むためには激しい痛みを伴う。私は妻にそんな思いをして欲しくなかった。私が若い頃、結婚したてで妻がまだ手術をしていなかった頃はそう思っていた。だが、隣の芝生は青く見えるではないが、妻が子供を産めない体になってから、なぜか時々子供が欲しいというか自分のDNAを世の中に残したいという欲求に駆られるようになった。そしてその思いは何故か、萩野さんからご主人に関する相談を受けているときに増すんだ。」

一瞬間を開けて、

「私の罪はこの思いを萩野さんに伝えてしまったことだ。」

齊藤さんはそう言うとさらに間を開けた。おれは静かに話の続きを待った。

「私の思いは萩野さんを更に苦しめた。彼女はピルを服用するのをやめてしまったんだ。それをしばらく経ってから告白された。主人の子を宿すんじゃないかと恐怖で気が気じゃない、と。その話を聞いた時に、何故ピルを飲むのをやめたんだなどとは言えなかった。萩野さんはあなたの子を産むためだとは決して言わなかった。だが、ピルをやめた理由が自分の体調を戻すためだとは到底思えなかった。彼女の体調と言うか少なくともメンタル状態は、ピルの服用をやめて更に悪くなったからだ。当然だが彼女は仕事の業績も悪くなり、昇給しなくなった。社内でのマリッジブルーかうつ病なのではないかという噂が彼女を更に苦しめた。彼女は結婚から二年後に離婚している。彼女はピルの服用をやめてから3,4か月、私に相談を続けた。その前から含めたら1年半くらいだ。彼女からピルの服用はやめましたという話を聞いてから3か月くらい経って、さすがに私も気づいた。彼女の相談が特定のサイクルでしか来ないことに。ピルを服用していた時はそんなに定期的じゃなく、ご主人の暴力が酷かった翌日に限った話だった。相談から次の相談までの期間は長いこともあれば短いこともあった。だが、服用をやめてからはおおよそ1か月周期になった。私は彼女の気持ちと覚悟に感謝した。そうして私たちは一夜だけの不倫をしたんだ。SEXの後、彼女が、「こんなに愛してもらったのは初めてかもしれません。とても幸せです。」と言っていたのは今でも忘れられない。そして彼女は妊娠した。

遼輔君は以前私に、君が本当に幼い時に両親が離婚した。と言っていたね。実際その通りなんだが、経緯は少し違う。彼女が妊娠すると、ご主人は失踪した。彼女は私にそれを相談し、私は降ろしてくれと頼んだ。一人で子育ては無理だろう、と。無責任極まりない話だ。彼女は、あの男と一緒に育てるより、一人で育てる方がまだ楽だ。と言っていた。彼女は一度たりとも、離婚して私と一緒に育ててくれとは言わなかった。また、私が無責任なことをして申し訳ないと言うと、自分が望んだことだと主張した。彼女は君を産んだ。それから離婚届を出した。君を私生児にしないため、ご主人との子供として届け出た後に離婚届けを出したんだ。それから、2年が経過し、ご主人が失踪している状況から民事的に認められ離婚が成立した。つまり君は本当に幼い時でさえ一度も父親の顔というのは見ていないんだ。君が父親の葬儀に参列したと言っていたのには驚いた。萩野さんがご主人のその後の居場所について知っていたことを私は知らなかった。

彼女が君を産んだ時、私は出産には立ち会っていないが、その週末にお見舞いに行った。彼女はあなたの子ですとは決して言わなかったが、彼女の表情を見て私の子なんだろうと思った。彼女自身が何を見て確信したのかは分からなかったが、彼女の態度はご主人の子を産みたくないと不安を口にしていた時とは明らかに違う、幸せそうな落ち着き方だった。

君が7歳のとき、私は妻を失った。最初の癌が発症してから幾度も転移したのに、10年以上経っていた。よく頑張ってくれた。私は二度彼女に打診をしている。一度目は生活費を援助させてほしいという打診。その時の彼女の静かな怒りは今に至るまで片時も忘れたことはない。あんなにも不満をあらわにされたことは後にも先にも一度もない。二度目の打診はプロポーズをした。だがその時は丁重にお断りされた。

本来私には、君の父親役をしていい権利など絶対にない。そう思っている。そんな幸せな役を私だけが享受していいわけがない。私は自分のエゴのために君と君のお母さんの人生を変えてしまった人間だ。それを隠し君と接していた人間だ。君に恨まれこそすれど、尊敬を集めていいような間柄ではない。

私は君が望むなら、もちろん父親の役は喜んでやらせてもらいたい。ただ、君はこの話を聞いたうえでもう一度判断する機会を与えられるべきだ。どうするかよく考えて、」

齊藤さんがそう言った時点で、おれは手のひらを開いて齊藤さんの前に向けた。

「齊藤さん。私の父親が誰であるかは問題ではありません。私の母親は一人です。齊藤さんの話では母さんは決定的なことを言ってない。そのうえで、私は母さんから齊藤さんへの恨み言を一度も聞いたことがありません。むしろ尊敬する上司の話を何回か聞いたことがあります。たぶん齊藤さんのことです。母さんはきっと、私が齊藤さんに父親役をやってもらうという判断をしたことを喜んでいます。だから、お願いします。」

おれがそう言うと、齊藤さんの目から涙が零れ落ちた。

もしおれが女だったらどう感じたか分からない。でもおれは男として、許される許されないは別にして齊藤さんの当時の感情や話に全く共感できないとは思わなかった。どこか仕方ないというか、部分部分なんとなくわかるというか、そんな印象を受けた。

そしてそれより母さんがすごいと思った。きっと尊敬していただけじゃなく、多分もっと前から齊藤さんのことを愛していたんだ。母さんは。ずっと一緒に二人だけで暮らしてきたからこそわかる。たぶん、結婚前に齊藤さんののろけ話を聞いていた時から、母さんは齊藤さんに惹かれていた。そして、結婚、出産、育児、齊藤さんの奥さんとの死別。立場を変えても最後まで齊藤さんに奥様への操を立て続けさせた選択。意地なのか誇りなのか分からないが、本当に尊敬できる。


不倫が良いことか悪いことか。そんなのは言うまでもない。悪いことだ。誰かの不幸の上に成り立つ幸せが認められてよいとは思わない。

でも、当事者の一人としておれは言いたい。

美しい不倫。という言葉があってもいいんじゃないか、と。

完結です。

お付き合いいただきありがとうございました!

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