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父と息子  作者: 社聖都子
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父と息子4

1軒目を出るとそこで三好さんとは分かれ、おれは齊藤さんの社用車に乗り込んだ。乗ると齊藤さんは「あらきへ」とだけ運転手さんに伝えた。運転手さんは「承知しました。」と答えたあと少しおいて、「珍しいですね。」と言った。齊藤さんは、「あぁ、大事な話なんだ。」とだけ答えた。あまりの緊張感におれは入社したときのようにカチコチに固まり、どこを走っているのかも全く見当つかず2軒目に着くまで頭の中は真っ白だった。

「遼輔君。ここだ。」

齊藤さんに声をかけられ、我に返ると車はお店前についているようだった。とんでもなく大きな料亭だった。

「行こうか。」

そう言うと前を歩いていく齊藤さん。おれは一人取り残されてはこんなところに入る勇気さえ出ないと、つかず離れずぴったりと後ろを歩いた。和風の門をくぐり石畳の両脇を雰囲気のある松の木が囲った道を抜けると、建物のが見えた。玄関の前に女性が一人立っている。

「いらっしゃいませ、齊藤様。」

女性は深々とお辞儀した。

「ご無沙汰してしまいすみません。突然で申し訳ないのですが、今日はどこか空いてますか?」

齊藤さんは丁寧に女性に尋ねた。もはや齊藤さんのただずまいが自分の知ってる人と別人のようにさえ感じた。何かオーラが出ている。

「はい、樫のお部屋が開いております。いかがでしょうか。」

女性はすぐに答えた。

「お願いします。」

齊藤さんがそう言うと、女性は物静かに頷き先導した。女性が扉を開けるとカラカラととても品のいい音が鳴り響いた。玄関で靴を脱ぐと、スリッパのようなそうではないような謎の中履きを履き、廊下を歩いた。スリッパのようにつっかけるわけではなく、靴のようにしっかり履くわけでもなく、下駄のようにまげおがついているわけでもない。ただ、布のようなものの上に足を置くと、自然とそれがくっついて履き物になった。その状態で床に足を着くと、ふわりと少し浮いているような不思議な感覚に襲われた。廊下は非常に長く、その割にふすまの数が異常に少ない。その廊下をふわふわと歩いているだけで、緊張がさらに増してもう吐きそうだった。

「こちらにございます。」

我慢できないんじゃないかと思ったときに、女性から声がかかった。齊藤さんはどうやって脱いだのか、さっと、この不思議な履き物を脱いで女性が開けたふすまの中に入った。おれが何とかは着物を脱ごうとしていると、

「ふすまの前にお立ちいただくと自然に脱げますのでどうぞこちらへ。」

と女性が言った。そんな馬鹿な!!と思ったがそんなこと言う勇気があるはずもなく言われるがままに前に立ったが、履き物が脱げた気がしない。え?と思って足元を見ても脱げてはいない。だが女性は

「そのまま、お部屋の中にお進みください。」

と言う。なのでもう一歩足を出してみると、履き物が廊下に張り付いているのか、すっと、足から離れた。ふすまの中の畳に足を着くとあのふわふわ感がなかった。そのままもう片方の足も歩いてみるとまた、すっと、履き物が脱げた。不思議なものが存在するものだと思いながら中へと進んだ。

「それではごゆるりと。何かございましたらいつでもお申し付けください。」

そう言うと女性はふすまを閉め自分は廊下へと出て言った。

「かけて。」

齊藤さんが手短にそう言い、おれは入り口側の座椅子に座った。座った瞬間、この座椅子いくらするんだよと思った。信じられないフィット感だった。そう思いながら、前を向くと明らかに齊藤さんも緊張している面持ちになっている。座椅子のフィット感と同じくらい信じられなかった。この人、こんな顔するのか。そう思った。

「こんな形になろうとは思ってみなかったが、んー、そうだな。」

齊藤さんが言葉を切った。あまりの緊張感におれの方が唾を飲んだ。

「遼輔君は、社内でこんなうわさを聞いたことがあるか?私、齊藤と君のお母さん、萩野さんが恋仲にある、と言う噂だ。」

首を横に振った。何を言い出したのかと思った。

「そうか。噂にはなっていない。つまり今この瞬間まで誰にもばれていないと言っていいのだろう。」

齊藤さんは確かにそう言った。「ばれていない」と。ということはつまり。

「20年以上前の話とはいえ、現副社長と元部長の話だ。外に出れば非常にスキャンダラスだし、株価やにも影響が大きいだろう。それに私はもちろんだが、萩野さんも社内では有名なよくできる社員だった。社内での影響も大きいだろう。」

そう言うと齊藤さんはまっすぐにおれの目を見た。

「20年以上前、私と萩野さん、お母さんは確かに不倫関係にあった。だが私はそのことを少しも恥じることはないし今も誇りに思っている。ただ、その関係は社会的に不適切で表に出すべきではないことだと思っている。そして、遼輔君。君にも申し訳ないと思っている。」

つまり…。

「母の離婚の原因は齊藤さんなんですか?」

別に追及するつもりはなかった。でも自然と言葉尻が厳しくなっていた。

「いや、それは違う。萩野さんはばれていないと言っていた。原因は萩野さんのご主人がお酒におぼれたからだ。「ばれていない」方は萩野さんが私を思いやり嘘を言った可能性は0ではない。が、お酒に溺れるご主人の姿は確かに見ていたし、萩野さんは私に嘘をつくことはないと信じている。」

そう言われると、中学の時に母さんに連れられて行った父さんのお通夜で、母さんが父さんのご家族になじられるようなことはなかったし、むしろ父さんのご家族の方が済まなそうにしていたように思う。子供心に再婚してるんだから来るなよ、的な居心地の悪さなのかと思っていたが、父さんの方が酒におぼれて離婚したのであれば、それは納得できる雰囲気だったような気がする。が、いまさらそんな記憶は確かではない。それより…。

「では、なぜ私に申し訳ない、と。」

そっちが気になった。

「これは本当に、あくまで恐らくだ。だが、遼輔君。君は、私の子だ。」

その展開は予想していなかった。いや、と言うかむしろ予想できて当然だったのになぜか考えられていなかった。この状況で不倫状態にあったことを告白する理由として、当然の理由だった。

「父親のいない人生を送らせてしまったことを、心から申し訳ないと思っている。」

開いた口がふさがらなかった。尊敬する齊藤さんが、自分が働く会社の副社長が、自分に対して深々と頭を下げている。

「や…やめてください。あの。頭を、上げてください。」

そう言っても、齊藤さんが頭を上げることはなかった。しばらくそのまま時間が過ぎたが、

「当時の話を、聞かせてください。おれには…真実を知る権利が…あると思います。」

そう言ってしばらくすると、齊藤さんはようやく頭を上げた。

「私の妻は癌だった。萩野さんのことじゃない。私の妻の話だ。四度の手術を行い、子宮と卵巣を取り除いていた。だが、私たちは仲が良かった。萩野さんが、ご主人と結婚する前、私はのろけ話をよく萩野さんに聞かせていた。

その頃は、健全な、いや、その頃はというか、一度を除いては普通の上司と部下の関係だった。もちろん、仲の良い部類ではあった、と思っているというか萩野さんもそう思ってくれていたことは間違いない。でも一線を越える関係ではなかった。

帰宅時間が重なったときや、飲みに行ったときなどに、よく私は私たち夫婦の話をした。萩野さんは奥さんに愛されて幸せですね。と言っていた。その通りだった。私の方は幸せな夫婦生活ののろけ話だったが、彼女の話は単純に幸せな話ではなく、彼氏は働いていなくて主夫なんですよ、という話だった。彼女は彼を愛していたが、でも不満がないわけではない、そういう関係だった。これはまだ遼輔君が生まれる前の話だ。

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