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辺獄の空中庭園  作者: くりふぉと
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第14話 ドヘルゲンガー

 決別だ。頭の中の混乱をやっと振り切れた。

 俺はここで月白を倒す。

 それをしない限り、この先に進めないのだ。


 なんとなく。

 なんとなくそんな予感はしていた。


 目の前の彼女に変化が生じている。

 それは、心のありようではなく……直接的な外見の変化。


「──!」


 並大抵のことでは動じなくなったはずだ。

 しかし、悪寒が事実、背中に走っている。


 手首から体の中心部に向かって纏われているそのドレスの黒は、無機質な白に。


 透き通るような彼女の肌の白は、胸元から外側に向かって徐々に黒い何かに侵食されていく。


 色の反転。

 そして同時進行で月白の足元から黒い液体が漏れ出す。

 墨汁を水に垂らしたかの如く、マーブル状にその黒は空間に溶け込み、拡がっていく。


 それが部屋の隅に到達すると、今度は天井に向かって上を登るように巨大なガラス窓の部分をも黒く染めていく。


 床が、壁が黒一面に閉じ込められた隔絶世界。


 完全な闇とは異なる。

 視界は闇で覆われているはずが、月白の姿だけははっきりと捉えることができる。

 通常の概念では説明ができない状態だ。


 彼女の首元、そして顔が黒に侵食され──真っ黒に染まる。

 ぞく、と背中を悪寒が走る。

 純粋なホラー。これが今の状態を表すのに適切かもしれない。


 その顔のパーツである黒い平面から2つ。

 まんまるの赤い目が見開く。


 その瞳がこちらを真っすぐ捉えていることに、疑いの余地はない。


 残された隙間をも、黒に押しつぶされる中、彼女は歩き出す。

 こちらの動揺を気にも留めることなく、ゆっくりと。


 何だろう。

 彼女の動作を視界におさめるだけで。


 くらっと、意識がブレたような──。

 何をされた?……いや、目眩……か?


 何故そうなったのかをすぐに理解する。


 彼女が足を歩ませ、移動する度、彼女が存在していた位置に、その輪郭をかたどった残像が生じていく。


 それを構成するのは黒の空間におぞましいほど目立っている光の粒。

 それがギラギラと輝く影響のためか、感覚を狂わせる……!


 その神秘性あふれる有様は見惚れてしまいそうだ。


 こんな状況でなければ、だけど。


 意思のなくなった人形のように、対話不可能キャラです、と言わんばかりに無言でこちらに足を運び、迫る。


 直進、から右斜めに進路方向を変えたかと思うと──また最短距離を選択してくる。

 得体の知れない感MAXの相手に、自分は何ができるのか──?!


 無論。

 ただ正気だった頃の彼女から譲り受けた西洋剣を振ること。

 塔の回廊を歩むさなかで、自分に語り掛けてくれた言葉を思い出す。


 その脅威の接近速度は、歩くスピードのそれ以上でもそれ以下でもない。が。


「!!?」


 その間合いを急速に詰められる。


 即ち、互いの間合いに入る瞬間。

 月白の体勢に、変化が加わると認識させる余地を与えずのダッシュ。


 幾多ものの影、ブツを刎ね続けてきた西洋剣は、例外なく一閃する動きを魅せる。


「────っ!」


 影……ではなく生身の肉片を吹き飛ばす威力だった。

 その不意打ちを予め予測していなければ、自分が身を以て体感していた。


「やっぱり、本気……かよ」


 少しでも油断をしていれば肉と血をぶちまけ、この黒い空間に文字通り永遠に放置されるのではないか、という恐ろしい懸念が生まれる。


 もし、死んだ場合……意識そのものは残るのか?


 残った場合、月白のように【永劫回帰】を強制させられるのではないか?

 ──その恐怖に打ち勝つよう、剣を握る力をこめる。


 この不意打ちを妨げることができたのは、この塔に於いて、立ちふさがる敵が階を上がるたびに予測不可能な攻撃を仕掛けてくることに対する学習の賜物。


 そして己への危機回避本能の刺激に依るもの。


 でも、彼女の言葉無しには何もすることが出来なかった。


 しかし。ここまで一緒に行動を共にした月白が、49階のラスボスだなんて。

 彼女が最初から、そういう役割を持たされていたなんて……悲しい。酷く。


 誰がこんな配役を与えたのだろう。


 月白……


 剣と剣がせめぎ合う。

 キンキィン、と金属音を鳴らした後、間合いを取る。


 守るだけで勝ち目はない。

 こちらから攻めなければいけない──のにショックともいえる感情的変化が、その判断を奪う。鈍らせる。


 早く、攻略法を見出さなければ。

 彼女は再びこちらに向かってくる。


「ま……」


 まただ。

 間合いに入る前に、先ほどの高速接近。


 自分が限りなく体感速度を遅らせなければ、彼女がワープをしたように錯覚するのだろう。


 そのままぶつかる──かと思えば、足の運びを緩め、斜めに進路をそらす。


 正面以外の彼女の移動には、意識をにぶらせる残像の粒子が視界に刻まれる。


「──ぐ」


 ダッシュのフェイントによって身体が一瞬、硬直させられたことと、その残像効果が意識を殺しにかかるダメージになる。


 気を抜き……気づいたら敗北、なんてことにもなりかねない。


 彼女のその無接触の攻撃は、何かこう、現実としての認識を曖昧にさせる。


 残像、スピードの緩急。体内の時間間隔に狂いを生じさせるよう。

 自分の意識が感じている全てが偽物ではないのか? という錯覚。


 その錯覚すら疑わなくなった時、どうなってしまうのだろう。

 はたから見たら、微動だにしないフリーズ。

 己の外の事象に対し、どう反応を取るべきか分からなく追い込まれた状態。


 意識上の、疑似的な死。


 それに乗ってはいけない。

 ”ここでやられてしまってもいいか──”という甘い感覚に抗う。


 緩急を付けた足運びで接近した彼女は再び、斬撃を繰り出す。

 互いの体がすれ違うように、それを躱す。


 彼女の行方を確認しなければ。

 数秒ごとに、彼女の分身はコマ送りのように消えていくものだ。

 彼女自体の後ろに、5……いや今消えて4体の分身の周囲がギラギラと残る。


 その4体目ももうすぐ消える────


 消える?


 そのあと取れた反応は、”嘘だろ”という心の呟き。

 唇を動かす間すら許されない。


 その消えるはずの分身の4体目が、意思を持ったように動き出し、剣を振るった──?!


 おいおい。

 こんなの反応出来るか……!


「はぁっ……」


 息が苦しい。


 剣撃はかろうじてずらさせ、肉の切断は避けられた。

 が、代償を支払わさせられる。


 足元を崩した────


「────あ」


 突進。

 彼女の上半身が肩から強襲。


 正面のラリアットから、まっすぐに後方へ浮かされているのか。

 殺人的な膂力……!


「ぐはっ」


 嫌な音がした。

 背中を強打し、口から血を思い切り吐く。


 まだ終わらない。


 嫌だ。死にたくない。


「月白、ま────」


 口内に広がる、血の味。

 その気持ち悪さすら気にならないほどの、切羽詰まった状況だからこそ、苦しいながらも声を絞り出す。


 待って、と言いたかった。

 だって、本当にそれ以上やったら死んじゃうでしょ。


 死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。


 ……情けない。

 死を回避したところで、自分は何かやりたいことなんてあったか────?


「ぶ────」


 顔面を押さえつける、その黒い手は、口を抑えるには十分。

 何をするつもりだろう。


 でも、あれだ。

 詰みだ。


「はははははははは……」


 口を押さえつけられているのに、なぜ笑える?


 答えは分かっている。

 心の中での笑いが響く。

 自分の知覚能力まで可笑しくなっているのか。


 では、この状況下で何故笑ってしまうのだろう?


 ---


 相手に見下されず、見下す必要がなく、精神的に対等な関係を結べる人をやっと、やっと見つけられたと思ったのに。


 このくそみたいな人生と向き合い、何か変われそうだったのに。


 異世界に迷い込み、神秘な体験をし……何か掴めそうなのに。


 まるで物語の主人公になったかのような気分になれたのに。


 何、だ。


 ああ。黒い何か。影と呼んだもの。

 この際どうでもいい。


 黒い影が泥のように己を侵食していく。

 手足、胴、胸、首、頰……残すは片目。


 その泥は最後に、視界をも遮ろうとする。

 ”もう一人の自分”が自分の敵になり、自己の存在すら許さない、なんて。


 ああ、そうか。

 それが己を憎み、死にたいと思い続けたやつの、物語の結末────


「……か」


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