08 魔女
シロノはゆっくり目を開いた。
薄暗い通りにいたはずが、何故かよそ様の台所に立っていた。
背後にあるはずの壁はなく、食器棚があるだけだ。
試しに触ってみるが、硬い感触が返ってくる。
シロノは食器棚からレムが飛び出てくるのを待つことにした。
「……」
コチ、コチ。
コチ、コチ。
「あの子なら来ないわよ」
「わ」
びっくりして振り返ると、白い半袖に青いスカートを履いた女の子が立っていた。
「はじめまして。私はマリン」
女の子、マリンはスカートの端を持ってぺこりと頭を下げた。
腰まで伸びた髪がサラリと流れる。
「ボクはシロノ。突然お邪魔してごめんね。それで、なんでレムは来ないの?」
「あの子は別のところに飛ばしたわ。途中までは上手くエスコートできたけど、最後に悪戯したお仕置きね」
飛ばした、お仕置き。
やや不穏な言葉に、シロノは急いで知識を探った。
(う?)
ミハエルの時のように、見たこともない光景が広がる。
平たい帽子をかぶった大勢の人と、全員に見られている、大きな帽子を被った子供。
子供は脚立の上で細長い棒を持ち、何やら話しているようだ。
「先輩。姫ちゃん先生って実際何歳なんですか? 30は超えてますよね」という声。
視界がひっくり返り、周りの人が笑う。
「レディーの年を調べるなんて、お仕置きよ」
視界が台所に戻る。
マリンが唇に指を当ててシロノの顔を見ていた。
「ふむふむ。見たところ極度の疲労みたいね。ホムンクルスは体力ないんだから、無理はダメよ?」
マリンは手のひらを上に向ける。
そこへポトンと小瓶が降ってきた。
「飲みなさい。滋養回復の効果があるわ」
「あ、ありがとうございます」
小瓶を受け取り、こくんと一飲み。
「……おいしい」
「ふふ。お口に合ったかしら」
「はい……わ。お腹がぽかぽかしてきた」
「本当は客間に案内したいんだけど、シロノには休憩が必要ね」
マリンは一歩下がった。
今度は脚立が降ってくる。
「あ」
「どうかした? ちょっと下がって」
シロノが後ろに下がると丸椅子が降ってきた。
2人は座り、話を続ける。
「こんなになるまで酷使するなんて、あなたのご主人様は何考えてるのかしら」
「契約で詳しくは言えないですけど、あの人はボクに自分自身が主人だ、好きに生きろって言いました」
「そうだったの……。良いご主人様だった?」
「いえ。目が覚めたらいきなり出でけでした」
「ちょっと詳しく教えてくれる?」
顔は笑っているのに、逆らえない妙な迫力を感じる。
シロノは昨日目覚めたこと、魔力が低いせいで服と10万ジーだけ渡されて追い出されたこと、冒険者をやっていて今朝はオークを狩ったことを話した。
マリンの髪がふわりと広がる。
「かなり腹が立つわね、そいつ。たぶん国の研究所の魔法使いね。悔しいけど、うかつに手が出せないわ。そうじゃなかったら今すぐ生き埋めにしてやるのに」
マリンはシロノの手をぎゅっと握ってきた。
「いい、シロノ。そいつに近づいちゃダメよ。ホムンクルスは魔法使いの良きパートナーなの。それでなくても生まれたばかりの子を放り出すなんて信じられないわ」
「は、はい。分かりました」
「素直でよろしい」
マリンは脚立を使い、シロノの頭を撫でる。
「私は薬を作るのが得意だけれど、ホムンクルスのこともよく知っているわ。体に違和感を感じたらすぐいらっしゃい」
「ありがとうございます。マリンさん」
シロノは頭を下げた。
顔を上げると、何故かマリンの迫力のある笑顔があった。
「ところで、さっきから気になっているのだけど、どうして私にはその口調なの? レムにはもっと砕けた口調だったじゃない。見た目の年齢は私とレムは大して変わらないわよね?」
さっき見た光景のせいで、シロノはマリンは少なくとも20歳以上は生きていると想像していた。
マリンの食い下がり方から、本当はもっと上なのかもと思わずにはいられないが。
「そりゃね? あなたからしたら年上でしょうけど。私は薬で若さを保ってるから実際若いわけで。何年生きてるとか関係ないのよ。そう、言うなれば永遠の12歳」
「マ、マリンさん?」
「それ」
「え?」
「私も呼び捨てにしなさい。見た目はあなたの方が年上なんだから。口調もレムと同じにすること」
「わ、わかったよマリン。これでいい?」
「大変よろしい」
マリンを年下扱いする。
かなり違和感を感じるが、逆らうと怖いので素直に従うことにするシロノだった。