38 お屋敷
「おはようございますニャン!」
朝、ドアを開けると貴族の屋敷で働いていそうな若い娘が立っていた。
黒い長袖とスカートの上に、白のエプロンを着ている。
頭にはヒラヒラした布でできたプリム。
その上から突き出るのは猫のような耳。
娘の表情は元気一杯。
礼をする時にこれでもかと強調される大きな胸部がシロノはちょっと羨ましかった。
「えっと、どちら様ですか?」
「リブ様のお世話をするために遣わされた、ニャウと言いますニャン」
シロノはリブを呼ぶ。
目を擦りながらネグリジェ姿のリブがやって来た。
「リブ様ですね! これから身の回りのお世話をすることになる、ニャウと言いますニャン。料理は得意なので期待して欲しいですニャン」
「んあ……? ああ、大方シダが寄こしたんだろう。確かに手応えはあったんだがな。ゴーレムの方だったのか?」
「1号様は右目と顔をちょっと怪我したそうですニャン。すぐ直るそうなのでひとまず安心ですニャン」
「そうか。悪いがお前を雇う余裕は私にはない。シダの所に戻るんだな」
「シダ様からお給金を貰うことになっているので、リブ様の手を煩わせることはないですニャン」
既に一軒家を手配しており、馬車の用意もしているとのこと。
朝食も作っているところだし、是非招待したいとニャウは言う。
今までの悪戯の侘びならと、リブは承諾して招かれることにした。
馬車に揺られて十数分。
一行はフロワ家の隣の屋敷にやって来た。
立派な門を前にして、リブとシロノは「おー」と感嘆の声を上げる。
「シダは貴族になっていたのか?」
「没落した家を買い取っただけらしいニャン。ささ、他の使用人を紹介するから中に入るニャン」
鉄柵状の門の鍵を開けるニャウ。
「門番さんはいないの?」
「後で結界を張ればいいだろう。私達は貴族じゃないんだ。体面を取り繕う必要もあるまい」
庭を通り、大きな扉をノックする。
扉がゆっくりと開かれていく。
まだ朝で、天気も曇りのせいか屋敷の中は薄暗い。
そんな中、使用人達の目だけが光っていた。
「みんな、リブ様とシロノ様をお連れしたニャン。あと怖いから灯りをつけるニャン」
「これはリブ様、失礼しました」
侍女の1人がお辞儀をする。
天井のシャンデリアが光り、玄関の大広間は明るくなった。
お辞儀をした侍女が1歩前に出る。
ニャウに良く似た、少し垂れ目の女性で、一部分が二回りも大きい。
「長女のミャウと言います。侍女長を勤めさせて頂きます」
隣の侍女も前に出る。
ニャウより少し背の低い少女。
年の割りに大きく、末恐ろしいなとシロノは思う。
「3女のプニです。お洗濯とかお掃除とか頑張ります!」
最後に、きちっとした服を着た10歳くらいの男の子が前に出る。
「執事を任されました長男で末っ子のニャベルです。至らない身ですが誠心誠意お仕えさせて頂きます」
「うむ。私はリブ。こう見えても100年以上生きている魔法使いだ。シダとは兄弟弟子の間柄だな。今はただの冒険者だ。よろしく頼む」
「次はボクの番かな。ボクはシロノ。生まれて1週間くらいのホムンクルスでリブがマスター。で、この子は使い魔のナナ」
シロノは腰に巻きついている白い鎖をポンと叩いた。
ジャランとナナは震える。
「それで、護衛のミラルダ……あれ?」
ミラルダの姿はなかった。
「お仲間がいらっしゃったのかニャン? ニャベルに後で呼びに行かせるニャン」
「執事の仕事じゃないけど、人手不足だから仕方ないね。リブ様とシロノ様は朝食はお済みですか?」
「いや、まだだ」
「それでは食堂にご案内しますね」
食堂の中央には10人以上座れそうな長いテーブルが鎮座していた。
リブは一番奥の席に、シロノは隣に案内される。
リブは立ち上がると、シロノの向かい側の席に座る。
「まだ遠いな。あーんはできんか」
「このテーブルおっきいからね。隣にくる?」
「そうするか」
椅子を持ち上げてシロノの横に行こうとするリブを、ニャベルが慌ててたしなめようとする。
「リブ様、それはあまり行儀の良いことではないかと」
「客がいる時はちゃんとするから安心しろ」
リブは椅子を置くと、シロノの膝にちょこんと座った。
慣れたもので、シロノはリブを抱き寄せ、よしよしと頭を撫で始める。
「覚えておけニャベル。家族のあり方は千差万別。客を遇する際に礼儀は必要だが、食事は楽しく美味しく食べる。これが私の方針だ。お前の主はマナーの教本ではない。幾つもの戦場を駆け抜け、魔神とまでうたわれた魔法使いと、その従者だ」
「あ、威厳がなくなるから撫でない方が良かった?」
「いや、それは続けてくれ」
「はーい」
ニャベルは深くお辞儀をして、無礼を謝罪した。
「これから精進すればいい。悪いがミラルダを呼んできてくれないか。寝ぼけて置いてきてしまったが、あいつはシロノの護衛でな」
「分かりました。すぐに行ってきます」
朝食が運ばれてくる。
目玉焼きとパン、サラダと野菜のスープだ。
「今日の予定はどうしよっか」
「ニャウ達次第だな。ミャウ、お前ら4人だけでこの屋敷を任せても大丈夫か?」
壁際に控えていたミャウは少し考え、首を横に振った。
「正直に申し上げますと、腕っ節に自信があるのはニャウだけです。私とプニは家事に便利な魔法が使える程度です」
「そうか……ミラルダが来たら屋敷の警備をさせて、私達は結界に必要な物を集める必要があるな」
「結界かぁ。先輩のお店に何かないかな」
「先輩? 先輩とはどういうことだ」
「リブには話してなかったっけ?」
シロノは魔銃の製作者、ミハエルのことを説明した。
魔法具店を営んでいるということで、まず覗いてみることで話がまとまる。
「ところで何故その男がシロノの先輩になるんだ? そいつもホムンクルスなのか?」
「あれは何だったんだろう。夢、かな。その時見た人が先輩って呼ばれてて、似てたからそう呼ぶようになっただけだね。何度かそういうことがあったんだけど、最近は見ないね」
「時折見える見覚えのない風景か。術式を見ないと確かなことは言えないが、恐らく知識を伝授する魔法の類だろう。その時、術者の記憶が混じることはよくあることらしい」
食事後のお茶を楽しんでいると、ニャベルとミラルダがやって来た。
ミラルダにこれからはこの屋敷を拠点にすること、今日は警備を任せたいことを話す。
ミラルダは快く承諾する。
シロノとリブはミハエルの店を訪れた。
相変わらず客はおらず、ミハエルが1人、暇そうにしていた。
心なしか痩せたように見える。
「おはよう、先輩」
「おはよう。また冷やかしに来たのか?」
「一応お客さんかな。あればだけど」
「何が欲しいんだ?」
「店主。屋敷一帯を覆う結界を張りたい。良さそうな結界石はないか。できれば地脈か大気からマナを吸い出す自動式がいい」
「持たせる機能によりますね。貴族様のご期待に沿うとなると、並大抵じゃなさそうですし」
「『妨害』と『索敵』だけでいい。他は裏をかかれるのが落ちだ」
「それならすぐ作れますよ。ご一緒に転移の指輪などいかがでしょうか」
ミハエルは宝石の嵌まった指輪を取り出した。
リブは指先から緑色の光を宝石に飛ばし、目を細めながら現れた文字を読む。
「これはお前が書いたのか?」
「はい。その通りです。3日に1回しか使えませんが、10メートル程は転移できる優れものです」
「緊急避難に使えるな。とりあえず7個貰おう」
「1つ20万ジーになります」
「ぼったくりすぎじゃないか? 屑魔石に指輪だけでせいぜい500ジーだ。細かい術式を魔石に込めた腕は大したものだが、ほとんど趣味の域でここまでする必要はない。シロノの紹介だから来てやったが、あまり舐めた商売するなら二度と来んぞ」
「な、なかなか利発そうなお嬢様で。しかし、こちらも生活がかかっておりまして、せめて2千は頂かないと」
「千と言いたいところだが、シロノが魔銃の件で世話になっている。それで手を打とう」
「ありがとうございます!」
シロノは色とりどりの魔石が嵌まった指輪を眺める。
残念ながら同じ色の指輪はなかった。
「先輩、お揃いにしたいんだけど、他にはないんですか?」
「悪い。それしかないんだ。近くの遺跡に行けば拾えるんだけど」
「リブ、せっかくだからお揃いにしようよ」
「それもそうだな。店主、その遺跡の場所を教えてくれ」
「なんでしたらご案内しましょうか?」
「いや、お前には結界石と残りの指輪を屋敷に届けて欲しい。結界も張れるなら張っておいてくれ」
「かしこまりました」




