第77話 九度目の侵攻
この時点で、怪物世界の方が人間世界よりも行き交う情報の量と種類は豊富であり、その速度も圧倒的に速かった。そのため人間世界では、勇者黒髪や怪物とのコネクションを持つ都市エローエの市民が最速で情報に接し、それに連なる人々が後に続く。庶王子による黒髪暗殺計画の失敗は、この頃ようやく、河向こうの王国へ伝えられていた。娘も息子も、伝説も、誰も信じるには足らず、という心境に到達した王はついに統治を投げてしまい、放蕩者のニヤケ面の男が王の代理としての地位を獲得していた。
「麻呂もついに位人臣を極めたな。生きるも死ぬも、人生ギャンブルギャンブル」
反社会的な人物がいきなり統治者の地位を得たという点では、都市エローエの統領とんがりと似ていたが、それに加えてニヤケ面の男は人格破綻者であった。とんがりには統治目標も政治理念もあったが、ニヤケ面には皆無である。故にその行いは乱脈を極め、彼の毒気によって宮廷は完全に麻痺した。つまり、借金の相談や闘争、貴族間を問わない詐欺的行為が横行し、何のことはない、グロッソ洞窟のカジノでニヤケ面が行なっていたことが王国の宮廷で行われるようになったのだ。
だが、ニヤケ面を通してグロッソ洞窟の金はこの王国にも流入している事実は動かない。人々が好景気の中にいたのも事実で、その為に王宮の腐敗にはみな目をつぶっていた。この頃、人々は噂をしていたものである。
「怪物の支配下に入れば、景気が良くなるらしいが、それは都市エローエだけではない、我が国もそうだよ」
「政治がだらしない王国だが確かに景気は良い方だ。が、怪物の支配下にはないぜ」
「あの宰相閣下だがね。その生活たるやひどいもんらしい。まさしく怪物的だよ」
ニアミスをしても気がつかない、という事はままあるものだが、目的を達して一路モストリアへ向かうリモス一行と、グロッソ洞窟へ帰還する魔王は、河向こうの王国の領内にて極めて接近していた。
魔王は姿形を隠したりはしない。この王国は今や彼の与国に等しいのだからそれも当然だが、今や街路を怪物が歩む事が珍しい風景では無くなっていたから、身を隠す必要もなかった。鎖帷子に銀のサーベルを腰に下げ、魔王を名乗るようになってからは漆黒のマントを羽織っている。このマント、裏地の色は真紅で、戦場ではこれが凛々しく目立った。
そんな魔王が側にいたのに、リモス一行は気がつかない。対してリモス一行はみな粗末な格好である。界面剥き出した粘液体にボロ布を巻きつけただけの猿、ニワトリとワシに至っては羽毛のみ。とんがりがいこつは目立たないよう布地の僧衣で白骨を隠すが、色黒伝道師は呪術的な帽子にアクセサリーで全身を飾っている。まさに異形の群れであった。
そんな連中が同じ通りを進んでいたのに、魔王は気がつかない。魔王だけでなく魔少女も気がつかなかったのだ。これは奇瑞であるが、理由もある。この王国から発生した激動に、誰もが驚いてしばし自失していたためだ。その激動とは、この王国の貴族たちによるグロッソ洞窟の攻撃であった。詳報を聞き、王国の領民たちは怪物に対する人間の久々の勝利に大いに沸いていた。この空気の中では、リモス一行だけでなく、魔王ですら迂闊に世間へ姿を現わす気にはなれなかったのだ。
経緯はこうである。魔王が河向こうの王国の要人にと送り込んだニヤケ面の男は、グロッソ洞窟のカジノにハマった事で魔王に自由を奪われていた経緯からも、王宮勤め宮廷暮らしの中、洞窟のカジノで感じた刺激を忘れる事ができなかった。ストレスが溜まっていたのだ。ではどうするか。凡百の者であればお忍びで洞窟に出かけもしようが、この恐るべき無頼者は王宮に裏カジノを設立するに至ったのである。
裏カジノはたちまち彼を取り巻く貴族たちの人気となり、どこまで行っても負け続けるニヤケ面の借財は加速度的に増え続けた。しかし、いくら借財が増えても、魔王からの資金援助がそれをすぐに埋めた。
そして、ギャンブルの形代は金ばかりとは限らない。不動産、妻子、命、勇気……そして、魔王の与国の関係者たちの間で噂として広まっていたリモス一行を追撃することなど。ニヤケ面はこのギャンブルに敗れた。求められたのは金ではなく、スリルである。ギャンブルの勝ち負けを形代に、不敵な笑みを浮かべた債権者たちに囲まれるニヤケ面には、為す術がなかったとも言える。酒も入っていた。
「宰相閣下、あなたの負けは負けだ。お勤めは果たしてもらいますよ」
川向こうの王国の貴族に追い立てられ、ニヤケ面の男を中心にリモス一党を追撃する運びとなる。しかし、リモスがどこに行ったのか、飲む打つ買うしかしない彼らにわかるはずもない。
「とりあえずグロッソ洞窟に行けばなんとかなるだろ」
行き当たりばったりは彼らの身上のようなものかもしれない。ひどいことにグロッソ洞窟から、一足遅く魔王からの命令でリモス追跡で出撃したモグラの部下率いる隊とニヤケ面は鉢合わせた。騎兵であるギャンブル貴族たちは少数でもなかなか強かったが、見境がなかった。殺しまくったのである。
「あっ、なんでお前が我々を襲うのだ!」
グロッソ洞窟から出撃したこの追撃隊は全滅した。モグラの死骸を前にして、
「ああくそ、やっちまった。なんということだ」
とニヤケ面は青くなるが、貴族たちは大いに気勢を上げた。
「見ろ、俺たちはグロッソ洞窟の怪物たちを蹴散らしたぞ。魔王の軍隊なんて言っても、この程度のものだ」
「やるか。どの国も手をこまねいている魔王の拠点を攻撃に!これに成功すれば、人間世界における栄光と実績は頭一つ抜ける、やるしかない。しかし、しくじったら?」
「宰相閣下に全責任を取ってもらえばいい」
さすがに仰天するニヤケ面。
「おいおい、このまま洞窟に攻め込むだって、リモス追撃の件は?もういいの?」
その結果どうなるか、ニヤケ面も必死に計算するが、頭が上手く働かない。ただ魔王に殺されるだろう、という計算は不動だった。酒をあおるしかない彼に代わって、すでにアルコールの抜けた貴族衆の総意でグロッソ洞窟への突撃が即決された。
九度目の侵攻がこのような形で行われるとは、誰も考えもしなかったことだ。
血気盛んな怪物衆はリモス追撃時の思わぬ不幸ですでに敗北している。彼らは人間の強襲を前に為す術なかった。久々に言及するが、グロッソ洞窟の怪物たちは軍事訓練を受けた人間たちよりは弱かった、相変わらず。殺戮が吹き荒れた。
またも事態を知った留守番役の魔女が、急ぎ老骨に鞭打ってがいこつ部隊を編成して迎撃に当たる。だがその間にも破壊と略奪は行われていた。貴族たちにはギャンブルに軍事に華麗な生活にと金が欠かせなかったから、目についた金目のものは悉く狙われた。アイテム交換所も略奪されるが、ここの支配人はまたも逃げだすことには成功していた。次いで、カジノが襲われた。ここでは、洞窟になじみ始めた人間の金鉱職人たちが憂さ晴らしをしていたが、彼らは嘲笑の対象となる。
「貴様ら人間のくせに、怪物のカジノに入り浸るとはどういう了見だ!」
「裏切者めら、徹底的にしばきあげろ。しかし殺すなよ、こいつらが金を掘っているのなら、引き続き我々のためにそれをさせるまで」
「この洞窟は素晴らしい、まさにパラダイスだ!」
そこに、魔王からの伝令が来る。帰還が近いから、魔王に相応しい準備と装いを凝らしてそれを出迎えるように、とのモグラの部下の連絡だったが、間抜けな事に、このモグラは略奪が行われているカジノにそれを報告に来てしまった。この伝令はすぐに捕縛され、情報を吐き出させるための拷問が加えられた。
魔王、来る、の報を受け、さすがの貴族たちも肝を冷やす。どのように対処するべきか。無責任な彼らはこのような時だけ、略奪中は意図的に無視していたニヤケ面の男に判断を迫った。
「宰相閣下はこの事態、どのようにお考えか……スロットなど回している場合ではない!」
「宰相閣下は魔王とのコネをお持ちのはず。責任を持って対処するべきだ」
「宰相閣下が戦え、とお命じ為るのならそれに従うことはやぶさかではない……と思う」
この連中の厚顔無恥に辟易したりするニヤケ面の宰相閣下ではない。無策のまま裏切りものと叩かれても一向に気にしないのがニヤケ面の男の人生哲学である。酩酊状態のまま、思いを巡らすニヤケ面は、このまま殺されでもして刺激的な人生から退場することになってしまうのはもったいない、との考えに達する。
「麻呂らがここで滅びる……それは避けたい。栄光ある貴族諸君、本国へ戻って魔王と対決するより、それなりの防衛体制が整っていそうなここで迎撃する方が何かと便利のはずだ、と麻呂は考える。栄光を求めるも、身の安全を計るも、ここに至っては同じ意味しか持たない。殺されないためにできるだけの事はやってみようではないか」
ニヤケ面は洞窟のに立てこもる方を選んだのである。彼は会えて言及しなかった。このまま魔王と対面すれば、必ずその銀サーベルの切れ味を身をもって知ることになるだろう、とは。貴族衆は全員一致で、ニヤケ面の宰相の意見に賛成した。
こうして、九度目の侵攻者たちは洞窟に居座ることとなった。都市エローエ以外の人々による攻撃である事もそうだが、洞窟侵攻史において初の事である。
河向こうの王国領内で事件の報告を聞いた魔王は呆れてしばらく何も言えなかったが、なんとか魔少女と顔を見合わせると、彼女からの言葉を待った。魔王と異なり、魔少女は幼い目を怒らせ吐き捨てて曰く
「あの放蕩者、人間社会の賢者にでもなったつもり!陛下、彼に軽挙の償いをさせてみせます。あのクズを必ず後悔させてあげるわ」
烈火の如き言葉を聞いた魔王は首をすくめたが、珍しく感情を顕にした魔少女が可愛くて仕方がない。小さく笑みを浮かべていた。




