第53話 勇者号剥奪
その日、都市エローエから河向こうの王国の布告文が人間世界へ発せられた。その文面の日付は、王が追放される前日の物が指定された。
「怪物世界に近づくために人間世界に敵対した勇者黒髪から、かつて余が与えた称号を剥奪する」
そして文末には、この文書が配布される国々の名が列記されていた。『勇者』黒髪かはその称号を失い、ただの黒髪に堕とされた事になる。
「王よ、私めが御復権に尽力しましょう」
かつて自身の代理人として勇者黒髪に見込まれたデブの商人は、あちこちに人脈を築いていた。この時、帝国領でバンシー軍人の虜になっていた戦士ハゲ、都市エローエで都市防衛の任務に専念する東洋人、時に騙されながらも全体的には利益を出せているグロッソ洞窟、そして河向こうの王国である。グロッソ洞窟との取引で蓄積した莫大な資力を持って、追放された王へ協力を申し出る。
都市エローエの幹線道路を挟んで二つの豪邸を構えるデブについて、王の侍従たち評して曰く、
「あれほど財を成しているのに、奴はこれ以上何を望むのか。大方、貴族の地位を欲しているのだろうが」
「しかし、今や我らに金が無いのだから……同国人ではあるのだし」
「いいや、もう他国の者さ」
と評判は良くない。他国で成功した人間に対する妬みもあったろうが、それでも王側の無理難題に応えるため卑しい側は大変な苦労を強いられる事になった。
しかし、デブの商人が協力の裏に隠した目的は貴族になることではなかった。彼はグロッソ洞窟の支配権を握り、豊富な金と銀の力で世界の経済を牛耳る野望を温めていたのである。魔少女が仕掛けた経済を利用した治安攪乱行為は、商業の世界に生きるデブには色鮮やかに見えたのである。
そのためにはどうすればよいか、都市エローエで政治的権能を備えて、洞窟に軍を送り込むのが最適である、と彼は考えたのだ。かつての黒髪一行がグロッソ洞窟に攻め込んだ理由とはこの点が異なる。デブの商人が追放された王一行を都市エローエに迎え入れたのは、その為の下準備であった。
エローエ市議会は、亡命者とはいえ、王が都市に住まう事を本心では好まなかった。議員ら都市生活者と、王に代表される大土地所有者は日々の糧を得る理念が異なるため、相性が良くないのである。だが、議会の大多数を占めるかつての勇者党は、今やデブの商人の金銭的援助が無ければ市議会をまとめる事も出来ないほど弱体化していた。そして少数派ではあるが、複雑で判り難い動きを止めない釣り目の僧侶が東洋人傭兵から兵を借りて洞窟を攻めたりする、私兵部隊の編成に対しても否定的な立場を示せないでいた。河向こうの王国にはとりあえず関心は無い釣り目の僧侶とデブの商人が、ここで手を結んだ。東洋人傭兵とのパイプを持つ釣り目の僧侶を顧問に引き入れ、その軍事面での柔軟さに期待を寄せたのだ。
都市エローエにおいて、王、デブ、そして釣り目が一堂に会し、以後の計画を練り始める。資金面では全面的に任せてほしい、とデブの商人は自分の腹を太鼓のように叩く。軍隊の調達は自分が行う、としつつも、釣り目の僧侶は一つの案を王に進言する。すなわち、
「勇者黒髪から、勇者の称号を剥奪するべきです」
王もデブの商人も驚き、理由を尋ねる。
「今、王国を統治している庶王女様は勇者黒髪の公式な奥方です。姫から勇者へ、王権が譲渡されでもしたら我々はどこまでも不利になります。そして黒髪に勇者の称号を与える事を強く望んだのは王国の民であったことを忘れてはならないでしょう。故に、怪物を率いて連合軍を打ち破ってしまった黒髪を、民衆から切り離すためにも、人間世界のチャンピオンとしての称号を奪い取れば、少なくとも彼が民衆の支持で王国を相続する事を防ぐ事ができるでしょう」
王は追放されたあの日、幽閉していたはずの庶王女の傍らに黒髪が居た事を誰にも告げていない。それが露見した場合に勇者を王位に推す勢力の出現を警戒した事がまず一つ。さらに、黒髪の出方を観察したいという、統治者ならではの冷静な思考が、彼にはあったからである。
王は語る。
「余が勇者の称号を彼の者から剥奪したとて、娘がそれを与えてしまえば変わりはあるまい」
釣り目の僧侶はこれを否定して曰く、
「主たる目的は黒髪に正統な立場を与えない事で王国奪取をしやすくする事です。従たる目的は、人間世界に敵対した黒髪に毅然とした姿勢を示す事で、諸国の支持を集める事にあります。今、姫は怪物世界側に近しい存在ですから、仮に剥奪された勇者の称号を彼に返したとて、意味を為さないでしょう」
「なるほど、貴方には先見の明がありそうだ。勇者黒髪が我が王国を狙っている、と確信しているのかね」
「これは、失礼。私は何事も悪く見てしまうのです。良い事も怪しんでしまうのは欠点だと認識しています」
デブの商人、笑って同調して曰く、
「確かに何事も疑ってかかれば損は無い、とは言えるでしょうね」
勇者の称号剥奪を知った黒髪は、
「ついにこの日が来たか」
と短くつぶやいただけであった。そして傍らのヴィクトリアとヘルメット魔人に向かって、
「これからもう勇者の号は名乗れないな」
と自嘲した。
ヘルメット魔人は笑って曰く、
「『勇者』など自称するものではないでしょう。恥ずかしくはありませんか。それにいざ勇気を発揮せねばならない時に一度でもしくじれば、罵りの対象になる。まあ、他者が閣下を何と称そうと気にしないことです。それに閣下には『モストリア総督』という輝ける役職がある。どうしても号が欲しいのであれば、これからは『総督』とでも名乗ればよろしい」
対する妖精女は
「閣下は血縁や縁故ではなく実績によって、この国の民の手で『勇者』に推戴されていたのです。王も随分と横車を押してきたものです。王は民と対立するつもりなのでしょうか」
「私が怪物を討伐した国々の人達は憤ってくれるだろうが、そうでない国では私への嘲笑となるだけだろう。勇者の名をより実質的にしようと考えたあの遠征の結果、このような事になるとは」
「やれやれ、閣下はショックを受けておいでで」
意地悪く顔を覗き込んできたヘルメット魔人に黒髪曰く、
「それでも、私は人間世界と怪物世界の共存を目指す立場にあることは変わりない。だが人間世界の側の肩書が無くなって、人々がついて来てくれるかが心配だ。怪物と異なり、人間はむき出しの力だけでは従わない。プラスアルファというのでもなく、もう一本しっかりと立つ権威が必須なのだ。それを新たに求める先が見当たらなくてね」
「なら奥方から改めて『勇者』の称号を貰えばよいのでは」
妖精女はこれを即座に否定して、
「それこそ世評の笑いものになるだけでしょう。家庭の中で妻が夫を『勇者』と呼ぶ行為から一歩も出る物ではなく」
一同大爆笑。黒髪、さらに自嘲して、
「その家庭すら、まともに構築できないのが私なのだ」
黒髪の熱い視線を受け、ヴィクトリアは視線を外した。ヘルメット魔人、会話を繋げて尋ねる。
「閣下はこの王国の統治を奥方にお任せするおつもりのようですが、それをどのように実現なさるのですか」
姿勢を正して黒髪曰く、
「我々が手を下した今回のクーデターは人間世界の権力闘争として諸国にも伝わった。伝達のためだけに王を逃がしたが、追放された王は必ず復権のための行動を起こすだろう。よって、これを事前に叩く。私にとっては義父にもあたるから殺しはしない。残った取り巻きを壊滅した後、この国の牢に軟禁するまでが目標となる」
「では、王を誘拐するのが常套手段になりますが、今、彼の王はエローエ市の保護を受けています。領内で騒動を起せば、この独立都市が敵に回るでしょう」
「この都市は閣下の祖国でしたな。閣下に近い都市の人物を懐柔して誘拐させる、というのはいかがですか」
黒髪は首を振って、
「祖国における私の与党はそれこそ壊滅だよ……だが腕の良い人物なら知っている。彼を味方に引き入れる事が出来るのなら、誘拐は上手く行くだろう。だが、彼が承知してくれるかは不透明だ。むしろ、失敗する可能性が高いというリスクがある」
ヴィクトリア、すっくと立ち上がって曰く、
「閣下は今、隠密活動をなさっていますが、あまり長く未來都市を空けるわけにはいきません。神官殿の負担が大きくなりますし、未來都市における人間世界の秩序はまだ枠組みが整ったばかり。今回、誘拐という迅速さが問われる手段をとるわけですから、拙速であろうとも試みるべきでしょう。結果が良ければ、人間世界の閣下に対する心象に影響を及ぼさぬうちに、事が片付く利点も無視できません」
「そうだね」
黒髪は自分と人間世界を遠ざけまいと知恵を絞るヴィクトリアの緊迫した美しさを見て、彼女の意見に頷いた。そして、ひた向きな瞳をとらえてニコリと微笑んだ。
「大丈夫。私には勝利の女神もついているのだから」
勇者の号を剥奪され、非勇者的な手段を選択しても、黒髪は勇敢さだけは決して失わないのである。追放された王の果敢な反撃に対して、庶王女の立場強化ともう一つ、二重の目的のために、相手以上に踏み込んだ行動に移れた黒髪には、時代を歩む主役としての華があった。剥奪の身上にあっても、それは失われていない。




