第41話 七度目の侵攻
久々の奇襲は、釣り目の僧侶によるもの。兵種はバラバラで寄せ集め、兵数も前回の半分以下の百名前後という企画者の実力を赤裸々に表している陣容だ。それでも結論から述べれば、この攻撃は人間側にとり、これまでの中で最も戦果が高いものとなった。
その理由は一つに寄せ集めであっても、東洋人から腕の良い傭兵をいくらか借り入れていたこと。熟練の戦士の有無はやはり大きい。また、洞窟側の防衛体制が皆無であったこと。最後に挙げられる理由として、これが魔少女が怪物達からの批判を受ける理由になったのだが、洞窟の都市化によって通路が広がり、敵の作戦行動が容易になったことである。
釣り目の僧侶の軍事目標は、かつて勇者黒髪が都市にもたらした、仮初の降伏の標しとしての鍵を開けてみたい、という彼の個人的な心情による。といっても、釣り目の僧侶がその行動に及んだのも、勇者黒髪の未来都市における反人類的な行動が伝わってきていたためだ。都市エローエで尊敬される立場にありたい僧侶としては、勇者の悪評は彼の失脚の好機でもあった。しかし、都市の議会は相変わらず黒髪によって利を食わされた勇者党が結束を続け、強い存在感を発揮していた。釣り目の僧侶が権限を奪うには、この現状を変えねばならない。そのためのスキャンダル探しの攻撃、というのが本音のところである。
故に、降伏の鍵を無断で持ち出した結果のこの侵攻、軍事目標もはっきりしており、「ゴールデン氏」つまりリモスの家ということになる。そこに至る道は、魔少女の工事によって開かれていたも同然であった。およそ百名の兵士が四列に並び、密集隊形で進撃する。基本的に古株の怪物達は弱体で武装した人間に叶うはずもなく、逃げ惑うばかりである。新参者の怪物数体が立ち向かうが、人間にとって戦いやすい環境で、次々に斬り倒されていった。ゆっくり進んだ人間軍だが、ものの一時間で新道区の中心部にまで到達した。
洞窟側はここで初めて組織的な防衛に出る。人間の侵攻に驚いたのは魔少女であったが、予期しない事態に我を忘れる事は無かった。直ちに金鉱で作業中のがいこつ作業員たちに、ハンドアックスを手に道を塞ぐよう指示を出す。次いで、彼女自身でゴブリン軍人の邸宅へ走り、防衛戦の指揮を依頼する。この怪物は今や、洞窟長でもあったのだから、当然防衛には責任があるはずであった。しかし、
「もはやモストリアは前後不覚の状態。洞窟長の公的な地位も、そこから発している以上、俺になんの責任があろうか」
魔少女の目に映った、どんな危機にあってもまるで自分だけは助かるだろうというその態度は、協力依頼を断念させるに十分であった。時間を惜しんだ彼女は踵を返し、自ら前線に出ると決断する。彼女には一つ勝算があり、生前陸送隊の用心棒であった腕の良いがいこつ作業員を中心に迎撃態勢を敷く。かつて鉄人形一派を苦しめただけあって、がいこつ用心棒は刀を武器に兵を追い散らす。突出しても、並んだ四人の兵相手に押し込むだけの技量が備わっていた。人間側にあってここで活躍したのが、東洋人が釣り目の僧侶に貸し出した二人の戦士、槍使いと鎌使いである。二人とも熟練の兵で、とんがり政権崩壊時からの東洋人の仲間だ。切れ味鋭い刀も、長さに勝る槍と鎌相手では分が悪く、その後方から矢による遠隔攻撃もあってがいこつ用心棒は刀を落としてしまう。そこに二人の戦士が果敢に斬り込んでいった。そして釣り目の僧侶も、声を出すタイミングを誤らなかった。
「突撃だ!法螺貝鳴らせ!怪物の群れを追い散らし、皆殺しにせよ!」
しかし、怪物側は総崩れとはならない。がいこつ作業員には、逃げる、という選択肢はないからだ。既に死んでいる者たちが、なぜ死を恐れる事があるだろうか。魔少女は、これは逃げずに付き従ってくれた異形の怪物に絶叫させる。
「お前たちにとって死は最大の友のはず!押し戻せ!」
とはいえ砕かれ活動を停止するがいこつ作業員が増える中、この掛け声も空しい。怪物陣営がジリジリと後退する隙に、釣り目の僧侶は鍵合わせをさせていく。合わない、鍵が合わない、と焦る釣り目の僧侶だが、とある質素な門がついに開いた。どう見ても心が踊る宝物庫などではなさそうで、曰く、
「これが噂の洞窟の重要怪物の館だとしたら……質素だな」
踏み込んでみるが、そこには貧弱な粘液体の怪物と年老いた老婆、そして美貌の妖精の女が居るだけであった。釣り目の僧侶は呻るばかりの金銀の貯蔵を期待したのだが、家探ししても何も出てこない。釣り目の僧侶はイライラしながらも問う。
「この空間は一体なんのためにあるのか」
リモス、ぷるぷると震えつつそれに応えて曰く、
「ボクの家です」
悪い冗談か、と拍子抜けした釣り目の僧侶はさらに問うて曰く、
「一体お前は何者だ」
リモス、ぷるぷるぷると震えつつそれに応えて曰く、
「ね、粘液体です」
しばしの間の後、釣り目の僧侶は老婆を振り返り同じ質問をするが、
「ここに私は住まわせて貰う事もあります。私は魔女です。昔はここより東の森に棲んでいました」
「その名は聞いた事がある。媼はこの空間がなんのためにあるか、御存じか」
「この輩の家です……」
苦虫を噛み潰したような顔をする釣り目の僧侶は、美貌の妖精に向け同じ質問をするも、
「あたしは最近、この洞窟に来たばかりなのでよくわかりません」
釣り目の僧侶はこの妖精の美貌には全く心が揺るがされなかったようで、核心にせまる。
「勇者黒髪という名を知っているか。ここの扉のこの鍵を持っていた者だ」
粘液体と老婆と妖精は顔を見合わせて曰く、
「前に何度かこの洞窟を攻めた男だと」
「なんでも、この洞窟に都市エローエに手を出すな、と命じたらしい人物だとしか」
「モストリアを攻めに行ったお方でしょう。他にも我ら怪物を討伐しているという噂の」
三輩三様の解答に、釣り目の僧侶はしばし考え、そして結論に至った。
「わかった。勇者黒髪は騙されて、こんな鍵を渡されたのだな。愚かなこと。勇者の名折れだな」
それだけ吐き捨てるように言うと、釣り目の僧侶は出ていった。後に残されたリモスと魔女と妖精女妹は、お互い顔を見合わせて安堵の溜息を深々と吐いた。
一つの目標を達した釣り目の僧侶は、兵を満足させるための金の略奪行に入る。しかしこれは上手く行かなかった。魔少女率いるがいこつ作業員が通せんぼする道の先に、金鉱があるためである。百名程度の兵でがいこつの群れを突破しても、洞窟を無事撤退する自信が持てなかったのだろう。東洋人が付けた二人の戦士の助言にも従い、後退攻撃を続けながらも多少の略奪で満足するしかなかった。
なお、洞窟の入り口にあるアイテム交換所を管理していた魔女の甥っ子は、早々に店を閉鎖して無事逃げ出していた。これは人間の裏社会にも吉報として伝えられたという。
死者無しで洞窟を撤退した釣り目の僧侶はその足ですぐに都市エローエに戻り、緊急招集した議会で、勇者黒髪がもたらしたグロッソ洞窟の降伏の標しが単なる民家の鍵でしかなかったことを暴露、さらにがいこつ兵の大群が居た事を報告し、
「新たなる危機が訪れようとしている!」
と、危機を煽る。この報告に、議会も市民も少なからず動揺し、釣り目の僧侶は議会に確固たる地盤を築きなおす事に成功し、政略的な目標を達成した。
対してグロッソ洞窟では百体近くの怪物が殺され、略奪も発生し、リモス一党を率いる魔少女の名声は著しく低下した。特に、
「通路を広くする工事は、人間軍を招き入れるための準備であったのか。あの少女は裏切者ではないか」
という悪評が飛び交った事は致命的であった。
「そうは言うが、おかげで洞窟も広くなり、住みやすくなったではないか。この功績は認めなければ。それより、あのゴブリン軍人は敵襲の間もグルメを堪能していたっていうぜ。前のインポスト氏よりも酷い」
との意見も無くは無かった事がせめてもの救いだが、グロッソ洞窟に再び不和の種が蒔かれた事は事実であった。多くの反魔少女派と、気持ちばかりのそうでない派が形成された。
この失敗に、魔少女はリモス同様に家に引きこもるようになった。そして少女に不釣り合いなやけ食いを始め、ステーキ、ヤキトリ、タコヤキを中心に攻め、挙句には魔女秘蔵の怪しげな薬にまで手を出す。これは明らかな少女の転移行動であったが、傍らで心配そうに諫め見守る魔女にもどうにもならなかった。一方、リモスは魔少女の失敗に留飲を下げ、しばしばご機嫌な日々が続いた。俄かに笑顔が戻ったリモスを見て、
「クズだね」
と、さすがの魔女もこの恩知らずに腹を立てたが、魔少女は生粋の引きこもり癖がなかったためか、やけ食いはそのままに立ち直りは早かった。
敗戦後、権威を失い権力も低下していた魔少女だが、相変わらず従ってくれていたコウモリとモグラの部隊にとある事を命じ、その報告が来た後、妖精女の妹に、すぐに出立する事をお願いした。この頃のリモスの歪んだ性格に辟易していた妖精女妹は、同じ女の誼で魔少女の依頼を快く引き受ける。彼女の窮余の一策は、一月もしない内に結果を表したのであったから、謀略家としては一流であったのだろう。




