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第39話 怪物衆の流入先にて

 インポスト氏に抉られた傷を温泉で癒していた猿は、ようやく長旅に耐えられる体調を整えた。グロッソ洞窟へ戻る為に温泉を出立する。彼は左手を失っている為、より一層戦いには不向きとなった故、戦闘にせよ戦争にせよ二度と最前線で命の危険を冒すまい、と不用意に査問官についていってしまった己の迂闊さを戒めていた。


 彼が湯治を行っていたのは、山を越えた先の帝国領内の幽谷という単語が相応しい場所で怪物の姿もほとんど無い。故に、湯治中の世界の動き、特に勇者の遠征軍が如何なる状況にあるかを知り得なかった。傷も塞がり、移動しても失血死しない状態を得てすぐ、情報を得るために怪物たちの集落を探す。それは大抵洞窟であったり森林であったりする。探していたのは他国にもその名が利かれたとある廃墟で、少なくない数の怪物が拠点にしているという。だが、いざたどり着いてみるとほとんど怪物がいない。僅かに残っていた輩に話を聞くと、


「近隣にある人間の城塞を知らんかい。怪物たちが大挙して押し寄せ占拠して以来、みなそちらへ移ってしまったよ。ここよりも広いし食料も多いという話だ」

「怪物たちが人間の城塞を占拠とは見事なもんだ。一体、どこの輩が成し遂げたんだね」

「勇者黒髪の遠征軍によって住みかを追われたモストリアの連中だよ。ここまで流れてきたらしいんだ」


 びっくり仰天した猿は、遠征軍はどうなったか加えて尋ねるが、この廃墟の怪物達はそこまで知らないという。話に出た城塞なら誰か知っているだろうという事で、猿はそちらへ向かう。その城塞は確かに怪物の手によって攻め落とされた痕跡生々しく、住み着いた怪物達の数も多い、かつての帝国所有の場所であった。モストリアから流れてきたという怪物曰く、


「人間たちもかなりの数が戦死したらしいが、魔王の宮殿は攻め落とされたよ」

「逃げ出した魔王もその近衛衆も行方知れずだ。一体、気を吐いて頑張っている怪物が居るらしいが、そいつが勇者の部隊と激闘を繰り広げて、モストリアでは住みづらくなったというわけさ」


 息を呑んだ猿は重要なことを確認する。すなわち勇者の現在だ。


「死んだという話は聞かないね。でも、モストリアから外に逃げ出す連中の数は最近めっきり減っているというから、向こうも落ち着いて、もしかしたら戦死したのかも」

「あんたはモストリアへ帰らないのか」

「人間が標的にしているような場所には戻らない。それにあふれ出た怪物たちの多くはこの人間の国に入り込んで住み着いた。血気盛んな連中も多いし、一番安全だと皆噂しているぜ。でも数が多すぎて住みにくいって連中は、他の町を攻めるつもりだと」


 これが山を越えた先の帝国領内で彼が知り得た情報であった。彼は考え込んだ。


「俺が扇動した勇者黒髪の遠征軍によってモストリアが攻撃を受け魔王とその近衛が行方不明となっている。これはつまり、査問官指摘による俺の罪科が無になったのではないか」


 この様に思考できる猿は、実に愉快な性格の持ち主と言える。


「とはいえ勇者が倒れたとしたら、モストリアには魔王とその近衛が復帰するだろう。当然、査問官もインポストの野郎も報告をする。どさくさ紛れに処理されねえか、それとも、人間への報復のため、人間と謀略の関係を持った俺のような存在は真っ先に血祭りにあげられるのだろうか。それにしても、あの妖精女が上手く勇者をモストリアに引き留めていたとしても、まさかこうも簡単に魔王を追い詰めるとは。大したもんだな。しかし、ここの連中もモストリアには戻らねえという。相対的に、魔王の力は低下するのではないか。そういえば、グロッソ洞窟の連中は、リモスや魔女は無事だろうか。モストリアから難民となった怪物の流出が止まったとすれば、勇者が倒れたか、撤退したかになる。すると魔王が復帰する可能性が高い。無論、査問官もインポストも。そう簡単にグロッソ洞窟へ戻る訳には行かねえな。情報を集めねえと。情報、どうやって集めようか。それに集めてどうする。グロッソ洞窟に居ずしてリモスを支援するには、または勇者黒髪や妖精女と接触するには、拠点が必要だし権限も必要だ。この城塞を乗っ取るか。しかし、陥落させるのに功があった輩が許さねえだろう。新しい拠点を攻め落とすときに、主導権を奪取してやるしかない。その拠点の主になったら、何よりもまず情報収集だ。しかし金がねえ。怪物連中をどうやって仕事させよう。今回は反逆されないように、配慮もしねえとな。一生のうち、同じ失敗を繰り返したら、たぶん終わりだろうし。だが、食料や住みかのためだけに適当な拠点を襲うのではダメだ。情報を得やすい場所、太い交通の流れのある場所、そんな場所は大抵守りが堅いから力任せではしくじる可能性が高い。人質を使えないか。この町に残っている人間もいるはずだ。使役されている人間、食料として取っておかれている人間、怪物と取引している人間……はいないかもしれねえが、さらなる怪物の攻撃予告と人間の命を盾に、退去を迫る。これしかない。それで不可能な場合は、都市エローエを攻略した時のようにできねえか。あの時のリモスの智謀の冴えは素晴らしかった。神がかりだった。あの時のリモスのような知恵の冴えと勇気があれば、人間の町の攻略など容易いはず。しかし、最前線に立つのは御免だ。命を危険にさらしたくはねえ。情報を駆使してハッタリで修羅場を切り抜けているのが俺には一番合っているやり方のはずだ。自分に合ったやり方が一番上手く行く……」


 沈思黙考の猿を怪物たちは不審な目で見たが、構わず猿は行動を開始する。道行く怪物たちに声をかけて、辻説法を繰り返すのである。猿最大の才能は、俊敏な動きではなく、度胸と雄弁だ。


 実際、猿はそのやり方で怪物の群れを扇動し、狙った通りの場所を攻め落とす事に成功した。大した才覚である。山を越えた先の帝国領内は人間領と怪物領が麻のように入り混じった乱国となり、怪物対人間の熾烈な生存競争が繰り広げられる。優勢なのは常に怪物勢で、元々中央集権的権能を欠いていたこの国は怪物撃退の力に欠け、人間同士の争いも止まずに次々に失地を広げていった。すると怪物の群れも力をつけてきて、それぞれ野心を持ったリーダーに率いられたいくつかの大集団に分かれ始める。離合集散を繰り返しながら徐々に大きくなるその流れの中に、猿は入っていない。だが、小さいながらも交通の要衝の町に拠点を持った猿は、怪物のリーダーたちの間を動き回る。


「この帝国と呼ばれる人間の国は結束が弱く地方の独立の精神が旺盛であったため、脆かった。しかし、周辺の人間の国々はそうではないこともある。今は、この帝国という人間の国の外に、領地を求めるべきではない。人間の反撃を受ける可能性があるためだ。勇者黒髪もまだ生きている可能性があるのだから」


 彼ら怪物たちを流浪の立場に追いやった勇者黒髪の名は、脅威としてその心に響いたが、他の人間は恐るるに足らず、という怪物特有の心を解きほぐす事は容易ではない。怪物たちが帝国外の人間の国々を襲い始めると、人間諸国の間でも討伐軍編成の動きが出始める。この手の情報を得る事が出来ていたという事は、猿もそれなりの地歩を築いていたのだが、彼は常に武力と軍事力を欠いている。討伐軍の動きが活発になれば、グロッソ洞窟も危機にさらされるだろう。猿が恐れていたのはその事態にまで発展する事だった。その防止のための画策だが、恐れとは現実になるものである。



 大小様々な人間の国々が山を越えた先の帝国に流入した怪物を討伐するため、軍旅を発した。勇者黒髪がモストリアへ遠征した時よりも多い兵力が動員される。都市エローエも、戦士ハゲなど個人の参加があり、曰く


「私は常に先陣を切って戦ってきた。勇者黒髪と組んでいるときもそうだった」


 彼は帝国の危機を、自国における名声拡大の好機と見做したのである。人間は特に、自分の足元に火が付き始めると、結束もそれ以前よりははるかに容易になるのである。


 こうして、早くグロッソ洞窟へ復帰したいというその願いとは裏腹に、猿は帝国内における領地分捕り合戦に深く関わる事となった。短期間の間に大乱となり、この地域は魔王の一件を除いて人間世界、怪物世界の熱い視線が注がれる最大の場所となってしまった。それはすなわち、怪物世界の最高権威者、最高権力者の出馬が求められるという事でもあった。モストリア総督となっていた勇者黒髪は、その職能による効果……怪物流出の阻止と名声による怪物の回帰を得る前に、最大のがけっぷちに追い詰められるのである。それはすなわち、未来都市の市長として人間世界を支援するか、モストリアの総督として怪物世界を救出するか、の二者択一であったのだ。勇者として人間を救うか否か、黒髪は深刻なジレンマに陥るハメになったのである。しかし、ここでは彼の決断を見るより前に、人間世界と怪物世界の激突から逃れていたグロッソ洞窟の動きを見て行こう。洞窟では魔少女の指揮によって、開闢以来最大の土木工事が実施されようとしていたのだ。

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